秩父から南牧村に向かう道すがら、志賀坂峠峠より山中地溝帯の朝、左に毘沙門山、そして
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11/30 6:54
秩父から南牧村に向かう道すがら、志賀坂峠峠より山中地溝帯の朝、左に毘沙門山、そして
横瀬二子山〜武甲山〜持山
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11/30 6:54
横瀬二子山〜武甲山〜持山
本日はかねてからお会いしたかったとらZさんとの初コラボ、よろしくお願いします!道の駅をスタートして小澤神社、村の鎮守様かな。
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11/30 8:21
本日はかねてからお会いしたかったとらZさんとの初コラボ、よろしくお願いします!道の駅をスタートして小澤神社、村の鎮守様かな。
石燈籠は「寛政己未夏四月(11,1799) 願主 大々講中五十三人」
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11/30 8:21
石燈籠は「寛政己未夏四月(11,1799) 願主 大々講中五十三人」
双体道祖神、紀年銘は確認できず。
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11/30 8:23
双体道祖神、紀年銘は確認できず。
庚申塔三基、左の笠付(正徳二壬辰年,1712、小澤村)、中(寛政十一己未,1799)、右(寛政庚申年、12年,1800)、その後方は馬頭尊文字塔、
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11/30 8:23
庚申塔三基、左の笠付(正徳二壬辰年,1712、小澤村)、中(寛政十一己未,1799)、右(寛政庚申年、12年,1800)、その後方は馬頭尊文字塔、
刻像の馬頭観世音
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11/30 8:26
刻像の馬頭観世音
「文政十年(丁亥)八月吉日(1827)」
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11/30 8:26
「文政十年(丁亥)八月吉日(1827)」
「文政八酉霜月…(1825) 願主 小澤…」
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11/30 8:27
「文政八酉霜月…(1825) 願主 小澤…」
「聖徳太子」(大正期)、職人の方々が祀ったのでしょう。
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11/30 8:30
「聖徳太子」(大正期)、職人の方々が祀ったのでしょう。
社殿脇の岩崖にはいくつかの石祠、石塔もありました。
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11/30 8:31
社殿脇の岩崖にはいくつかの石祠、石塔もありました。
山道や作業道を辿って、蚕影山山頂に続く尾根、「こんな所に神社があるのかな?」と話していたら、
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11/30 8:59
山道や作業道を辿って、蚕影山山頂に続く尾根、「こんな所に神社があるのかな?」と話していたら、
建物が見えました!あれが神社跡でしょう。
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11/30 9:02
建物が見えました!あれが神社跡でしょう。
写真を撮るとらZさん
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11/30 9:02
写真を撮るとらZさん
yamadanukiさんのおっしゃる通り、神社裏からの登拝になりました。周囲には馬頭尊文字塔が散在しています。
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11/30 9:03
yamadanukiさんのおっしゃる通り、神社裏からの登拝になりました。周囲には馬頭尊文字塔が散在しています。
神様は降ろされているようです。唯一こちらが蚕影神社だったと分かる痕跡が、
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11/30 9:04
神様は降ろされているようです。唯一こちらが蚕影神社だったと分かる痕跡が、
「蚕影山大神屋根替」寄附連名板(明治三十八年乙巳四月,1905)偶然ですが今年と同じ干支です!
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11/30 9:05
「蚕影山大神屋根替」寄附連名板(明治三十八年乙巳四月,1905)偶然ですが今年と同じ干支です!
かつては瓦屋根だったみたい。お社の正面にメインの馬頭尊群が一列に並んでいるようです。西側を剥いています。
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11/30 9:07
かつては瓦屋根だったみたい。お社の正面にメインの馬頭尊群が一列に並んでいるようです。西側を剥いています。
一番大きな塔、上部が剥落しているようです「(馬頭)観世音菩薩 惣郷中」拝書者銘と印はある様ですが、紀年銘は確認できず。
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11/30 9:09
一番大きな塔、上部が剥落しているようです「(馬頭)観世音菩薩 惣郷中」拝書者銘と印はある様ですが、紀年銘は確認できず。
左は唯一の馬頭観音刻像(昭和七年)、右は
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11/30 9:10
左は唯一の馬頭観音刻像(昭和七年)、右は
馬頭観音の種子「カン」、台石に「馬頭尊」
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11/30 9:12
馬頭観音の種子「カン」、台石に「馬頭尊」
この辺りは倒れていたものをとらZさんが立て直していただきました。左「馬頭尊」(明治八亥年四月吉日,1876)、左二番目「馬頭観世音菩薩」、
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11/30 9:15
この辺りは倒れていたものをとらZさんが立て直していただきました。左「馬頭尊」(明治八亥年四月吉日,1876)、左二番目「馬頭観世音菩薩」、
右二番目「カン」、右は「馬頭尊」だったかな?
