記録ID: 8273530
全員に公開
無雪期ピークハント/縦走
日光・那須・筑波
藪トレ 大佐飛山
2025年06月07日(土) 〜
2025年06月08日(日)


体力度
6
1〜2泊以上が適当
- GPS
- 22:14
- 距離
- 27.2km
- 登り
- 1,909m
- 下り
- 1,675m
コースタイム
1日目
- 山行
- 9:31
- 休憩
- 0:56
- 合計
- 10:27
距離 9.0km
登り 1,258m
下り 321m
2日目
- 山行
- 9:15
- 休憩
- 0:06
- 合計
- 9:21
距離 18.2km
登り 650m
下り 1,354m
今年度の藪始めはマイナー準名山大左飛山を目指した。ついでに塩那道路を通って三百名山男鹿岳にも寄り道。絶妙に薄い藪と長い林道歩きと、微妙な要素も多かった今山行だったが、藪N権者の養成、および1年会の初藪としては何とか形になったのではないかと思う。なお、マダニには要注意。
◎行動記録
◎6月6日(金)
天気:晴れ
車2台で黒滝山登山口へ。時刻はすでに23:00、これから深山園地駐車場まで1台をデポしに行く。深山園地の駐車場はハイエースのカーナビでは目的地登録できなかったので、運転手に加えてLが道案内係として同行する。深山園地駐車場と黒滝山登山口は往復1時間ほど、夜は明かりがなくて真っ暗だが途中の道は意外と人里である。車デポ組も0:30ごろには就寝。登山口は樹林帯でおかん適地。
◎6月7日(土)
天気:晴れのち曇り
デポ組の睡眠時間があまりにも短いので500発とする。軽い自己紹介と体操の後出発。登山口の最初には梯子があり、その後も百村山の出合までは急登が続き、所々ロープが張ってある。出合で着衣調整等のため5分ほどたるむが、Lはじめ物好きな人たちは百村山の三角点を見に行った。ちなみに百村は「もむら」と読む。
それからは読みを巻きながら軽快なペースで進む。途中、1588ピーク(山藤山)手前の登りはじめで地図読みを出したが、1年会ふくめほとんどが正解でうれしい。その直後靴擦れ処理&隊列調整で10分ほど休止。黒滝山手前の河下山手前で再度隊を止め荷物を調整。周囲はシロヤシオが咲いていた。黒滝山山頂からは那須塩原の街が白い靄の中に見える。藪装に換装こみで20分ほどたるんで藪入り。
陣形は基本的にN権者の5人を中心に回す。黒滝山からは踏み跡・ピンクテープがある。大左飛の稜線は基本的に人と鹿がつけた踏み跡がある。西村山までは予備地図と違い、沢を横切って1番の間違い尾根を登る方針としたが、沢を詰めて1の尾根に合流すべきというトップの連絡に従って、本隊も沢を詰めて登る。沢には申し訳程度に水が流れていた。1の尾根上は踏み跡なく、藪もそこそこ濃かったためか、西村山までは想定よりも時間がかかり、ここでたるみとする。
西村山からは踏み跡明瞭であるが、ときどき低木がうざい印象。シャクナゲが咲き始めていて、ときどきテープと誤認してしまう。右手には那須連峰が見える。大長山手前でたるむが、ここらへんはそこそこ藪も濃い。大長山は通過したが、山頂には藪メガネが落ちていた。大長山は「だいちょうやま」と読む。大長山先の1830コル(正確には大長山の次のピークの先のコル)はサイト適地。1813ピーク手前あたりから東斜面に雪渓が残っている。冬面子は嬉々として雪渓を踏みに行く。1813先のコルでたるみ。N権者を酷使してきたので、ここら辺から4年にもトップに出てもらう。ここらへんから空は雲に覆われてきた。
次のピッチであっさり大左飛山登頂。マイナー準名山の一つであるとともに、栃木百名山四天王の一つである。山頂の三角点は土に埋没していた。今山行のメインピークということで長たるみ。ここまで実におよそ10ピッチを要した。Lの自撮りで記念撮影の後、方針会議をしていたところ衝撃の事実が発覚する。なんと、予備地図の1800コル(サイト地)の位置が一つとなりのコルにずれていたのだ。普通に地図を見ていれば、ピンを打った位置は標高1800mではない。怠慢で一昨年の予備地図を流用してきていた奴の存在が幸いし、本当の1800コルを目標に大左飛からの下りに入ることができた。監査でも、審議でも一度も指摘されなかったのは不思議だなあ。
