夢のアフリカ最高峰、キリマンジャロ(5,895m)(1992年1月)

- GPS
- 200:00
- 距離
- 64.8km
- 登り
- 4,017m
- 下り
- 4,001m
コースタイム
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 0:30
- 合計
- 9:30
天候 | 晴れ |
---|---|
アクセス |
写真
感想
ケニアの青年海外協力隊時代に任国外研修旅行で登ったキリマンジャロ登山の様子をヤマレコに転載します。
日本の山すらほとんど登ったことのなかった私ですが、今に続く山登りの原点とも言うべき登山です。
■1日目、マンダラハットへ(1550m-2700m)
朝起きるとどこまでも透き通るようなアフリカ晴れで、体調もまずまずであった。長年の夢であったキリマンジャロへ挑戦するにしては、 気持ちの方は落ち着いていた。 なんと言っても私の目標は頂上(5895m)への到達である。 まだまだ浮かれるには早すぎる。キリマンジャロ関係の本によれば、頂上まで行けるのは登山者の半分以下、アルピニストでさえ高山病にかかれば下山を余儀なくされるそうだ。 逆にまったくの私のような素人が平気で登る場合もあるのだそうだ。その成否は一言で言えば高山病次第とも言うわけである。
朝9時、マネージャー、ガイド、ポーター、 そして私の3人はまず車でマラング ゲート(1829m)へ向かった。 途中でガイドとポーターが肉や野菜などの食料をてきぱきと買う。30分程でゲートに到着し入山の手続きをした。他のパーティーもちらほら見えるが、皆団体のようである。
ゲートの近くの木には下のような案内があり、私たちはその前で記念撮影しいよいよ登山を開始した。
初めの道はジャングルを切り開いた幅が4メートル程ある道で、だらだらとした登りである。時折ジャングルの奥から猿や得たいの知れぬ動物の鳴き声が聞こえる。天気がよく日差しが強いので、歩いているとかなり汗ばんでくる。
自分なりにトレーニングはしてきたので体力には自信があり、勾配も全く大したことはなかったのだが、ガイドにはできるだけゆっくり登るように頼んだ。とにかく恐かったのは、高山病である。高度に適応するため、なるべくゆっくり一歩一歩確かめるように着実に登っていった。私たちを追い抜くパーティーもあったが、私はあくまでマイペースを守った。
1時間ほどすると道の幅は半分以下となり、勾配も少しきつくなった。それでもまだ尾瀬のハイキング並の登りである。ただ違うのはジャングルの中なので、木という木には緑の綿のような苔がぶら下がり、湿っているので下が滑りやすいのだった。
私としたら自分の歩けるペースの7割程のペースで歩いたのだが、2時間40分程でジャングルが突然開け、あっけないほど早く1日目の目的地マンデラハットに到着した。
そこはびっくりするほどの大きなキャンプサイトで、真ん中には3階建ぐらいの食堂兼社交場の建物、回りには多くのバンガロウが囲んでいた。バンガロウに行ってみるとこれまた驚いた。それはヨーロッパを思わせるりっぱなもので、なんと中には太陽電池式の蛍光灯まである。入山料がとてもアフリカとは思えない理由の一つはこれらの施設にあるのだろう。
まだまだ驚くのは早かった。夕方コックに変身した我がガイドとポーターは、大都会ナイロビでも食べれないような食事を作ってきたのであった。それはスープから始まり、メインの肉料理、ピラフ、スパゲティ、デザート、そして最後にコーヒーまでついた。私は唖然としてしまい、思わず出された食事の写真を取ってしまった。
ガイドが「うまいか」と尋ねる。もちろん私は、「うますぎる」と答えた。
回りの他のパーティーの食事を見ると、白いテーブルクロスまで広げてまるで高級レストランである。これはある程度予想はしていたもののナショナルパークと同じで、完全にヨーロッパ人が自分達用に作り上げたシステムのようだ。
余談になるがみなさんはご存知であろうか、野生の王国ケニアでライオンを見たことのない人が多いことを・・。ナショナルパークには車がないと入れないので、一般の人は見ることができないのである。