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11/30 9:17
右二番目「カン」、右は「馬頭尊」だったかな?
その馬頭尊塔の列の前方、一基のみ平地の縁に立つ石塔がありました「馬頭観世音」、背面に
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11/30 9:21
その馬頭尊塔の列の前方、一基のみ平地の縁に立つ石塔がありました「馬頭観世音」、背面に
「嘉永元申八月吉日(1848) 当所 今井織平」、確認できた最古の紀年銘です。
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11/30 9:21
「嘉永元申八月吉日(1848) 当所 今井織平」、確認できた最古の紀年銘です。
お社も正面に立ち並ぶ馬頭尊石塔群
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11/30 9:22
お社も正面に立ち並ぶ馬頭尊石塔群
小沢岳、さすが西上州のマッターホルンたる山容ですね!
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11/30 9:36
小沢岳、さすが西上州のマッターホルンたる山容ですね!
山頂部から尾根続きにある岩場、一寸この下方が不安と言うことで、
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11/30 9:37
山頂部から尾根続きにある岩場、一寸この下方が不安と言うことで、
一旦左(東側)に降りました。
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11/30 9:39
一旦左(東側)に降りました。
その岩場の振り返り
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11/30 9:39
その岩場の振り返り
さらに進行方向すぐにこちらの岩、これも左から巻きます。
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11/30 9:40
さらに進行方向すぐにこちらの岩、これも左から巻きます。
その後は快適な尾根歩きでしたが、
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11/30 9:49
その後は快適な尾根歩きでしたが、
尾根は作業度により分断、一旦降りて真ん中の尾根筋を進みました。
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11/30 9:51
尾根は作業度により分断、一旦降りて真ん中の尾根筋を進みました。
あとは植林帯ピークのアップダウンが続きました。
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11/30 10:05
あとは植林帯ピークのアップダウンが続きました。
このあたりから鉱山の作業道のような感じで、簡易舗装もされていました。
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11/30 10:10
このあたりから鉱山の作業道のような感じで、簡易舗装もされていました。
名残の紅葉
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11/30 10:13
名残の紅葉
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11/30 10:17
そうこうするうちにロケット広場に出ました。
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11/30 10:21
そうこうするうちにロケット広場に出ました。
平地の少ない南牧村でおそらく最大の平地でしょう。後に出会った地元の方によると現在は村の所管のようです。
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11/30 10:23
平地の少ない南牧村でおそらく最大の平地でしょう。後に出会った地元の方によると現在は村の所管のようです。
スリムなとらZさんとポツンと石灰岩、絵になりますね!
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11/30 10:24
スリムなとらZさんとポツンと石灰岩、絵になりますね!
先日キャセルしてしまった鹿岳と四ッ又山、あちらも里山御嶽です!
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11/30 10:24
先日キャセルしてしまった鹿岳と四ッ又山、あちらも里山御嶽です!