仕切り直して本物の1800コルを目指して大佐飛から下る。RFがそこそこ難しいと想定してトップを強化して臨んだが、尾根上から行くべき地形が視認できたことから、案外あっさり突破してしまった。所要時間は17分である。
サイト地は7点3張で幕営可能な超絶サイト適地。なんと2年前に紛失したテントの袋を発見した。サイトはミートボール鍋。聞いたことないメニューだが普通においしかった。サイト後はささやかな宴会。そういえばこの山行はヘッドのうち三分の二が不調だった。明日も朝は早いので1900ごろ就寝。サイト地は平坦で草が繫茂していて非常に快適なものの、虫に噛まれまくった。にわか雨の予報があったが、結局降水はなかった。
◎6月8日(日)
天気:曇りのち晴れ
34半、355撤収。朝サイトはオニオンスープペンネ。今朝もヘッドの調子が悪い。撤収が意外と早く終わったため、体操と方針会議を早めにしてトップは420出発となった。
425本隊も出発。踏み跡明瞭で軽快なペースで進む。今日もN権者を中心にして回していく。名無山手前で陽光が射す中、山桜が咲いていた。1ピッチで名無山着。名無山は命名者であるMWVの山頂標があるらしいが、杭しか残っていなかった。遠くには塩那道路が山並みに一本の線を引いているのが見える。
名無山からのくだりは今山行最難関RF箇所であり、ある程度尾根上を下ったのち、1622ピークとのコルの方へ角度を切って散会しながら下っていく。やはり藪トレということで、今ピッチのトップは2年の三人で回すことにし、豆田にも自制してもらうことにする。方針会議の後、出発。1800~1820mで散会する方針。想定よりもやや早く尾根の右側に落ちてしまったので、上級生で左へ呼び戻す。トップが尾根に乗ったので、中継と共にやや落ちていた本隊も左へトラバースして尾根に戻る。その後は特に問題もなく標高差200mの急斜面を下っていく。本隊はやや尾根の左寄りを通り、トップ含めてコル左の谷にやや落ちたが復帰も特に難はなく、本隊の軌道も途中修正することができた。
コルでたるみ。N権者全員水汲み経験があること、一年会全員飲みポリに余りはあること、そして何よりもレンタカーアプローチが渋いことを理由にして、今回は水場分岐での水汲みは行わないこととする。ちなみに水場分岐が源頭である大蛇尾川は「おおさび」と読み、小蛇尾川、小佐飛山もある。一瞬で水場分岐(目印あり)を通過して1ピッチで瓢箪峠(塩那道路出合)に到着。テープや踏み跡もあってわかりやすいが、所々の低木がうざい。悪い足場の急登ののち薮抜け。それぞれ薮抜け写真を撮って塩那道路に出る。ここで長たるみとするとともに、瓢箪峠の小屋と「104建設大隊塩那の峻険を拓く」の石碑を見に行く。昭和46年の建立であった。ここで車回収のため運転手2名+1年2名(本隊の成立条件のため)を分離隊として先行させる。
これからは塩那道路を歩く。男鹿岳取付きは事前情報に比べて頗る分かりにくい。青テープが申し訳程度に付いてるだけなので、トップが通過してしまった。ここにザックデポして、空身でアタックする。稜線までの取付きはとても急だが踏み跡あり。それ以降も基本的に踏み跡はあるが、豆田曰く前回よりも薮は濃くなっていたらしい。女鹿岳(1754ピーク)までの登りは妙に獣臭かったものの、大佐飛山塊の景色が非常によい。天気は高曇りという感じ。女鹿岳から男鹿岳への稜線には所々池塘があり、巨大な蛙?の卵があった。男鹿岳は日本三百名山、栃木百名山四天王。図らずも栃百四天王の二峰を繋いでしまった。山頂には飯盒と山頂標が何個か、MWVのH11年リーダー養成記念板があった。写真撮影ののち、行きと同じ道を通って取付きまで戻り、少々弛む。