もっとも車があったとしても動物を見たがるかと言えば、疑問ではある。おそらくナショナルパークよりはディスコ、動物よりはビールを選びそうな気はするが・・・・。
■2日目、ホロンボハットへ(2700-3729m)
トーストと目玉焼きの簡単な朝食の後、 私たちは今日の目的地ホロンボハット(3729m)を目指して出発した。 歩き始めて20分ほどは前日と同じようなジャングルであったが、それを抜けると見晴らしのすばらしい草原となった。その先はなだらかな道が続く。そして徐々に、岩でごつごつした男性的なマウエンジ峰と雪に輝くキボ峰が姿を現してきた。
天気もいいし体調もすこぶるいい。この程度の高度ならば、以前エチオピアのアジスアベバ(2400m)で生活し周辺の山へ登っていたので、まだまだ余裕である。 気分は楽しいハイキングであった。 ときどき行き違う登山者とは「ジャンボ!(こんにちわ)」とスワヒリ語で挨拶をする。その表情から何となく頂上へ行けたががわかる。その中の一人が、「ゆっくり登って、水を飲みなさい」とアドバイスしてくれた。理由はよくわからないが、それからは水をどんどん飲み始めた。
ところでポーター達と言えば、20キロ位はあると思われる荷物を頭にのせてバランスをとり身軽に歩いている。彼らの中には、ナイロビ製160円の古いビーチサンダルで登っている者までいる。彼らにとってはキリマンジャロとは言っても何でもないようである。彼らの足の裏をもってすれば、裸足ででも登ることは可能であろう。
高度が増すにつれいろいろな植物が目を楽しませてくれる。特に目を引いたのは、まるでツクシを巨大にして上に葉をのせたような奇妙なセネシオという植物である。その姿は滑稽でさえあった。
そうこうしているうちに、 5時間の行程を3時間40分で目的地ホロンボハット(3729m) に到着した。ここも前日のマンダラハットよりは規模が小さいものの、食堂兼社交場の建物とバンガロウからなる立派なものであった。
割り当てられたバンガロウへ行くと、すでに先客が一人いた。けれども様子がおかしい。顔は真っ青だしぴくりとも動かないで、死んだようにベットで寝ているのだ。病気かしらと思っていると若い女性が現れた。様子を聞くと、連れの男性は高山病で寝込んでいるらしい。この二人、わざわざフランスから来たらしいが、この男性が高山病のためやっとのことで途中から引き返してきたということだ。
上の様子をいろいろ尋ねると「とにかく手袋と帽子と厚いジャケットは絶対必要」とのこと、私は軍手とペラペラのジャケットだけである。いざとなったら頭にバンダナでも巻こうか思っていたが、これはまずい。でも今更遅すぎる。ケニア人の友達には「日本人はキリマンジャロなんか問題じゃない」と大見栄を切ってきたのだ。寒いから帰ってきたなんて冗談じゃない。もうここまできたら行くしかないのだ。
私の方は今のところ山の影響はまったくなかったので、マウエンジ峰を見ながらセネシオの林を散歩したり食堂で友達に手紙を書いたりしてのんびりと過ごした。しかし帰りにトイレに行ったら、思わず目をそらしてしまった。そこは、げろげろのゲロの海なのだ。それを見た途端、私は初めて気分が悪くなってしまった。どうやらこの高度になるとそろそろ高山病の人が多くなるようである。
いよいよ明日からは富士山の高度を越える。本当の勝負が始まるのである。
■3日目、キボハットへ(3729-4703m)
朝起きるとまず自分の体をチェックしてみた。頭、よく眠れたので平地にいる時よりすっきりしている。足、全く何でもない。お腹、しっかりすいている。どうやらどこも異常がないようだ。今日からは私にとって完全に未知の標高になると思うと不安ではあるが、あとは運を天に任せるだけである。今夜、正確には明日の午前一時には、いよいよ頂上へのアタック開始である。成功の鍵は今日にあると言ってもいいかも知れない。
