東武東上線・成増駅南口を出発
0
4/19 10:56
東武東上線・成増駅南口を出発
国道脇の側道を進み、新田坂に向かいます
0
4/19 11:03
国道脇の側道を進み、新田坂に向かいます
子育地蔵尊の門柱を入るとお地蔵様や常夜燈、石祠、道祖神が並んでいます
0
4/19 11:08
子育地蔵尊の門柱を入るとお地蔵様や常夜燈、石祠、道祖神が並んでいます
その先の八坂神社は京都八坂神社を勧請したもので天王さまとも呼ばれるとか
0
4/19 11:11
その先の八坂神社は京都八坂神社を勧請したもので天王さまとも呼ばれるとか
八坂神社付近の新田坂から先は新田宿といわれ
0
4/19 11:14
八坂神社付近の新田坂から先は新田宿といわれ
新田宿の終わりは白子川といわれます
0
4/19 11:16
新田宿の終わりは白子川といわれます
白子川に架かる白子橋には「くつが鳴る」のプレートが付けられています
0
4/19 11:17
白子川に架かる白子橋には「くつが鳴る」のプレートが付けられています
道が直角に曲がると白子宿。その先、右の路地奥に熊野神社があります
0
4/19 11:20
道が直角に曲がると白子宿。その先、右の路地奥に熊野神社があります
熊野神社の発祥はおよそ一千年前といわれ、白子の鎮守さまとして栄えたそうです
0
4/19 11:22
熊野神社の発祥はおよそ一千年前といわれ、白子の鎮守さまとして栄えたそうです
境内右手のツツジの咲く小山は富士塚で明治3年(1870)に築造されたもの
0
4/19 11:23
境内右手のツツジの咲く小山は富士塚で明治3年(1870)に築造されたもの
本殿左の階段を上がると清龍寺不動院。天長7年(830)の創建という
0
4/19 11:25
本殿左の階段を上がると清龍寺不動院。天長7年(830)の創建という
富士山の溶岩で作られたという塚には観世音菩薩や猿田彦大神が祀られ
0
4/19 11:25
富士山の溶岩で作られたという塚には観世音菩薩や猿田彦大神が祀られ
その横には延長25mの洞窟があり胎内巡りをすることで開運を授かることができるとか
0
4/19 11:30
その横には延長25mの洞窟があり胎内巡りをすることで開運を授かることができるとか
白子宿から大阪通りを上がり、この先で笹目通りを渡ります
0
4/19 11:37
白子宿から大阪通りを上がり、この先で笹目通りを渡ります
立派な洋風フェンスの中に大きな古民家。お住まいの方によると昔は武家屋敷だったとか
0
4/19 11:47
立派な洋風フェンスの中に大きな古民家。お住まいの方によると昔は武家屋敷だったとか
その先の民家にもかなりの歴史を感じる
0
4/19 11:48
その先の民家にもかなりの歴史を感じる
浅久保通りを上って行くと八重桜が満開
0
4/19 11:51
浅久保通りを上って行くと八重桜が満開
都道と合流したら斜め左に都道を進みます
0
4/19 11:56
都道と合流したら斜め左に都道を進みます
朝霞市に入り、幸町3丁目交差点の先、整形外科の看板右側の道に入ります
0
4/19 13:15
朝霞市に入り、幸町3丁目交差点の先、整形外科の看板右側の道に入ります
坂を下って行くと左側に膝折不動尊。ご近所の方によると成田山から勧請したものとか
0
4/19 13:20
坂を下って行くと左側に膝折不動尊。ご近所の方によると成田山から勧請したものとか
膝折不動尊前の急坂が稼ぎ坂と呼ばれていることも教えて下さいました(振返り撮影)
0
4/19 13:22
膝折不動尊前の急坂が稼ぎ坂と呼ばれていることも教えて下さいました(振返り撮影)
膝折宿の入口にある一乗院へ。門柱横には「一乗院の板石塔婆」の標柱
0
4/19 13:25
膝折宿の入口にある一乗院へ。門柱横には「一乗院の板石塔婆」の標柱
コンクリート製の小屋の中に、鎌倉時代から室町時代の約150基の板碑を見ることができます
0
4/19 13:30
コンクリート製の小屋の中に、鎌倉時代から室町時代の約150基の板碑を見ることができます
一乗院の創建年代は不詳ですが、霊亀2年(716)に高麗郡が設置された後の戦乱を逃れた高麗氏が創建したとか
0
4/19 13:37