近道しようと思ったら、結局削られた岩崖沿いを歩く羽目に、申し訳ありませんでした。
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11/30 10:29
近道しようと思ったら、結局削られた岩崖沿いを歩く羽目に、申し訳ありませんでした。
ロケット広場を見下ろしますが、よそ見していると危ないです。
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11/30 10:29
ロケット広場を見下ろしますが、よそ見していると危ないです。
結局作業道をジグザグ登って行きます。
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11/30 10:33
結局作業道をジグザグ登って行きます。
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11/30 10:40
そして標高680mの表示、この一画に
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11/30 10:46
そして標高680mの表示、この一画に
峯の御嶽山の石造物が集積されています。削られた石灰岩の崖が祭壇の感じになっています。一番手前の石祠は平成に鉱山会社が建てたもの。崖の最上部にもあります。
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11/30 10:47
峯の御嶽山の石造物が集積されています。削られた石灰岩の崖が祭壇の感じになっています。一番手前の石祠は平成に鉱山会社が建てたもの。崖の最上部にもあります。
御嶽講紋「山〇三」の三連石祠、柱が一本倒れていましたが…
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11/30 10:49
御嶽講紋「山〇三」の三連石祠、柱が一本倒れていましたが…
象冠の三笠山刀利天宮
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11/30 10:50
象冠の三笠山刀利天宮
こちらも三笠山だと思います。
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11/30 10:51
こちらも三笠山だと思います。
お子を抱いた大江大権現
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11/30 10:52
お子を抱いた大江大権現
虎冠の八海山提頭羅神王
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11/30 10:54
虎冠の八海山提頭羅神王
t:八海山提頭羅神王の背面。帯やお召し物の裾の彫りまでお見事!かなり腕のいい石工の仕事に思えました。
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11/30 11:05
t:八海山提頭羅神王の背面。帯やお召し物の裾の彫りまでお見事!かなり腕のいい石工の仕事に思えました。
t:グリチャミを置いて撮影するgodohanさん。この姿を見られる日が来るとは!
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11/30 11:10
t:グリチャミを置いて撮影するgodohanさん。この姿を見られる日が来るとは!
普寛行者
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11/30 10:54
普寛行者
そして御嶽山座王大権現
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11/30 10:55
そして御嶽山座王大権現
役行者
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11/30 10:56
役行者
倶利伽羅不動
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11/30 10:57
倶利伽羅不動
私が石分補給をしている間、とらZさんは倒れた石塔を直されていました。
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11/30 10:57
私が石分補給をしている間、とらZさんは倒れた石塔を直されていました。
前回降雨のため石祠は見ることができなかったので今回はそれを中心に。祭壇最上部の右側に並んでいる祠、
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11/30 10:58
前回降雨のため石祠は見ることができなかったので今回はそれを中心に。祭壇最上部の右側に並んでいる祠、
まずは八海山神像の左に「岩戸大神」(明治八年・・六月吉日,1875)
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11/30 10:58
まずは八海山神像の左に「岩戸大神」(明治八年・・六月吉日,1875)
続いて八海山神像の右から順番に、こちらは
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11/30 10:59
続いて八海山神像の右から順番に、こちらは
「武尊大権現」(明治二年巳四月吉日,1869)
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11/30 11:01
「武尊大権現」(明治二年巳四月吉日,1869)
「山神宮」(明治五申年十一月吉日,1872)
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11/30 11:03
「山神宮」(明治五申年十一月吉日,1872)
「琴平大神」(午十一月吉日)
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11/30 11:04
「琴平大神」(午十一月吉日)
あと3棟
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11/30 11:05
あと3棟
これはこれはの「阿留摩耶天狗」(明治五壬申年六月吉日,1872)
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11/30 11:06
これはこれはの「阿留摩耶天狗」(明治五壬申年六月吉日,1872)
<参考>吾野、秩父御嶽神社の阿留摩耶天狗像
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12/1 8:30
<参考>吾野、秩父御嶽神社の阿留摩耶天狗像
無銘(午十一月吉日)
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11/30 11:06
無銘(午十一月吉日)
「秋葉山」(明治二年巳四月吉日,1869)
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11/30 11:08
「秋葉山」(明治二年巳四月吉日,1869)
二段目の石祠
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11/30 11:09
二段目の石祠
「石尊大神」(大正十五年四月吉日,1926)
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11/30 11:09
「石尊大神」(大正十五年四月吉日,1926)
神銘はあるようですが判読困難「午十一月吉日」
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11/30 11:10
神銘はあるようですが判読困難「午十一月吉日」
右?「(午)十一月吉日」、左は
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11/30 11:11
右?「(午)十一月吉日」、左は
「明見大菩薩」(明治二年巳正月吉日,1869)*妙見のことでしょうね。
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11/30 11:12
「明見大菩薩」(明治二年巳正月吉日,1869)*妙見のことでしょうね。
「大日尊」、台石に「小澤邑 講中一同 世話人 関良右エ門」、
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11/30 11:13
「大日尊」、台石に「小澤邑 講中一同 世話人 関良右エ門」、
背面には「慶應四辰閏四月」(1868)
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11/30 11:14
背面には「慶應四辰閏四月」(1868)
とらZさんが柱を直してくださいました。最後に参拝して下山します。
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11/30 11:17
とらZさんが柱を直してくださいました。最後に参拝して下山します。
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11/30 11:23
t:表妙義の金洞山。中央に西岳、右が中ノ岳、左が星穴岳。中之嶽神社の大黒様が目立ってますね😳
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11/30 11:24
t:表妙義の金洞山。中央に西岳、右が中ノ岳、左が星穴岳。中之嶽神社の大黒様が目立ってますね😳
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11/30 11:33
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11/30 11:33
広場に戻って、日向ぼっこしながらランチ、何かピクニックみたい!南牧『信濃屋嘉助』の嘉助ロールといただいたお菓子も。
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11/30 11:48
広場に戻って、日向ぼっこしながらランチ、何かピクニックみたい!南牧『信濃屋嘉助』の嘉助ロールといただいたお菓子も。
t:毛無岩をこんな風に眺めるのは初めてでした!