バンガロウを出ると、目の前には昨日雲の下に隠れていた景色が広がっていた。私は思わずバンガロウがあるサイトの縁の所まで駆けた。手前には黄色の可憐な花をつけた高山植物、その奥には深緑のジャングル、そして遠くにはもやに霞んだ大平原がどこまでも続く。その光景は、しばらく時間のたつのを忘れてしまいその場に立ちつくしてしまうほどのものであった。
朝8時頃、ひんやりとした空気の中を私たちはキボハットへ向かって出発した。出発してすぐは急な坂が続くが、それを越すと湿原が現れた。小さな流れはマウアリバー(3940m)である。ふつうはこの先にも水場があるのだが、今はここが最後の水場である。冷たい水を飲めるだけ飲み、水筒に水を補給した。しばらく湿原を歩き続けるとLast Water Pointである。やはりほとんど水はない。
湿原を抜けると目の前には目指す最高峰のキボ峰、右手にはマウェンジ峰が迫ってくる。周りは徐々に赤土色の砂漠のような景色になり、その中を道はキボ峰へ一直線に続く。キボ峰は向かって左側が少し上がって傾斜しており、今の時期氷河はその高くなった部分にのみあるようだ。この道は右下の方に続いているので、最後は火口の縁を伝うようにして頂上へ行くことになるのだ。
この頃になるとときどき他の登山者を追い抜くようになった。彼らのペースはかなり落ちて苦しそうだ。もう4000mは軽く越しているのだから仕方あるまい。私もまったく無理はせずのんびりと歩く。一日目から同じペースで歩いているのだが、さすがに呼吸が早くなってきている。
いよいよキボ峰に近づくと周りは大きな岩がごろごろするガレ地となった。その中にトタン屋根のキボハット(4703m)が見えてきた。 結局この日も5時間の行程を3時間40分でハットに到着することができた。心地よい疲労を感じる。さっそくポーターがコーヒーをいれてくれた。
夕方までは日向ぼっこをして過ごし、その間に他のパーティーも次々にハットに到着してきた。
このハットは私が山小屋に持っていたイメージ通りのもので、いくつかの大部屋に分かれている。私が一緒になったのはドイツからケニア山とキリマンジャロを登りに来たグループであった。彼らは先週ケニア山に登ったらしいが、雨のため断念したそうだ。それだけに意気込みはあるのだろうが、高山病と疲労のため元気がない。
けれども装備の方は万全で、厚手のジャンパーや登山靴、手袋と私の装備と比べたら完全武装である。何と中には大きなスーツケースを持参している人もいる。さぞかしポーターは大変だったことだろう。私の装備と比べたらとても同じ山に登っているとはとても思えないが、私は気力だけは負けていない。そう思いながら、私は大きくなってきたスニーカーの穴を日本から持参した瞬間接着剤で塞いで、頂上アタックに備えるのであった。
夕方ビスケットなどの簡単な食事をすると翌日に備えて早めに寝袋に潜り込んだ。ところが日が暮れると気温はどんどん下がっていった。寝袋に入っていても寒くてとても眠れたものではない。頂上アタック用にぺらぺらジャケットなどは着ていなかったのだが、これではその前に凍えそうである。
もうこうなると背に腹はかえられない。持ってきたジャケットを着込み、ジャージの上にGパンをはく。それでもこの寒さは予想以上である。体の芯まで染み込むような寒さだ。しまいには軍手、バンダナ、すでに汚れた下着や靴下まで身に付け寝袋に潜り込んだ。何とか眠ろうとするが、結局まったく眠れないのであった。
とりあえずここは南半球なので、今は夏だから大丈夫だろうと思っていた私は甘かった。室内でもこの寒さである。まして外のことを考えると・・。眠れないことも気にかかる。徹夜で登って体力が持つのであろうか・・。
頂上アタックは数時間後だ。自分でも驚いたことに、呼吸が早くなっていることを除けば高山病の症状は何もないことだけが救いであった。
■4日目、ギルマンズピークへ(4703-5685m)
「Mr. Masa、そろそろ時間です、準備をしてください」
午前0時半、ポーターが私を起こしにきた。私の方はこの6時間、寝袋の中で必死に寒さに耐えていたので、目を覚ます必要はなかった。準備と言っても持ってきた服は既にすべて身につけていたので、後は寝袋を出てスニーカーを履くだけである。寝袋から出るのが一瞬ためらわれたが、思い切って這い出す。同じ部屋のドイツ人のグループもごそごそと起き出してきた。
