秋山二十六夜山


- GPS
- 03:36
- 距離
- 6.8km
- 登り
- 588m
- 下り
- 590m
コースタイム
12:37 明星平
12:59 二十六夜山
14:39 下尾崎バス停
14:44 尾崎バス停
天候 | 曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2013年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
危険箇所はありません。 かなりの急坂ですので、雨の後などはご注意下さい。 キイロスズメバチを多数見かけました。 10月くらいまでは念のためご注意下さい。 |
写真
感想
二十六夜山。
南都留にはこの秋山の二十六夜山の他、都留市にも存在します。
そちらは以前登りました。
手狭な山頂ながら眺望に優れ、感慨に浸ったのを覚えています。
今回はその二十六夜山でも、秋山村のそれです。
調べる限りでは、既に廃れて久しく、景観も大分変わっている
ということらしく、今回は歴史探訪を目的に足を運んでみました。
まず下調べでとても参考になったwebページがこちらです。
http://www.maroon.dti.ne.jp/starlore/bunka/kbunkazai.html
二十六夜山と呼ばれる山が三つあったこと、
二十六夜以外にも多くの月待信仰があったこと、
色々と知ることができました。
娯楽の少ない昔の農村部で、山に登れる体力のある若衆が集い、
頂で酒や博打を興じながら月が上るのを待ちました。
二十六夜の月は、深夜2時半頃昇ってきます。
愛染明王になぞらえ、養蚕を司るとも言われています。
かつては、カヤトの原で眺望に優れ、
遠く江戸の川を行き交う帆掛け船が見えたとの話もありますが、
今は自然林にすっかり覆われ、眺望もカヤトも全くありません。
ネットの情報やガイドさんの話も交えながら、
私の想像で少し語ってみます。
この地に二十六夜講が伝わったのは、多分江戸時代かと思います。
娯楽の少ない山間部で、まつりとして始まったのでしょう。
頂上部のカヤトは、その際に野焼きがなされたのではないかと
推察します。いずれにしても、二十六夜の月を拝む環境として、
山の頂でなければならない山奥ですから、これは自然の流れでしょう。
まつりが娯楽を兼ねているように、二十六夜講も村人の楽しみ
だったに違いありません。しかし登ってみて感じましたが、
とても万人向けではありません。大変です。特に子供や老人は、
恐らく参加することは厳しかったかと思われます。
そうなると、集うのは元気な若衆ばかりだったでしょう。
そして、山間部に点在する集落の若衆が、年に二度、
一同に集う楽しいイベントだったと想像できますね。
女衆だけ集まったという話もありましたが、
資料が極端に少なく、確証は得ていません。
女衆だけだとすれば、正月二十六夜は女正月という形式でも
あったかもしれませんが、少し遅いですし本来の信仰と
離れすぎる気もします。
二十六夜塔が明治に建てられ、大正の末頃まで続いていましたし、
男女共に集ったのではないかという気もしています。
とすれば、今でいう合コンのような、
出会いの場だったかもしれませんね。
愛染明王にあやかる男女の集い?
……なら面白いなと。
それなら資料となる書物が残りにくい理由にもなる気がしますし、
後の世にその様子が伝わりにくい、そんな想像も止みませんね。
全国的に多い二十三夜は間違いなく養蚕に関連しますし、
講があっても二十六夜山とは別物ではなかったかと思います。
南都留に2つあるこの山はきっと、似たようなものだったはず。
最初は月待の神聖な行事だったでしょうが、
明治の頃は楽しいイベントだったことに間違いないでしょう。
昭和の不況からか、それとも近代化によるものか、
二十六夜講は消え失せます。そして石塔と山だけが残った。
低山から高山まで、概して神々しいばかりの山々にあって、
この二十六夜山はその位置付けがかなり明確に、
娯楽的要素を今に伝える貴重な山です。
合コンだったかどうかはわかりませんが、
高尾山のビヤマウントの、謂わば元祖には違いありませんね(笑)
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