生駒/饒速日を祀る石切神社、上之宮、元宮詣

- GPS
- 06:03
- 距離
- 13.2km
- 登り
- 708m
- 下り
- 709m
コースタイム
| 天候 | 晴れ |
|---|---|
| 過去天気図(気象庁) | 2025年12月の天気図 |
| アクセス |
利用交通機関:
電車
(近鉄奈良線 石切駅からの周回でちょっとショートも) |
写真
…宮山に「上之社」が建てられ…(石切劔箭神社 公式HP[歴史])に該当するものと信じる。
このお宮があるから宮山、流れる川が宮川と思う。
https://www.ishikiri.or.jp/yuisyo/saijin/
一緒に橋コースを見に行くと、めいちゃんプレート発見!こっちがめいちゃんルートかな。
女性は布施の方(市内)、また会えますようにと挨拶して別れる
西陽があたる時間のここが好き
古事記の、ある場面がここ、と示されている!
神武東征で九州から大坂へ上陸、大和の豪族 長髄彦に撃退される。日の御子なのに日の出る東に向かったのが良くないと、ぐるりと紀伊半島を回って熊野から大和を目指したとされる。
長髄彦に撃退されたときに、磐余彦(神社)の兄 五瀬命はここで負傷した、という言い伝えによる
「彦五瀬尊御負傷の地と言い傳へらる」
感想
饒速日を祀る、石切劔箭神社、上ノ社、元宮に詣でた。
そして饒速日が天の磐舟で降臨した「哮峯」候補地の饒速日山でも手を合わせる。
下りは磐余彦が河内から大和に入った道とされる日下直越道を歩いた。
子供の頃に「古事記物語」という薄い本を繰り返し読んだ。
関東から大阪に移り住み、関西各地に散らばる地名が「記紀・万葉」で聞き覚えのある地名なので興味深々。
わが裏山の生駒、面白いなぁ!
饒速日詣でと、河内七面山神社を探検するツアー下見♪
---------------------------------------------------------------------
【石切神社 上ノ宮の婦道神社】
祭神であるトミヤヒメは、天孫降臨時代の大和の豪族「トミ長髄彦」の妹。天孫1饒速日(ニギハヤヒ)の后となる。
天孫2邇邇芸(ニニギ)が降臨して、その子孫 磐余彦(イワレヒコ、後の神武天皇)が九州から大和に向かう(神武東征)。その時に長髄彦&饒速日が抵抗するが、結局、饒速日は長髄彦を撃つ。そして磐余彦が神武として即位。
トミ(登美、鳥見)、今でも大和にはその名が残る。歴史とは勝ったものか作るのだ。
もともといた長髄彦、やってくる饒速日、あとから磐余彦(最終勝利者、神武天皇として即位)。地名には記憶の痕跡が残る。
【饒速日】
天磐船に乗り、河内の哮ケ峯に降り立つ。磐船を祀る神社は交野と、平石の2カ所にある。哮峯とされる山もいくつかあり、今回の饒速日山もその一つ。
各地に祀られている。
http://ikomakannabi.g1.xrea.com/katano-iwafune.html
【長髄彦】
大和の豪族の指導者か。一人の名前ではなく、首長は代々その名前だったかも。
天孫 饒速日を受け入れ、妹をその妃とした。
その後から来た軍勢に抵抗した。その軍がのちの神武天皇だった。
日本書紀では神武天皇に抵抗して逆賊かもしれないけど、あちこちに祀られている。
長髄彦と饒速日は同一人物とする説もあるようだ。
https://www.pref.nara.jp/miryoku/ikasu-nara/bunkashigen/main10633.html
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
kayo












髄→スネ→脛(太モモより下)から
長髄→長脛
と読み替えたら長い脚の人物(一族)となり 大和朝廷にまつろわぬ民すなわち土蜘蛛の棟梁だったのかな?
長髄彦、興味深いですよね
まつろわぬ民イコール土蜘蛛かはよく分からないけど、
トミ、の名を冠してるの大物かな?と。トミを連想する地域は広いから。
登美ヶ丘、鳥見山(こちらは宇陀市)、いずれも神武にゆかりのある地名なんです。
ウラヤマ生駒、楽しいです😊
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する