チャラツナイ海岸

| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年11月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
| 共同装備 |
60m2本
|
|---|---|
| 備考 | カムは1番以下、フィンガーサイズ前後が厚いと安心 |
感想
【取付き(9:00)W3登攀後取付き復帰(12:00)】
穏やかな朝。まずは西の岩塔を登り、時間次第で東の岩塔またはボルダー探しでも、というプラン。多数ボルトやハーケンがあって当時の旺盛が想像される。赤岩に次ぐ北海道のゲレンデ、というのも決して大袈裟ではなかったんだろう。登山大系で言うところのW3に取り付いてみる。
1ピッチ目:15m ルンゼのどん詰まり右手を直上するボルトルートの右手のジェードルを登る。横節理が2mおきに入っていて、丸っこい狭いマントル返しを繰り返すようないやらしいクライミング。歴史を感じる終了点でビレイ。5級。
2ピッチ目:30m 正面のジェードルは引き続き悪そうなので、10mほどランナウトして左のルンゼへ逃げる。固め取りしてバックアンドトウでボロボロルンゼをのっこす。4級。
さらに20mほどガレを登り林に突っ込み終了。100mほど歩くと下降ルンゼへの降り口があった。二人とも少々擦り減ったので、焚火を熾し煙草を呑んでのんびり。
午後はボルダーを探しにウロチョロしたがこれといったものは見つからず。再びアヨロをひやかして、白老で飯を食って帰った。
時の流れによってゲレンデからアルパイン的フィールドに還りつつある、あまりチャラくない岩場だった。多くの残地から当時の景色や歴史へと色々想像が掻き立てられる、気持ちの温まる、これまであまりない体験ができた。「鉄鋼マン達がクライマーとして育っていった岩場」という歴史に興味を持ち、ずっと訪れる機会を待っていたチャラツナイ。室蘭出身の工藤君と登れた事にも意味や喜びがあった。年に一度くらいこうして焚火をしに、歴史を掘り起こしに、ひりつくクライミングをしに訪れたいと思う。鉄は熱いうちにうて!
《アヨロ》
一部ヌメヌメしていた。スペシャルライト、ぬりかべ敗退。あひ。シャコできた。うぇっへい。総じて自己肯定感の下がるボルダリングでゾクゾク。
スペシャルライトは今年中に落としたい。つよつよな人を見ていると悔しさと自分もできそう感があってたのしい。
夜さむかった。
《チャラツナイ西側岩塔群》
W-3のBフェースをのぼったものと思われる。登山体系には「(略)西側で最もポピュラーなのがW3のBフェースで自由にルートを取れる良さがある」とあるが、相当強くないと自由になるのは厳しそう。取り付きまで大規模なガレを行くが、夏に似たようなところで滑落した先輩の顔がちらつく。1Pめはジェードル右壁がぼろっちくてなんとなく察する。壁自体は90度以下だが摂理の凸面によって体はハング時と似た角度になる。信頼できないカチで足を上げ、硬い鉄のラペルリング輝くビレイ点で飯田さんと合流。わるかった。2Pめ、細かい落石が左手を落ちて、その脆さを覚悟する。飯田さんが激ランナウトしてルンゼに向かう。緊張するが、回収楽でいいなと思うことにした。W-3の空に鳶が円を描いて飛んでいるのが綺麗だった。フォローするとバガブーとアングルがバチバチに効いていて全然楽じゃなかった。その後も浮石多め。適当な砂利ルンゼで下降というか滑降。3回こけた。スニーカー買い替えを決心。
今まで触ってきたどのルートよりも悪かった。ムーブ自体はなんもだけど、触られていないのかボロボロ。無雪期のアルパインなら多少難しくても余裕あるでしょ、と思っていたがダメダメ。赤岩がいかにゲレンデだったかを思い知った。飯田さんありがとうございます。
自分が生まれて育った街で、かつてのアルピニストが作った岩場を触れる幸せを強く感じる。ビレイ点から見た浜も、抜け口の奥の海と街も室蘭だった。もう一度全貌を明かして、まだ熱いハーケンのあるチャラツナイで強くなりたい。
スケツネ


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