一乗院の創建年代は不詳ですが、霊亀2年(716)に高麗郡が設置された後の戦乱を逃れた高麗氏が創建したとか
街道右手の古民家は高麗家住宅。屋号を村田屋という旅籠で、膝折宿の脇本陣だったそうです
0
4/19 13:43
街道右手の古民家は高麗家住宅。屋号を村田屋という旅籠で、膝折宿の脇本陣だったそうです
膝折町1丁目交差点を左折して黒目川を渡ります
0
4/19 13:53
膝折町1丁目交差点を左折して黒目川を渡ります
膝折町3丁目交差点先の二又に庚申塔が立っていました
0
4/19 13:56
膝折町3丁目交差点先の二又に庚申塔が立っていました
坂を上がると横町の六地蔵に着きます。六地蔵は享保17年(1732)、地蔵菩薩立像は正徳4年(1714)のもの
0
4/19 14:21
坂を上がると横町の六地蔵に着きます。六地蔵は享保17年(1732)、地蔵菩薩立像は正徳4年(1714)のもの
野火止大門の交差点を左へ。筋向いには茅葺屋根の古民家
0
4/19 14:29
野火止大門の交差点を左へ。筋向いには茅葺屋根の古民家
交差点には「金鳳山平林禅寺」の石柱が立っています
0
4/19 14:31
交差点には「金鳳山平林禅寺」の石柱が立っています
新座市役所交差点から歩道は左側だけに。右には平林寺境内林が始まります
0
4/19 14:43
新座市役所交差点から歩道は左側だけに。右には平林寺境内林が始まります
やっと松平伊豆守信綱の菩提寺・平林寺に到着。入山者入口はこの総門だけ
0
4/19 14:53
やっと松平伊豆守信綱の菩提寺・平林寺に到着。入山者入口はこの総門だけ
山門は、江戸時代前期に平林寺が岩槻から移転された際に移築されたもの
0
4/19 14:55
山門は、江戸時代前期に平林寺が岩槻から移転された際に移築されたもの
仁王様が入山者に睨みを利かせています
0
4/19 14:56
仁王様が入山者に睨みを利かせています
威厳ある佇まいの仏殿。本尊は釈迦如来坐像
0
4/19 14:56
威厳ある佇まいの仏殿。本尊は釈迦如来坐像
放生池の中島には弁天堂が浮かびます
0
4/19 14:59
放生池の中島には弁天堂が浮かびます
島原・天草の一揆200年遠忌に建立された幕府側の犠牲者を弔う供養塔です
0
4/19 15:04
島原・天草の一揆200年遠忌に建立された幕府側の犠牲者を弔う供養塔です
境内を野火止用水・平林寺堀が流れます
0
4/19 15:05
境内を野火止用水・平林寺堀が流れます
玉川上水、野火止用水開削の功労者・安松金右衛門の墓
0
4/19 15:07
玉川上水、野火止用水開削の功労者・安松金右衛門の墓
松平伊豆守信綱公一族の墓所。3,000坪の墓域に170基余りの墓石が並びます
0
4/19 15:08
松平伊豆守信綱公一族の墓所。3,000坪の墓域に170基余りの墓石が並びます
松平信綱公夫妻の墓には信綱と正室の2基の五輪塔が並びます
0
4/19 15:10
松平信綱公夫妻の墓には信綱と正室の2基の五輪塔が並びます
墓所の裏手には野火止塚。野火を止めたとして地名の由来になったとか
0
4/19 15:14
墓所の裏手には野火止塚。野火を止めたとして地名の由来になったとか
信綱公一族の墓所を一周。五輪塔が整然と並んでいました
0
4/19 15:23
信綱公一族の墓所を一周。五輪塔が整然と並んでいました
善男善女の願いを叶える半増坊を祀る半僧坊感応殿
0
4/19 15:29
善男善女の願いを叶える半増坊を祀る半僧坊感応殿
平林寺外周を時計回りに歩くと野火止用水横にお地蔵様
0
4/19 15:49
平林寺外周を時計回りに歩くと野火止用水横にお地蔵様
ここに架かる橋は信綱の功績を称えて伊豆殿橋と呼ばれていたとか
0
4/19 15:49
ここに架かる橋は信綱の功績を称えて伊豆殿橋と呼ばれていたとか
野火止用水横の遊歩道を歩き新座駅に向かいました
0
4/19 15:51
野火止用水横の遊歩道を歩き新座駅に向かいました
JR新座駅に到着。4月とは思えぬ暑さの中の完歩です
0
4/19 16:26
JR新座駅に到着。4月とは思えぬ暑さの中の完歩です
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する