玉川土手〜地蔵禅院〜山吹山〜三上山☆南山城の桜の名所と丘陵を巡る


- GPS
- 05:25
- 距離
- 15.9km
- 登り
- 746m
- 下り
- 733m
コースタイム
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
下山は棚倉駅へ |
コース状況/ 危険箇所等 |
特に問題なし |
写真
感想
京都の桜も満開の季節を迎えている。昨年の花見を兼ねた常神半島の縦走に味をしめたせいか、家内が花見を兼ねた山行がいいというので、南山城に桜を訪ねることにする。
京都駅を出発する奈良線の車内はかなり混雑しているが、乗客の多くは外国人のようだ。次の東福寺と稲荷で乗客の大半が降りると車内は急に静かになる。
玉水の駅で降りる。玉水駅にはかつての水害の際にここまで流されてきたという巨石があることが内田嘉宏氏の本に記されている。列車を降りる間際に「石があるかな」と家内に話しながら降りるがホームのどこにも見当たらない。どうやら私の先ほどの呟きが先に降りた男性の耳に届いていたらしい。「石はこっちですよ」と跨線橋の階段の裏手を示して下さる。これは余程、注意深く探さないと目に入らないだろう。
玉水駅の改札口には数組のハイカー達で賑わっていた。玉川の桜を見に来られた人達だろう。駅前から早速にも玉川の土手の桜が目に入るが、まずは東口に回って大きな石を見に行く。駅舎の裏手にあるので、この石の存在を知らなければここを訪れる人も滅多にいないだろう。
石の前の小さな石碑には昭和28年8月15日に生じた南山城水害のことが記されている。
「前夜来の雨は時間雨量百五十ミリを超える稀有の集中豪雨となった。そして暗夜の中に猛り狂った水魔は町も人も一瞬のうちに蹂躙、一夜明けた町は百七人の犠牲者を含む無惨な受難地獄であった。」
6トンもの重量のあるこの石はその水害の際に玉川からこの駅まで押し流されてきたものらしい。ちなみに新しい駅舎を作る際にこの石も撤廃されかけたが、地元の人々の強い要望により残されることになったらしい。
線路に沿って駅から南に歩くとすぐに奈良線の上を跨ぐ玉川が目に入る。典型的な天井川なので高架で線路の上を川が流れているのだ。天井川であることが氾濫した際の被害をさらに甚大なものにしたようだ。
玉川のほとりに立つと圧巻の桜並木が目に入る。この桜並木は上述の痛ましい水害で破壊された玉川の土手を復旧整備した際に復興を祈念して植樹されたもので、およそ1.5kmの長さに渡り500本の桜が植えられている。昭和35年のことというので、かれこれ70年近く前のことだ。
下流に向かって歩いてみる。山吹橋という名称の橋の上では婚礼の装いの若い男女をカメラマンの女性が写真に収めている。どうやらいいタイミングで結婚されたようだ。
土手にはところどころに黄色い山吹の花が咲いており、桜の花と綺麗なコントラストを見せてくれる。山吹の花は井出町の花らしい。奈良時代に左大臣であった橘諸兄が玉川沿いに山吹を植えたとのこと。
上流で川が北に向かって緩くカーブするあたりで桜の並木は終わる。丁度、山背古道と交差するポイントになっている。山背古道に入り、この日のもう一つの桜の目当て、地蔵禅院に向かう。広々とした山裾を歩くと休憩施設があり、地元の人が多く集まっていた。井手町のまちづくりセンター「椿坂」らしく、手作りこんにゃくなどの地元が特産品が並べられている。美味しそうではあるが、この日はまだ先が長いのでこんにゃくは諦めて、お茶のみを購入する。建物の中には山背(やましろ)古道の無料のパンフレットがあったのでリュックに忍ばせる。
地蔵禅院のある山の中腹でも多くの桜が満開の花を咲かせている。玉津岡神社の参道の石段を登ってゆくと、神社の手前を左折したところにあるこじんまりとした小さな寺が地蔵禅院であった。ここは十年以上前に桜の季節に訪れたことがあるが、既にその記憶は薄れている。
見晴らしの良い境内からその下の斜面に向かって優美な枝振りの枝垂れ桜が目に入る。桜の花期は既に終盤に入っているようではあったが、十分に見応えのある花を見せてくれる。枝垂れ桜に並んで、境内のほぼ中央にはソメイヨシノがほぼ満開であった。この樹も井手町の水害の復興を祈念して植えられものらしい。玉川の土手の桜と同じ株なのだろう。
もっと多くの人が訪れているものかと思ったが、我々が訪れた時にはひと組の先客がいるばかりで、静かな雰囲気だった。境内には他にもさまざまな春の花が咲いていた。玉津岡神社の参道沿いでは射干(シャガ)草の花も咲いている。
地蔵禅院を後に先ほどの玉川まで戻る。橋を渡ると左手に小さな水車が回っている。その前ではまた数人の地元の方が集まっており、お茶やタケノコの佃煮が売られている。一つ購入していくことにした。「ここ井手町はタケノコの名産地なんです。長岡京のあたりが有名ではありますが」と男性の方が仰る。確かに周囲には竹林が広がっている。
