記録ID: 6631675
全員に公開
ハイキング
志賀・草津・四阿山・浅間
安中〜松井田〜坂本〜軽井沢(中山道歩き旅第7回)
2024年04月07日(日) [日帰り]

体力度
4
1泊以上が適当
- GPS
- 09:30
- 距離
- 29.8km
- 登り
- 1,239m
- 下り
- 552m
コースタイム
日帰り
- 山行
- 8:44
- 休憩
- 0:46
- 合計
- 9:30
距離 29.8km
登り 1,239m
下り 558m
6:49
148分
スタート地点
16:19
ゴール地点
| 過去天気図(気象庁) | 2024年04月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
写真
横川駅着:9時17分
横川駅は信越本線の群馬県側の終着駅となっている。北陸新幹線が通じるまでは、長野県から先に向かう列車は全て横川駅に停車し、碓氷峠の急勾配を登る為の補助機関車を連結していた。この間の待ち時間を利用して名物の「峠の釜飯」を買うことも旅の楽しみであった。
横川駅は信越本線の群馬県側の終着駅となっている。北陸新幹線が通じるまでは、長野県から先に向かう列車は全て横川駅に停車し、碓氷峠の急勾配を登る為の補助機関車を連結していた。この間の待ち時間を利用して名物の「峠の釜飯」を買うことも旅の楽しみであった。
坂本宿:10時06分
坂本宿は碓氷峠の手前にある宿場で、徳川幕府が中山道を整備した際に計画的に設けられ、本陣2,脇本陣2、旅籠40軒の規模であった。往時、碓氷峠を越えようとする旅人の多くはこの宿場に投宿し、軽井沢宿から信州、飛騨路への旅を続けたものと思われる。
坂本宿は碓氷峠の手前にある宿場で、徳川幕府が中山道を整備した際に計画的に設けられ、本陣2,脇本陣2、旅籠40軒の規模であった。往時、碓氷峠を越えようとする旅人の多くはこの宿場に投宿し、軽井沢宿から信州、飛騨路への旅を続けたものと思われる。
安政遠足(とうあし)との分岐:13時22分
安中藩主「板倉勝明」が安政2年(1855)藩士鍛錬の目的で安中城から碓氷峠の熊野権現まで7里(約28キロ)の道を徒歩競争させたというもので我が国におけるマラソン大会のルーツとも云われている。
安中藩主「板倉勝明」が安政2年(1855)藩士鍛錬の目的で安中城から碓氷峠の熊野権現まで7里(約28キロ)の道を徒歩競争させたというもので我が国におけるマラソン大会のルーツとも云われている。
感想
早朝ホテルを出発し、松井田宿から横川駅、坂本宿を歩き、碓氷峠の登り口に着。準備を整え10時45分にスタート、出だしはやや急だが尾根に上がると平坦な道となり思いのほか歩きが捗る。中山道はあくまでも旅人の為の道であり、山中と雖も歩きやすい道となっている。旧碓氷峠に着いたのは14時07分であったので山中の歩行時間は3時間22分であった。ここまではそれほど疲れは感じていなかったが、碓氷峠から軽井沢駅までの約2時間の長い下り道が足に堪え、疲労困憊の状態で駅にたどり着いた。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:141人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
kmt












いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する