六甲全縦前夜決めて3時間寝て山にはお初のジョグシューで行ったら当然敗退した


- GPS
- 14:13
- 距離
- 33.3km
- 登り
- 2,465m
- 下り
- 2,407m
コースタイム
- 山行
- 12:19
- 休憩
- 1:43
- 合計
- 14:02
天候 | 晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2023年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
ただ地形的に六甲連山の尾根末端は確実に塩屋からなので、大会ではなく個人で歩く時は塩屋からというのも風情があってとても良いと感じた。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険というようなところはなかったと思うが、鵯越駅から菊水山への登山口にかけてと、再度山周辺は結構分かりにくいので、下調べと現地での何度もの確認が大事。 |
写真
後で分かるが現在一般的な縦走コースとしては右ではなく真っ直ぐ正面に進むのが正しかったよう。
そちらに行けば標識もあったんだろうか。
でもおそらくずっと街中を来るより今回の尾根末端からの方が雰囲気あると思うが、すごく細い道だったので全縦大会みたいに沢山の人数通るのは近所迷惑になるからこうなってるんやろうなと納得も。
ただ、以前テレビかネットか忘れたが加藤文太郎が歩いた道がまだ残っているという番組を見た記憶があり、もしかするとここかもと右に行ってみることに。
ただ、よく踏まれた現在の縦走路と違って結構ザレザレしているため、舗装路用の普通のジョギングシューズでは滑って結構気を遣った。
景観を考えてか多くなりすぎないよう必要以上には無いが、逆に必要な所には必ずある感じ。
こっちで合ってるはずだが標識が何も無いなと思っていても曲がるべき所に来れば必ずあった。
踏切撮ろうとして注意が散漫になってたらしく、まさにここから右に入る所見落として踏み切り渡って真っ直ぐ行ってしまった。
しばらく行ってイヤガ谷とかいう標識が出てきてそのわりに全縦標識が無いのがおかしいと思って慌てて戻ってきた。
後から考えるともうこのあたりから時間がないと感じて焦ってたのかも。
ほんとなら山嶺バイパスとかいう自動車専用道路の高架の下を通る林道歩くはずがその林道に入る所に気付かず上がってきたら目の前が施錠された柵で行き止まりに。
そんなはずがないとばかり写真の右側から乗り越えて出てきたこの場所はバイパス道路の脇。
この後なんとか戻ろうと歩道も無いバイパス歩いてたらでかいコンテナ車やダンプが飛ばしまくりでクラクション鳴らされ、そこで初めて自動車専用道路であることに気が付き、慌てて防音壁のような壁の隙間から崖を下ったら落ち葉の堆積でジョギングシューズではまったく止まらず2〜3回滑り落ち、おそらく同じようなことやった人がいるらしく細いロープ垂らしてあるのに気が付いて這々の体で何かの作業場らしきところに下り着き、ちょうどおられたおじさんに事情話すとそりゃえらい危ないことしたと、通った道が違うと、正しい道教えてもらってなんとかコース復帰。
もう自分でも焦ってるのが分かった。
途中から足の両小指薬指が痛くなってきてこれはマメが出来てしまったなと分かったが、特に後半は傾斜も結構きつくて治療する場所も無かったので、ここに着いてすぐ両足靴下脱いで特に酷かった両小指の水ぶくれを小さく切って水を出してバンドエイドで応急処置。
やはり普段使いには大きめの靴でも山用の中厚のソックスではきつくなってしまって指が押されてしまったよう。
その後知り合った方と話しながら軽く飯。
それにしても菊水山への道に入ったあたりですれ違った女の人には驚いた。
どう考えても山に関係ある人しか来るとは思えない所に普通におしゃれでパンプス姿の若い女の人が菊水山方向から下りてくる。
暗い時間だったりしたら心臓に悪そうだが、どう考えてもその格好で菊水山のあの傾斜を下ってきたとは思えず、もしかしたら少し先に見えてたダムに勤めてる人が気まぐれにそこを通って帰る所だったんだろうか。
鍋蓋山からここに来るまでは道が入り組んで非常に分かりにくく、街中よりも標識がイマイチ分かりにくいことが多かった。
なんとか間違わずにたどり着いたが、この手前の河原で若い人達が大勢騒いでいてその歓声が谷間に響いてたのには何事かと思った。
理想的には六甲山頂あたりで見たかった日の入りがもうこんなところで。
この後摩耶山上の道路を歩いていて見かけた標識の一つに六甲山山頂まであと7キロってあるのを見てこの日はもう無理と諦めが付く。
山で7キロって言ったら2時間以上。
六甲山頂に着くのは19時どころか20時近くかも。
宝塚からの終電は確か23時台。
六甲山頂から塩尾寺までヘッ電でこの足だと3時間以上かかるだろうし、そのあと宝塚駅まで疲れた足で3〜40分急な下りの舗装道路を下りなければならない。
何か一つでも遅れがあれば終電乗れずに家帰れない。
これは諦めなければならないと気持ちの整理をする。
一つには近くて昔からしょっちゅう来てるしヘッ電下山も何度もしてるという気楽さと、時間的にもし途中で諦めるにしても歩いて下りれるエスケープルートは幾つもあるという安心感があったと思う。
