きれいなWCをお借りして、蓬莱島公園Pをスタートです。「金ヶ嶽ハイキングコース」なんてのがあるのね。この手の情報を得るのがホント不得手です。
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きれいなWCをお借りして、蓬莱島公園Pをスタートです。「金ヶ嶽ハイキングコース」なんてのがあるのね。この手の情報を得るのがホント不得手です。
こちらが金ヶ嶽、後半に伺います!
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こちらが金ヶ嶽、後半に伺います!
旧道を歩いていると八坂神社の石宮と大黒天、バックは宝登山方面
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旧道を歩いていると八坂神社の石宮と大黒天、バックは宝登山方面
荒川と宝登山、タイムリーに先程までNHKラジオ『山カフェ』の「山からおはよう」のコーナーで中継されていました。
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荒川と宝登山、タイムリーに先程までNHKラジオ『山カフェ』の「山からおはよう」のコーナーで中継されていました。
大手桜、天神山城大手門にあった桜(諸説あり)だそうで、これは本日の山旅に幸先の良い出会いです。現樹は樹齢約200年の二代目、品種はエドヒガン桜、氏邦桜と繋がりましたね。
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大手桜、天神山城大手門にあった桜(諸説あり)だそうで、これは本日の山旅に幸先の良い出会いです。現樹は樹齢約200年の二代目、品種はエドヒガン桜、氏邦桜と繋がりましたね。
良い青標がありました。正面「約 秩父町へ四里 小鹿野町へ六里 寄居町へ二里半 熊谷町へ七里」右「大正八年十月建之(1919)白鳥青年団井戸支(部)」
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良い青標がありました。正面「約 秩父町へ四里 小鹿野町へ六里 寄居町へ二里半 熊谷町へ七里」右「大正八年十月建之(1919)白鳥青年団井戸支(部)」
左「向 右 井戸 下田野 皆野ㇸ至ル 左 岩田 金尾 樋口 道」、背「白鳥村大字井戸岩田」
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左「向 右 井戸 下田野 皆野ㇸ至ル 左 岩田 金尾 樋口 道」、背「白鳥村大字井戸岩田」
そして白鳥神社、目の前の県道はいつも通過するだけで参拝は初めてです。
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そして白鳥神社、目の前の県道はいつも通過するだけで参拝は初めてです。
祭神は菅原道真(天神様)、日本武尊、埴山姫命。古く岩田(白鳥)武信が勧請し白鳥天神宮と称す。北条氏邦はこの白鳥大明神を崇敬し根古谷城を天神山城と改名。
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祭神は菅原道真(天神様)、日本武尊、埴山姫命。古く岩田(白鳥)武信が勧請し白鳥天神宮と称す。北条氏邦はこの白鳥大明神を崇敬し根古谷城を天神山城と改名。
「白鳥村道路元標」がありました。
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「白鳥村道路元標」がありました。
明治三年、天満天神社。明治九年、白鳥神社。明治四十年、丹生・思金・八幡社を合祀。社殿右手は稲荷社のようです。
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明治三年、天満天神社。明治九年、白鳥神社。明治四十年、丹生・思金・八幡社を合祀。社殿右手は稲荷社のようです。
左手の山肌に石宮が見えます。
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左手の山肌に石宮が見えます。
かつては「椿の森」だったそうですが、江戸期には全て伐採されたとのこと。その復活を目指してか椿のような木がたくさん植樹されているようでした。
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かつては「椿の森」だったそうですが、江戸期には全て伐採されたとのこと。その復活を目指してか椿のような木がたくさん植樹されているようでした。
登山(登城)口から少し登った所にある石宮、本日は初天神なので“天神様”をお連れしました。
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登山(登城)口から少し登った所にある石宮、本日は初天神なので“天神様”をお連れしました。
真中は京都北野天満宮、両脇は横浜磯子区にある岡村天満宮(♪ゆずの聖地)の西瓜天神
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真中は京都北野天満宮、両脇は横浜磯子区にある岡村天満宮(♪ゆずの聖地)の西瓜天神
山道の途中から適当に山腹をトラバースします。
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山道の途中から適当に山腹をトラバースします。
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石積ではなさそうですが…
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石積ではなさそうですが…
竪堀を越えると、
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竪堀を越えると、
腰廓
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腰廓
長瀞アルプス方面
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長瀞アルプス方面
竪堀、これを登りつめると
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竪堀、これを登りつめると
石積がありました。
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石積がありました。
その上の腰廓
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その上の腰廓
観光地時代のゴミ箱が転がっています。