ポーターが部屋まで運んできてくれたビスケットと紅茶の朝食?をとる。標高の為だろうか紅茶はぬるい。まったく食欲はないが、体を内側から暖めようと無理矢理胃に押し込んだ。今からが本当の勝負だと自分に言い聞かせ何とか気合いをいれる。しかし徹夜と寒さのためか体調はよいとは言えない。じっとしていると寒さがたまらないので、常に体を動かし続ける。
ガイドのサファエリが現れた。彼も昨日までとは違って、とっておきの登山靴を履き毛糸の帽子、手袋、ジャンパー、ウインドブレイカーなどの完全武装である。昨日までのあの”おっさん”と言った雰囲気はない。彼は余りにも貧相な私の格好を見て思案顔である。なにしろ私の格好は、基本的にはナイロビで勤務先への通うのと変わらないのであるから・・。
彼はおもむろにジャンパーの上に着ていたウインドブレイカーを脱ぐと自分の手袋とともに「これを身につけるように」と差し出してきた。余りの寒さにめげそうになっていた私である。この申し出は何物にも代えられないほどうれしかった。けれども、ウインドブレイカーはともかく手袋無しでは彼だって辛いだろう。彼にそのことを言い、いったんは申し出を断った。それでも彼は「自分は平気だ」と言うので、ちょっと心苦しかったが、彼の温もりが残るウインドブレイカーと手袋を借りることになった。まだまだほかの人に比べたら頼りない装備ではあったが、ウインドブレイカーと手袋、そしてサファエリの気遣いで私は精神的にも非常に楽になった。
ここから先はサファエリと私のみで頂上へ向かう。午前1時、他のパーティーに先駆けて私たちはポーターに見送られて頂上を目指し始めた。
外は星もなく真っ暗である。私の目ではほとんど何も見えないに等しい。サファエリはさすがにアフリカ人であるから夜でも目が見える。私は彼の背中だけを頼りに一歩一歩登り始めた。
今までの登りに比べ勾配は比較にならないほどきつく、道は勾配を避けるために斜面をジグザグに刻んでいる。火山レキのため下は崩れやすく歩きにくい。スニーカーではなおさらである。ときどき足を滑らせ思わず両手で斜面をおさえる。火山レキを崩して大きな音を立てる度に、サファエリが振り向き注意を促した。
あたりは真っ暗であるのでどのくらい登ったかは、全くわからない。ただ登り始めた頃は、次々登ってくるパーティーの懐中電灯の明かりが下の方に見えていたのだが、それもいつのまにか見えなくなってしまった。
空気が薄いため私の呼吸はまるでマラソンでもしているようである。体力にはある程度自信のあった私ではあったが、20分も歩き続けると休まざるをえない。学生時代は肺活量の測定器を振り切ったこともあった自慢の肺だが、空気を求めて喘ぐ。
登り続けているときは寒さもさして気にならないのだが、休憩のため立ち止まると猛烈に寒い。困ったことに昨日の夜冷えたのであろうか、お腹が猛烈に痛くなってきた。よりによってこんな標高でそれも夜中である。しばらく我慢していたが、もう限界である。私はなるべく風の当たらないところを探して、思いきって用を足した。風は容赦なく私のお尻に襲いかかる。まさに身をもって寒さを感じることになってしまった。
私が斜面と格闘しているときもサファエリと言えば、手袋がないので両手をズボンの後ろのポケットに入れて、あたかも公園でも散歩するかのように軽々と登っている。私が休憩の時ゼイゼイと呼吸しているのに、彼はこの空気の薄い中でタバコをうまそうに吸うのだから、彼の肺はどんな構造になっているかと目を疑ってしまった。
いつまでこの登りが続くのだろうと思われたが、 5時頃にはギルマンズピーク(5685m)に到着した。 ここは火口の縁にあるはずだが、あたりはまだ真っ暗でほとんど何も見えない。知り合いの協力隊員も何人かキリマンジャロには挑戦しているが、多くはこのピークまでである。本当のピークであるウフルピークまではあと標高差200m程なのだが、ここからが根性のみせどころである。ふつうはここで御来光を見ることになる。しかしこのまま登れば頂上で見ることができそうだ。サファエリにそのことを伝え少し休むといよいよ最高峰を目指し最後の歩を進めた。