その先の角を曲がり、山吹山に向かう。すぐにも林道の両側には竹林が広がるようになる。竹林の中をゆっくりと歩いている男性がおられる。ご挨拶をして「筍を探しておられるんですか?」とお伺いすると「そうや、地面から出ている奴はもう売り物にならんでな」とのことだった。地中にある筍を掘り当てるのは素人には容易に真似の出来るようなものではなさそうだ。
やがて林道から分岐する細い道に「弥勒石仏」の案内標がある。山吹山の登山口でもあるようだ。細い道を進むと左手の大きな岩に線刻された石仏が現れる。三体ある筈ではあるが、左の像は不明瞭であり、中央の像は辛うじて顔をそれとなく認識出来るほどのものだった。「戦乱や苦しい生活に喘ぐ農民が心の拠り所として刻んだもの」であることが記されていた。風化しつつある石仏の柔和な表情は農民達の平和への願いが込められているのだろう。
緩やかに雑木林の中を登ってゆく。登山道沿いでは三葉躑躅が花盛りであり、芽吹きだしたばかりの新緑と色鮮やかなコントラスを見せてくれる。この日の空気は春の陽気に満ちており、かなり暖かい。緩い登りでも汗ばむが、登山道が尾根に出ると早速にも下から涼しい風が吹き上がってくるのが有難い。
尾根を左手に外れたところにある展望地からは尾根の先に新緑に彩られた形の良いピークが見える。山吹山だろう。やがて尾根は二重尾根の植林の中に入ってゆく。山吹山の山頂が近づくと植林から再び自然林が広がるようになるが、山頂は尾根上の通過点のような、樹林に囲まれた地味な場所だった。
東に進むと登山道は南側斜面をトラバースするようになるが尾根を辿って三角点ピークを訪れる。踏み跡の不明瞭な雑木林の中を進むと三角点の柱石がある。その周囲に幾つもの小さな山名標が架けられていることに驚く。点名は山吹という。ピークの東側には薄い踏み跡とテープ類が現れる。この時期はまだ虫が少ないから良いが、もう少し季節が進むと雑木林の中には蜘蛛の巣が張り巡らされることになるだろう。
三角点から先に進むと尾根上に忽然と舗装林道が現れる。三上山の手前までしばらくはこの舗装路を辿ることになる。
まもなく有王山(ありおうざん)への分岐が現れるので、寄り道してみることにする。ネットで有王山を検索すると後醍醐天皇が笠置山から落ち延びたところと出てくるが、植林の中の小さなピークであり、すぐ近隣にも同様の高さの小ピークに囲まれているので、果たして他所から見ても山と認識出来るか疑問である。分岐には案内標の類いは一切、見当たらなかったが樹に巻かれた黄色いテープには「らくなんトレイル」と書かれている。
再び舗装林道に戻り、道なりに降ってゆくと忽然と畑が現れる。数軒の民家がある。周囲は木津川市の山城町になるが、この小さな集落は飛地として綴喜郡の井手町に属する。地図を見るとこのあたりは市郡界の境界線が非常に複雑に入り組んでいる。前回、ここを訪れたのは神童寺から北山を経て三上山に周回した時であるが、子供達が遊んでいて驚いたのだった。民家の前では日向ぼっこをしている数匹の猫がじっとこちらを見つめていた。
飛地を過ぎると道路は集落の西側の尾根に登ってゆく。道路沿いでは芽吹いた新緑が色鮮やかだ。多くの樹に黒い小さな身がついているので、ヤシャブシであることが判る。これからの季節は舗装路歩きはアスファルトから立ち上る輻射熱が堪らないが、この季節はまだ風が涼しいのが嬉しい。
三上山への分岐でようやく山道に入ると、わずかばかりの登りで山頂に到着する。コンクリートの堅牢な展望台の上からは360度の展望が広がり、南山城のなだらかな山並みの眺望を堪能する。
展望台の下は東屋風の休憩所になっており、小さな犬を連れたご夫婦が休憩しておられた。我々も片隅でランチの支度を始めると、ご夫婦はすぐにも出発されていかれた。この日はソーセージと家から持参したピラフをフライパンで温める。
下山はかいがけの道と呼ばれる長い尾根道を下る。初めのうちこそ下りがあるが、すぐにもなだらかな尾根道が続くようになる。満開の三葉躑躅の花々が登山道を華やかに彩っている。左下の谷からは風に乗って賑やかな声が聞こえてくるのはキャンプ場に来られたキャンパーたちのものだろう。
再び舗装林道に出る。キャンプ場へ降ってゆく道路から分岐して細い尾根道に入ると、尾根上には自転車やバイクのものと思われるタイヤの痕が続いている。しばらく行くと原付バイクが止められていた。バイクの主の姿は見当たらなかったが、山菜でも探しておられるのだろうか。
尾根を下るにつれて両側には竹林が広がるようになる。竹林からは舗装路に飛び出すが、すぐに右手の小さな丘陵に登る小径を辿る。舗装路を先に進んでしまうと駅まではかなりの遠回りになるのだが、ここは案内標も何もないのでわかりにくいところだ。
竹林から抜け出し、のどかな田園風景の中を歩くと正面に鎮守の森が目に入る。湧出宮の神社のある森だ。鎮守の森を抜けるとすぐに棚倉駅に到着する。
井手町のまちづくりセンターで頂いた山背古道のパンフレットを開いてみると手書きのイラストと共に詳細な情報が盛り込まれた立派な冊子であった。また来年の桜の季節にでも訪れてみたいものだ。
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