【復福プロジェクト5】いわき七峰縦走ルート・水石山で不可解な転進【戊11.9】


- GPS
- 02:18
- 距離
- 8.8km
- 登り
- 367m
- 下り
- 368m
コースタイム
天候 | くもり 薄っすら日が差す。 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
閼伽井嶽:寺からのアプローチは藪が多め、尾根上に昇ったら道の状態は良くなるが北側に下る最後の段階でまた藪が濃くなる。 水石山:実は車で山頂直下まで行ける。そのグネグネ車道を山道でショートカットしつつ、登っていったのだが、歩く人が少ないのか藪が濃く、また蜘蛛の巣も多い。蜘蛛も丸丸太ってデカいのばっかり。最後、水石山駐車場に出る直前、いよいよ藪が背の高さにまでなって進むのにかなり難儀するようになったが、道を外れていた。 水石山航空管制レーダー:いわき七峰縦走コースは、この航空管制レーダー敷地の脇を抜けて剣ヶ峰に抜けるようになっている。のだが、のはずが、職員らしき人に「立入禁止だ」と言われる。人がいる以上、無理に押し通るわけにもいかないので引き返し、別の迂回路か何かが無いか探したが、やはりレーダー敷地脇以外にまともな道は無さそう。11月30日にいわき七峰縦走イベントがあり、そこで公開されているルートどおりに進んだのだが、さすがに大会中に「通るな」って言われることないよね。 職員が縦走ルートになっているのを知らなかったか、最近通行する者が増えて問題視されているのか、そのどちらかだろう。 |
写真
感想
【復福プロジェクトとは?】
私はここ十数年程の間、福島県内各地の山々を巡り歩いてきた。特に原発事故により一時期人が立ち入ることを禁じられた地域を最重点地区と位置づけ、規制が緩和・解除されるたびに訪れては、その地域の寺社に参拝し、復興の歩みを寿ぎながら地域の山を歩くようになった。
その一方で、かつての市民の山が、規制解除後も入山規制されたままであるという現実。大熊町の日隠山や富岡町の大倉山がそうである。
これらの山が再び歩けるようになり、地域の人達がファミリーハイクや学校登山をできるようになった時がこれらの地域において日常が取り戻された時と考え、その実現を祈りつつ、或いは地域の復興を喜びつつ、かつて歩かれていた低名山を巡り歩く取組である。
【なぜ福島か】
東日本大震災以降も我が国はたびたび地震や噴火、暴風雨等の被害を受け、今や日本全国総被災地と言っても良い状況である。
その中でも福島は原発事故の影響を受け、帰るに帰れない土地がいまだに多く残っているだけでなく、たびたび「ベクレてる」「鼻血が出る」「汚染水」等と言われない誹謗中傷を受けてきた。
根拠のない中傷を受け、爪弾きにされているうつくしま、福島に寄り添いたいと思うのは自然なことだろう。
【現実は厳しい】
福島の地元紙には今も毎日のように「復興」の二文字が載る。
しかし、今や日本は東京近辺を除き、いよいよ地域社会の死滅が顕在化しつつある。単に死滅しつつあるのではない。死滅しているのが目に見えるようになってきている。
それでも大動脈たる大都市圏に住まう人々は、毛細血管がどんどん壊死しているのに気がつかないのか?
福島にせよ、能登にせよ、再び興すのは現実問題としてかなり厳しい。
震災時の未就学児がもう二十歳になろうとしている。地縁を築く前に福島を出た人達が福島を故郷だと認識できるだろうか?
また、草ぼうぼうの空き地、空き家、太陽光パネルで覆われたかつての田畑を見て故郷だと思えるだろうか。
そして、避難者が戻らない言い分として、「子どもの学校のことを考えると…」というのがあった。
その子どもたちはもはや成人して、親が福島に戻らない言い訳としては使えなくなったはずだ。
それでも戻らないということは改めて言うまでもない。
国や町は、戻るつもりのない「避難者」を当てにせず、彼らの土地を全て召し上げて、福島はフロンティアだと前向きに捉えてくれる開拓者に払い下げて有効活用してもらった方が復興は成るのではないか。
いずれにせよ、地域が細り廃れる一方では、登山道の復興どころではない。
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