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観光地時代のゴミ箱が転がっています。
腰廓
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腰廓
腰廓
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腰廓
石積
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石積
石積、
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石積、
大堀切と(本郭へ渡る)橋、どうやら二の郭の西斜面をウロウロしていたようです。
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大堀切と(本郭へ渡る)橋、どうやら二の郭の西斜面をウロウロしていたようです。
2段になっている本郭の上段に、
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2段になっている本郭の上段に、
かつて観光開発された模擬天守閣があります。子供の時以来、50年以上ぶりの再訪ですが、
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かつて観光開発された模擬天守閣があります。子供の時以来、50年以上ぶりの再訪ですが、
無残に廃墟化されています。往時は国道140号からも山頂に建つ白亜の天守が良く見え、子供心にワクワクしたものです。
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無残に廃墟化されています。往時は国道140号からも山頂に建つ白亜の天守が良く見え、子供心にワクワクしたものです。
本郭の東は急斜面になっています。竪堀でしょうか。
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本郭の東は急斜面になっています。竪堀でしょうか。
北側、天守の背面
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北側、天守の背面
その一画に「奥社」の石宮がありました!こちらを天神山221.8m山頂といたしましょう。手前は天守閣から落ちた瓦でしょうか。ミツウロコではなく天神様の梅の紋所ですね。
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その一画に「奥社」の石宮がありました!こちらを天神山221.8m山頂といたしましょう。手前は天守閣から落ちた瓦でしょうか。ミツウロコではなく天神様の梅の紋所ですね。
「昭和九年十一月」とあるので当然、観光開発以前の祠になります。ただ“陸軍特別大演習の記念”に建てられたようで、若干テンションは⤵寄附者は秩父町のお方
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「昭和九年十一月」とあるので当然、観光開発以前の祠になります。ただ“陸軍特別大演習の記念”に建てられたようで、若干テンションは⤵寄附者は秩父町のお方
北側の腰廓
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北側の腰廓
本郭から神社からの山道にある広めの腰廓を見下ろします。
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本郭から神社からの山道にある広めの腰廓を見下ろします。
それでは改めて二の郭に向かいます。ロンドン橋にならないことを願って渡ります。左にWCだった建屋があります。
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それでは改めて二の郭に向かいます。ロンドン橋にならないことを願って渡ります。左にWCだった建屋があります。
二の郭は広い平場になっていますが、開発で改変されているようです。西斜面には先程歩いた腰廓群、東斜面下方にはこれから向かう出郭があるようです。
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二の郭は広い平場になっていますが、開発で改変されているようです。西斜面には先程歩いた腰廓群、東斜面下方にはこれから向かう出郭があるようです。
観光時代の櫓が残っています。
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観光時代の櫓が残っています。
二の郭東斜面の竪堀
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二の郭東斜面の竪堀
石積が残っています。
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石積が残っています。
ここにも
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ここにも
同じく竪堀
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同じく竪堀
三の郭の手前には…これは重機による開発時のものでしょうね。
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三の郭の手前には…これは重機による開発時のものでしょうね。
三の郭
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三の郭
三の郭南の切岸と横堀
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三の郭南の切岸と横堀
三の郭の石積
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三の郭の石積
ネット情報で気になっていたお地蔵様はこちらに。紀年銘はありませんが、おそらく観光地時代のものでしょう。
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ネット情報で気になっていたお地蔵様はこちらに。紀年銘はありませんが、おそらく観光地時代のものでしょう。
何かの建物がありました。
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何かの建物がありました。
ここも大きく削平されているようです。P跡?
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ここも大きく削平されているようです。P跡?
