記録ID: 1845993
全員に公開
ハイキング
近畿
戦国歴史絵巻−小谷城址・賤ヶ岳
2019年05月12日(日) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:37
- 距離
- 16.8km
- 登り
- 1,019m
- 下り
- 1,012m
コースタイム
天候 | 晴れ! |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2019年05月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
小谷城址:小谷城戦国歴史資料館前の駐車場 賤ヶ岳:余呉湖観光館 |
写真
撮影機器:
装備
個人装備 |
長袖シャツ
Tシャツ
ソフトシェル
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
靴
ザック
サブザック
|
---|
感想
戦国時代の小説を読み直しており、信長もの、秀吉ものと読み進め、現在は家康もののうち関ヶ原の戦いあたり。
そんな中、 hiroyanagi さんのレコ
余呉湖一周山巡り(大岩山〜賤ヶ岳〜大平良山)
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1812981.html
に強い興味を覚えました。
yo4ee さんのレコ
小谷山--戦国時代に思いを馳せて
https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-1758395.html
も参考にして、小谷城址、賤ヶ岳をセットで登りました。
その前に、元亀元年(1570年)の姉川の合戦場跡にも寄りました。
姉川の合戦から3年後、天正元年(1573年)に小谷城は落城し、浅井氏は滅亡。
さらに10年後の天正11年(1583年)、賤ヶ岳の戦いに敗れた柴田勝家は、その後、北ノ庄城で自刃。
歴史にifはないのかもしれないけど、浅井氏が信長に背かなければ、小谷城での秀吉の活躍はなく、その後の大出世はなかった。。。
また、佐久間盛政が賤ヶ岳の奇襲のあと、柴田勝家の言い付け通りその地に留まらず引き返していれば、七本槍は当然なくこの合戦の行く末は・・・勝家と家康が組んで戦国が続くとか。。。
そして、ゆくゆく現在の日本はどうなっていたんだろう?
歴史を考えながらの山歩きとなりました。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:844人
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する