実際時間的に無理なことがはっきりしてしまい、日も沈んで暗くなってくる別荘地を急ぎ足で歩いてたら行き当たったのがこの標識。
使ったことないけど昔からのメジャーな道だった気がするし、真っ暗になってから山頂まで行ってももう意味も無く、そこからのエスケープルートになる七曲がりはそこそこ急で長く、時間も結構かかると思ったのでもうここから下りることに。
このあたりはまだ綺麗な道で、この下にもいったいどうやって建てたのかと思う場所に家があったりしてこれは楽出来るかななどと思ってたらそうでもなく、まあ昼間歩けばきっとハイキング道のようなんだろうけど途中結構ガラガラしたところも続くし、この靴で渡渉なんてしたくないななどと思ってたら小さいながら4〜5カ所も渡渉点出てきて、水量が多かったら完全に浸水してたなと水量少ないことにほっとしながら歩くハメに。
装備
個人装備 |
長袖シャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
靴
ザック
昼ご飯
行動食
非常食
飲料
地図(地形図)
コンパス
笛
ヘッドランプ
予備電池
GPS
ファーストエイドキット
保険証
時計
サングラス
タオル
ストック
カメラ
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感想
六甲全山縦走は何十年も前、まだ山歩きも始める前の高校生の時、新田次郎の孤高の人を読んで登山というより六甲全山縦走に興味を持ち、六甲山のガイドブックや地図を買い込んで自分なりに研究し、どこで調達したかワークブーツもどきの靴やでかいヘッドライトに手提げライト、おにぎり何個かやお菓子少々に水はどうしたんだったか、それらをペラペラのナップザックに放り込んで前夜は芦屋の知り合いの所に泊めてもらってすき焼きをご馳走になり、よく寝てしまって結局須磨公園を出発したのが確か7時半頃。
街中が分かりにくいに摩耶山までをガイドブックでなんとか乗り切り、六甲山頂に着いたのがおそらく19時くらいで陽が落ちて暗くなる頃だったから季節は夏前後だったのか。
そのあと道路から離れて山道に入っていくところがまるで暗黒のトンネル入って行くみたいで、でかいライト二つも点けても逆にライト当たってないところがますます闇に感じて怖くてしばらくどうしても入っていけなかったのを鮮明に覚えてる。
そのあとは宝塚まであまり記憶は無いが、おそらく22時半頃の電車に乗って帰った気がする。
その後、山に登るようになってそのうちまたと思いながら年月が経ってしまったが、先日、関西ではもうスノーシューでモフモフを楽しめる時期も終わったなと、さて次どこ行こうかと日曜に天気予報で翌日の月曜は丸一日晴れそうだというのを見て唐突に六甲全縦のことを思い出した。
季節的に陽のある時間がまだ短いけど、暑くもないだろうしなにより虫がいないので歩きやすそうとばかりなんの準備もしてなかったけど行くことに。
唯一つ、昔と比べて普段使ってる山靴で歩き通すだけの脚力体力はもう無いであろう事は自覚してたので、普段たまに使ってるちょっと大きめのジョギングシューズがあったのでソックスをファイントラックのドライレイヤー五本指とモンベルの圧迫サポートのある中厚手にしてそのジョグシュー履いて行くことに。
馬力で飛ばし続けることが出来た若い時ならともかく、これだけ準備不足に山で履いたこともない靴で行けると思ったのが今となっては信じられないが、まあそのくらい自分にとって六甲山って身近な存在なんだろう。
最近では登山の最初は調子を出すためにゆっくり歩き出し、後半スピード上げていけるような歩き方をしていて、今回も何も考えずにそうやってたら途中時間が無いことに気が付き、少し焦りだしたところで2回も道間違いをやっておそらく1時間近くロスし、その後飛ばし出したらやはりサイズが合わなかった靴のせいか足がマメだらけになって途中治療する羽目にもなり、そのあとも飛ばしに飛ばしたが、18時過ぎに摩耶山を過ぎたあたりの標識に六甲山頂まであと7キロって書いてあるのを見てこれはもう物理的に不可能だと分かって断念。
ただ、何十年前以来歩いたことのなかった摩耶山より西は今回どこにもまったく覚えが無く、新鮮な気持ちで歩けたし、また時間的予定をよく考えて前夜もちゃんと寝て最初からいつもよりちょっと速く歩いたり、靴も自分に合ったトレランシューズみたいなもの用意して道迷い無く行けばそれだけで2時間近く短縮出来そうということでもあり、もう少し早い時間にスタートすればまだやれるかもという手応えも感じたので、ちょうどもっと軽い靴買いたかったところだったので登山靴系よりトレランシューズ系に興味が湧いてしまった山行でもありました。
それにしても、前半早くに知り合って馬の背を一緒に通り、最後菊水山でマメの治療してた時に会った愛媛からの方はその後どうされたか。
自分はもう飛ばしてしまってアイスロードから下りるところまでもうお会いすることも無かったけど、初めてで大荷物の上に車を須磨に置いてこられたとのことだったが、上手く帰っておられればいいが。
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