■夢のアフリカ最高峰、ウフルピークへ(5685-5895m)
火口の縁を一路頂上を目指して登る。残すところ標高差は約200mである。徐々に夜が明け周りが明るくなってきた。それにつれて私が今巨大なクレーターを伝うようにして登っているのがわかってきた。反対側の縁にはどうやら氷河らしきものも見えてきた。なんとか日が昇る前までに着きたいので、私の歩けるトップスピードで歩く。もうここまで来たら休憩などいらない。装備のことも寒さのことも何もかも忘れ、ひたすら歩を進めた。
ギリマンズピークから約1時間ほどして、比較的平らなところに出た。あたりを見渡すとこの辺が一番高いようだ。サファエリに「ここがピークか?」と尋ねた。「もうすぐだ」と彼は答えた。さらに5分ほど歩くと臼明かりの中に何やら旗らしいものが見えてきた。もしかしたらピークかと思い、私はサファエリを追い抜いて駆け寄った。数本の旗のもとには木箱と銅版も見える。
サファエリが「ここがピークだ」と指さした。ついに来たのだ! 私は思わずサファエリと両手で固く握手をした。なんとも言えない満足感が私を包む。ついに登りきったのだ。ここがアフリカ最高峰(5895m)なのだ!! 今アフリカで一番高いところにいるのが自分だと思うとなんとも不思議な気分である。植村直己も立ったこの地に自分もいるのだと思っただけで感無量だ。思わず空気が薄いことも忘れ、そこいら中を駆け回ってしまった。
一息入れるため、リュックに入れてきた水を取り出した。水はシャーベット状になっていて飲めないほどである。サファエリとともになんとか溶かして水を飲む。少し落ちつくと木箱を開け中のノートを取り出した。ボールペンで自分の名前を書くのだが、余りの寒さのためボールペンのインクも固まってうまく書けない。これまた暖めてやっとのことで書くことができた。
まもなく少しずつ東の空がオレンジがかってきた。どうやら下の方は一面見渡す限りの雲海のようである。すぐそばには切り立った山頂を持つマウエンジ峰、遠くには山々が雲海の中からまるで島のように浮かび上がって見える。
空はオレンジ色からピンクに近い色へと変わっていく。その中を雲を突き抜けるように真っ赤な太陽が姿を現してきた。それにつれて周りの景色もはっきりしてきた。
まるで命を取り戻したかのように、雲、氷河や雪、そして山々は一斉に輝きだした。太陽がキリマンジャロに、そしてアフリカ大陸に命を吹き込んでいるように感じられる瞬間だった。
真っ赤な太陽、頭上の青い雲、透き通るように青白く林立する氷河、そしてきらめく雪が繰り広げる大パノラマは、今までの辛さをいっぺんに忘れさせてしまうものであった。
キリマンジャロに立った今、 私の心はキリマンジャロとともにアフリカ三山と呼ばれ、 美しさから言ったらキリマンジャロ以上というケニア山(5199m)に向かっているのだった。私はケニア山にも必ず登ることを太陽に誓った。
■一路下山
帰りは競歩かと思わせるようなハイスピードで下り始めた。 ホロンボハット(3729m)まで頂上からなんと4時間弱で下山した。 特にキボハットまでは、サファエリのまねをしての斜面を一気に直滑降で駆け降りたのだからたまらない。火山レキは私のふくらはぎまでくるほどで、スニーカーはぼろぼろになるし、膝はガクガクになりハットに着いたときにはまるで病人のようになってしまった。サファエリとポーターはその日のうちに登山口のマラングゲートまで行きたがったが、私はもう限界であったので半分泣き顔で断った。
5日目に無事にマラングゲートに到着したのだが、足の方は下りの無茶がたたり歩くのもやっとの状態となってしまっていた。なんとか麓のモシという町のYMCAへたどりつきしばしの休息を取ることにしたのであった。(実際は数日間も部屋からも出れないようなひどい状態でした)
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