それではいよいよ出郭に向かいましょう。作業道らしきものを下って、まずは谷筋へ行ってみます。
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それではいよいよ出郭に向かいましょう。作業道らしきものを下って、まずは谷筋へ行ってみます。
低湿地帯、ヌタ場になっているようです。
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低湿地帯、ヌタ場になっているようです。
この辺りから左の山肌に取り付きます。
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この辺りから左の山肌に取り付きます。
地形図からはわからない結構深めの谷になっています。
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地形図からはわからない結構深めの谷になっています。
その源頭部へ下ります。
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その源頭部へ下ります。
ここが水田跡でしょうか。
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ここが水田跡でしょうか。
竪堀を登ると、
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竪堀を登ると、
横堀
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横堀
横堀からの
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横堀からの
竪堀
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竪堀
竪堀
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竪堀
横堀
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横堀
出郭の周囲には横堀が巡らされています。
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出郭の周囲には横堀が巡らされています。
その先は急斜面です。
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その先は急斜面です。
横堀と切岸
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横堀と切岸
尾根筋にある堀切
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尾根筋にある堀切
出郭の上部、ちょっとブラブラして周囲を見下ろしてみます。
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出郭の上部、ちょっとブラブラして周囲を見下ろしてみます。
竪堀と横堀が交差
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竪堀と横堀が交差
横堀
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横堀
竪堀
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竪堀
横堀、切岸の比高差がかなりありますね。
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横堀、切岸の比高差がかなりありますね。
雨乞山、さらにこの右方向には陣見山も見えました。
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雨乞山、さらにこの右方向には陣見山も見えました。
それでは尾根上の堀切を越えて、
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それでは尾根上の堀切を越えて、
稜線上の二の郭へ登って行きます。
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稜線上の二の郭へ登って行きます。
腰廓
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腰廓
二の郭端のWC跡の所に出ました。
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二の郭端のWC跡の所に出ました。
堀切の橋からの眺め
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堀切の橋からの眺め
奥社に戻って初天神の記念撮影会
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奥社に戻って初天神の記念撮影会
梅の紋所と天神様御一行
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梅の紋所と天神様御一行
同じ色味のお二人
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同じ色味のお二人
オヤツにしました。
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オヤツにしました。
荒城の月、ならぬ“バナナスペシャル”
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荒城の月、ならぬ“バナナスペシャル”
一応、石祠と模擬天守閣のツーショットも撮っておきましょう。
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一応、石祠と模擬天守閣のツーショットも撮っておきましょう。
北尾根を下ります。腰廓の先は、
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北尾根を下ります。腰廓の先は、
急傾斜です。アンテナのコードはロープ代わりに再利用されていました。
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急傾斜です。アンテナのコードはロープ代わりに再利用されていました。
腰廓?か横堀か?
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腰廓?か横堀か?
左、不動山から雨乞山あたりの山並み、その麓ではカラフルな秩鉄の車両が走り過ぎていきました。
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左、不動山から雨乞山あたりの山並み、その麓ではカラフルな秩鉄の車両が走り過ぎていきました。
鉄塔越しに陣見山が見えました。
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1/25 12:18
鉄塔越しに陣見山が見えました。