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11/30 12:06
t:毛無岩をこんな風に眺めるのは初めてでした!
帰り道、とらZさんが気になった道を行くと、何と神社がありました!さすが神社マニアのレーダーは感度抜群ですね!
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11/30 12:44
帰り道、とらZさんが気になった道を行くと、何と神社がありました!さすが神社マニアのレーダーは感度抜群ですね!
鉱山関連の山ノ神でしょうか。
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11/30 12:44
鉱山関連の山ノ神でしょうか。
さらにその道を辿ると、
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11/30 12:52
さらにその道を辿ると、
先代の鉱山施設の遺構がありました。さらに尾根筋を下って行くと、車道に出ました。
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11/30 12:53
先代の鉱山施設の遺構がありました。さらに尾根筋を下って行くと、車道に出ました。
近くには以前気になった霊神碑があり、地元の方によるとやはりここが昔の山道の入口ということでした。「御嶽當山開闢 権大講義関長吉郎儀重霊神 中講義茂木琴和謹書」
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11/30 13:04
近くには以前気になった霊神碑があり、地元の方によるとやはりここが昔の山道の入口ということでした。「御嶽當山開闢 権大講義関長吉郎儀重霊神 中講義茂木琴和謹書」
お話をうかがった方にいただいたユズ
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11/30 13:30
お話をうかがった方にいただいたユズ
車道を下って行くと、とらZさんが上部の山斜面に覆屋を見つけ確認にいきました。
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11/30 13:33
車道を下って行くと、とらZさんが上部の山斜面に覆屋を見つけ確認にいきました。
小さな御本殿がありました。
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11/30 13:35
小さな御本殿がありました。
さらに同じパターンで確認に行ってみると、
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11/30 13:42
さらに同じパターンで確認に行ってみると、
石燈籠両基に拝殿、さらにその奥に石宮がありました。
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11/30 13:44
石燈籠両基に拝殿、さらにその奥に石宮がありました。
御本殿は石祠が三基
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11/30 13:43
御本殿は石祠が三基
石燈籠は「安永五丙申(年)九月吉日(1776) 當所茂木伊惣治」江戸物でした!
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11/30 13:44
石燈籠は「安永五丙申(年)九月吉日(1776) 當所茂木伊惣治」江戸物でした!
対面する四ッ又山がいい感じです。ただ川向うは熊の出没が頻発しているそうです。
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11/30 13:46
対面する四ッ又山がいい感じです。ただ川向うは熊の出没が頻発しているそうです。
ゴールです!私的にはとても楽しい山行になりましたが、とらZさんには付き合わせてしまった感じで申し訳ありませんでした。
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11/30 13:53
ゴールです!私的にはとても楽しい山行になりましたが、とらZさんには付き合わせてしまった感じで申し訳ありませんでした。
t:地下駐車場でそれぞれの車に乗り帰路へ。お疲れさまでしたー!大満足な山行でした😆♪
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11/30 13:54
t:地下駐車場でそれぞれの車に乗り帰路へ。お疲れさまでしたー!大満足な山行でした😆♪
t:時間が早かったので吉井町の牛伏山に寄り道。ツメレンゲが二株だけ残っていました😊
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11/30 15:27
t:時間が早かったので吉井町の牛伏山に寄り道。ツメレンゲが二株だけ残っていました😊
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