おだやかな尾根道です。
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おだやかな尾根道です。
集落に降りて青石の二十二夜塔と天神山
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集落に降りて青石の二十二夜塔と天神山
天神山を見上げる、よくみると山頂部の天守閣のシルエットが確認できます。
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1/25 12:40
天神山を見上げる、よくみると山頂部の天守閣のシルエットが確認できます。
またまた二十二夜塔(明治十年,1877)
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またまた二十二夜塔(明治十年,1877)
山肌に稲荷社(王霜?稲荷大明神)
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山肌に稲荷社(王霜?稲荷大明神)
金ヶ嶽、目立ちますね。
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金ヶ嶽、目立ちますね。
ここにも「弐十二夜塔 明治十九年三月(1886)祭之 女人講中」
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1/25 13:01
ここにも「弐十二夜塔 明治十九年三月(1886)祭之 女人講中」
法善寺参道入り口右手に「抜苦与楽」地蔵尊、枝垂れ桜が咲くと人気の写真スポットになるようです。
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1/25 13:13
法善寺参道入り口右手に「抜苦与楽」地蔵尊、枝垂れ桜が咲くと人気の写真スポットになるようです。
左に「金嶽山法善寺」の寺号標、
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1/25 13:16
左に「金嶽山法善寺」の寺号標、
並んで「如意輪尊 寛政十二庚申歳五月二十二日(1800) 當所中郷女人講中」これも二十二夜塔ですね。さらにお隣には青石のカッコいい庚申塔もありました。
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1/25 13:17
並んで「如意輪尊 寛政十二庚申歳五月二十二日(1800) 當所中郷女人講中」これも二十二夜塔ですね。さらにお隣には青石のカッコいい庚申塔もありました。
法善寺、開基は初代天神山城主藤田康邦(寄居町の正龍寺も開基)
北条氏康三男の氏邦を養子に迎え花園城に引退。位牌は両寺に安置。寺宝に金ヶ嶽より落下した和同があるそう。
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1/25 13:19
法善寺、開基は初代天神山城主藤田康邦(寄居町の正龍寺も開基)
北条氏康三男の氏邦を養子に迎え花園城に引退。位牌は両寺に安置。寺宝に金ヶ嶽より落下した和同があるそう。
藤田康邦の墓
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1/25 13:21
藤田康邦の墓
それでは金ヶ嶽へ向かいます。鳥居前に庚申塔「寛政十一己未年六月吉日(1799)」と風化した青面金剛庚申塔
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1/25 13:26
それでは金ヶ嶽へ向かいます。鳥居前に庚申塔「寛政十一己未年六月吉日(1799)」と風化した青面金剛庚申塔
春日神社の参道が登山道になっているようです。
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1/25 13:26
春日神社の参道が登山道になっているようです。
金ヶ嶽の説明板、山頂には春日神社(琴平神社合祀)、丹治姓のある奉納額があり、武蔵七党中丹党の根拠地であった資料とされるが、盗まれたらしい。
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1/25 13:27
金ヶ嶽の説明板、山頂には春日神社(琴平神社合祀)、丹治姓のある奉納額があり、武蔵七党中丹党の根拠地であった資料とされるが、盗まれたらしい。
登山道(参道)に沿って流れる銅の入り沢の自然銅採掘跡、下の抗は下部に水が溜まっています。
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1/25 13:42
登山道(参道)に沿って流れる銅の入り沢の自然銅採掘跡、下の抗は下部に水が溜まっています。
途中に会った中世板碑、近くには妙音寺跡があったらしいが、よくわかりませんでした。
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1/25 13:47
途中に会った中世板碑、近くには妙音寺跡があったらしいが、よくわかりませんでした。
こちらは上の抗、沢沿いと注意深く見てきたつもりですが案の定、中の抗は見逃してしまったようです。
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1/25 14:00
こちらは上の抗、沢沿いと注意深く見てきたつもりですが案の定、中の抗は見逃してしまったようです。
上の抗にチョット入ってみました。さらに奥まで行けそうですね。
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1/25 14:00
上の抗にチョット入ってみました。さらに奥まで行けそうですね。
出口
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1/25 14:01
出口
銅坑探しはここまで、憂いなく山頂を目指します。ネット情報によれば、待ち人(神)がいらっしゃるようです。
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1/25 14:03
銅坑探しはここまで、憂いなく山頂を目指します。ネット情報によれば、待ち人(神)がいらっしゃるようです。
岩根山、葉原峠方面の分岐を通り過ぎて、
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1/25 14:20
岩根山、葉原峠方面の分岐を通り過ぎて、
思ったよりも立派な建屋が見えてきました。
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1/25 14:22
思ったよりも立派な建屋が見えてきました。
こちらが本来の参道のようですね、次回の宿題にいたします。
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1/25 14:23
こちらが本来の参道のようですね、次回の宿題にいたします。
春日神社、ところが楽しみにしていた待ち人(神)が何処にも見あたりません。
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1/25 14:26
春日神社、ところが楽しみにしていた待ち人(神)が何処にも見あたりません。
一段高い所にレジ袋の「金ヶ嶽373m」がありました。しかし此処にもありません。あれ?何処行っちゃったんだろ?後ろ髪を引かれながら下山します。
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1/25 14:32
一段高い所にレジ袋の「金ヶ嶽373m」がありました。しかし此処にもありません。あれ?何処行っちゃったんだろ?後ろ髪を引かれながら下山します。
岩根山方面の分岐まで戻ると、そちらの方向に峰のようなものが見えたので、もしや?と思って行ってみると、ピンポンでした。
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1/25 14:40
岩根山方面の分岐まで戻ると、そちらの方向に峰のようなものが見えたので、もしや?と思って行ってみると、ピンポンでした。
「御嶽大神」、待ち人(神)はこちらにいらっしゃいました!願主、紀年銘等はありませんが、新しい物のようですね。
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1/25 14:41
「御嶽大神」、待ち人(神)はこちらにいらっしゃいました!願主、紀年銘等はありませんが、新しい物のようですね。
御嶽の祀られた峰を見上げます。この後5台のMTB集団に下り道を譲りました。
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1/25 14:44
御嶽の祀られた峰を見上げます。この後5台のMTB集団に下り道を譲りました。
下の分岐まで戻りました。登って来た道の先の沢沿いの道と沢を渡る山道があり、後者へ、
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1/25 14:50
下の分岐まで戻りました。登って来た道の先の沢沿いの道と沢を渡る山道があり、後者へ、
でも渡ってすぐの峰に登ります。九十九の急登をひと頑張りすると、
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1/25 14:53
でも渡ってすぐの峰に登ります。九十九の急登をひと頑張りすると、
ピークの肩になりました。そのすぐ先が最高点(後から稲荷山という名があることをしりました)でしたが、
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1/25 14:58
ピークの肩になりました。そのすぐ先が最高点(後から稲荷山という名があることをしりました)でしたが、
今回はここからの尾根を下ってみました。
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1/25 14:59
今回はここからの尾根を下ってみました。
思ったよりも歩き安い尾根
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1/25 15:00
思ったよりも歩き安い尾根
こんな所も
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1/25 15:12
こんな所も
お隣には先程の金ヶ嶽
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1/25 15:18
お隣には先程の金ヶ嶽
不動山と野上の街並み
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1/25 15:19
不動山と野上の街並み
ちょっと登り返して、
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1/25 15:21
ちょっと登り返して、
255峰は特に何も無しでしたが、
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1/25 15:22
255峰は特に何も無しでしたが、
直下に神社の建屋が見えました。
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1/25 15:24
直下に神社の建屋が見えました。
琴平神社とのこと
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1/25 15:26
琴平神社とのこと
枯葉の積もった参道を慎重に降りると、
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1/25 15:27
枯葉の積もった参道を慎重に降りると、
こちらにも春日社。金ヶ嶽の春日神社+琴平神社とこちらの両社は何か関係があるのでしょうか。
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1/25 15:33
こちらにも春日社。金ヶ嶽の春日神社+琴平神社とこちらの両社は何か関係があるのでしょうか。
境内にあった中世板碑
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1/25 15:34
境内にあった中世板碑
参道を下って里に降ります。
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1/25 15:37
参道を下って里に降ります。
鳥居には「春日社」の神額
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1/25 15:39
鳥居には「春日社」の神額
県道を歩いていると山裾に「梅ヶ井」の説明板
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1/25 15:42
県道を歩いていると山裾に「梅ヶ井」の説明板
神社前には近年の石燈籠といくつか石塔がありました。
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1/25 15:43
神社前には近年の石燈籠といくつか石塔がありました。
まずは「馬頭尊<剥落>十四年九月十十七日 野口」
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1/25 15:44
まずは「馬頭尊<剥落>十四年九月十十七日 野口」
これは嬉しい!「普寛霊神/大正三年十一月十八日(1914) 影山喜三郎刻」
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1/25 15:45
これは嬉しい!「普寛霊神/大正三年十一月十八日(1914) 影山喜三郎刻」
「大己貴命 少彦名命/大正三年十一月十八日(1914) 」
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「大己貴命 少彦名命/大正三年十一月十八日(1914) 」
そして「御嶽皇大神/大正三年十一月十八日(1914) 野口鈴吉」です!
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1/25 15:51
そして「御嶽皇大神/大正三年十一月十八日(1914) 野口鈴吉」です!
「皇」は入るのは珍しいですね。
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1/25 15:51
「皇」は入るのは珍しいですね。
「摩利支尊天」も!
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1/25 15:53
「摩利支尊天」も!
こちらに何か建っていた痕跡、もしかすると御嶽皇大神は初めはここのあったにかも。
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1/25 15:54
こちらに何か建っていた痕跡、もしかすると御嶽皇大神は初めはここのあったにかも。
極小ですが、御嶽塚ですね!
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極小ですが、御嶽塚ですね!
ところでこれが梅ヶ井のようです。青石の囲い石がいいですね。
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ところでこれが梅ヶ井のようです。青石の囲い石がいいですね。
説明板には梅ヶ井神社とありますが、『地図で歩く秩父路』には御嶽神社とあります。内部には「御嶽皇大神」とある板の刀が奉納されていました。
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説明板には梅ヶ井神社とありますが、『地図で歩く秩父路』には御嶽神社とあります。内部には「御嶽皇大神」とある板の刀が奉納されていました。
神社の外にも同様の刀がありました。それと「秩父八所の一 梅ヶ井」の看板。偶然だと思いますが天神様の“梅”と繋がりましたね。
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1/25 15:56
神社の外にも同様の刀がありました。それと「秩父八所の一 梅ヶ井」の看板。偶然だと思いますが天神様の“梅”と繋がりましたね。
金石水管橋から荒川下流方面、昨年うめりん三銃士で歩いた北武蔵の稜線がキレイです。
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1/25 16:09
金石水管橋から荒川下流方面、昨年うめりん三銃士で歩いた北武蔵の稜線がキレイです。
荒川上流方面、その時のゴールがあの蓑山でした。
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1/25 16:09
荒川上流方面、その時のゴールがあの蓑山でした。
左が金ヶ嶽、辿った尾根筋がよくわかります。右の高い峰が稲荷山(未踏)のようです。
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1/25 16:11
左が金ヶ嶽、辿った尾根筋がよくわかります。右の高い峰が稲荷山(未踏)のようです。
ほぼダイヤモンド宝登山
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1/25 16:14
ほぼダイヤモンド宝登山
行きに気になっていた神社、人気があったので行ってみると犬の散歩中の母子がお婆さんとおしゃべり中でした。三島神社とのこと。
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1/25 16:18
行きに気になっていた神社、人気があったので行ってみると犬の散歩中の母子がお婆さんとおしゃべり中でした。三島神社とのこと。
そのお婆さんのお宅は元は天神山城のある山間にあったそうですが、何代か前に里に降りてきたそうです。その際に勧請したそうです。何故三島社なのかはわからないそうです。
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1/25 16:22
そのお婆さんのお宅は元は天神山城のある山間にあったそうですが、何代か前に里に降りてきたそうです。その際に勧請したそうです。何故三島社なのかはわからないそうです。
もしその御先祖が北条家臣で氏邦と共にこの地にやって来たとしたら三島社と所縁があっても不思議ではありませんね、と妄想。何れにしても最後の最後でまた天神山と繋がりました!
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1/25 16:23
もしその御先祖が北条家臣で氏邦と共にこの地にやって来たとしたら三島社と所縁があっても不思議ではありませんね、と妄想。何れにしても最後の最後でまた天神山と繋がりました!
駐車地へ戻ってゴールです。
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1/25 16:27
駐車地へ戻ってゴールです。
夕飯は小鹿野町の『どさん娘』さんへ。カレーチャーシュー麺(700円)と餃子(330円)
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1/25 18:25
夕飯は小鹿野町の『どさん娘』さんへ。カレーチャーシュー麺(700円)と餃子(330円)
もはやソウルフードですね!
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1/25 18:26
もはやソウルフードですね!
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