これからはひたすら虚無な廃道歩きで、Lもピッチを切るのを放棄した(各自たるんでください)。所々崩落している箇所があり、この道路もあと何年もつんだろうかと思わせる。あたりは6月頭だというのにひぐらしのような声が聞こえる。一年会が風呂モチベのためか、死ぬほど飛ばす一方、Lと2年の最後尾は萎えきってちんたら歩く。植生回復監視小屋の手前の九十九折りになっているところで弛む。ちょうど1時間が経過していた。少し進むと本隊もまとまって止まっていた。どうやら、後ろからホーヤが聞こえたらしいが、後ろからは誰も呼びかけてはいない。怖いね。1時間ちょっと進むと、また本隊がたるんでいるのに追いついた。なんでそんなに飛ばすのか聞いてみると、一年会らはまだ風呂を諦めていないらしかった。もはや風呂は最初から諦めと思っていたLとはとんでもない認識の相違である。完全に気持ちが萎えているLは訳のわからないことを口走ったりしていたが、気を取り直して進む。時々、ランドマーク的なもの(石楠花岩、見晴台、ダルマ岩)を示す看板がある。また小一時間経って弛んでいると、どうやら1年1名のお腹にマダニが噛み付いているらしい。対処としては、病院で撮ってもらうのが一番ということで、とりあえず上からガーゼを貼っておくが、突然の遭難にみな戦々恐々とする。また1時間歩いて深山園地駐車場を目指す。途中のゲートは1個目は左、2個目は右をすり抜けて突破した。一昨年は全員疲れている中、石垣を乗り越えたしいが、実はその必要はなかった。途中、ベンチと展望台へ続く階段があったが誰も興味はない。やや整備された遊歩道を歩いて深山園地駐車場に到着。実に4時間の廃道歩きだった。
なお、駐車場でもう1名ダニに噛まれていたことが発覚。分かってはいたがやっぱり風呂は抜きで、各車別れて帰る。反省会は通話で済ませた。
◎行動記録
◎6月6日(金)
天気:晴れ
車2台で黒滝山登山口へ。時刻はすでに23:00、これから深山園地駐車場まで1台をデポしに行く。深山園地の駐車場はハイエースのカーナビでは目的地登録できなかったので、運転手に加えてLが道案内係として同行する。深山園地駐車場と黒滝山登山口は往復1時間ほど、夜は明かりがなくて真っ暗だが途中の道は意外と人里である。車デポ組も0:30ごろには就寝。登山口は樹林帯でおかん適地。
◎6月7日(土)
天気:晴れのち曇り
デポ組の睡眠時間があまりにも短いので500発とする。軽い自己紹介と体操の後出発。登山口の最初には梯子があり、その後も百村山の出合までは急登が続き、所々ロープが張ってある。出合で着衣調整等のため5分ほどたるむが、Lはじめ物好きな人たちは百村山の三角点を見に行った。ちなみに百村は「もむら」と読む。
それからは読みを巻きながら軽快なペースで進む。途中、1588ピーク(山藤山)手前の登りはじめで地図読みを出したが、1年会ふくめほとんどが正解でうれしい。その直後靴擦れ処理&隊列調整で10分ほど休止。黒滝山手前の河下山手前で再度隊を止め荷物を調整。周囲はシロヤシオが咲いていた。黒滝山山頂からは那須塩原の街が白い靄の中に見える。藪装に換装こみで20分ほどたるんで藪入り。
陣形は基本的にN権者の5人を中心に回す。黒滝山からは踏み跡・ピンクテープがある。大左飛の稜線は基本的に人と鹿がつけた踏み跡がある。西村山までは予備地図と違い、沢を横切って1番の間違い尾根を登る方針としたが、沢を詰めて1の尾根に合流すべきというトップの連絡に従って、本隊も沢を詰めて登る。沢には申し訳程度に水が流れていた。1の尾根上は踏み跡なく、藪もそこそこ濃かったためか、西村山までは想定よりも時間がかかり、ここでたるみとする。
西村山からは踏み跡明瞭であるが、ときどき低木がうざい印象。シャクナゲが咲き始めていて、ときどきテープと誤認してしまう。右手には那須連峰が見える。大長山手前でたるむが、ここらへんはそこそこ藪も濃い。大長山は通過したが、山頂には藪メガネが落ちていた。大長山は「だいちょうやま」と読む。大長山先の1830コル(正確には大長山の次のピークの先のコル)はサイト適地。1813ピーク手前あたりから東斜面に雪渓が残っている。冬面子は嬉々として雪渓を踏みに行く。1813先のコルでたるみ。N権者を酷使してきたので、ここら辺から4年にもトップに出てもらう。ここらへんから空は雲に覆われてきた。
次のピッチであっさり大左飛山登頂。マイナー準名山の一つであるとともに、栃木百名山四天王の一つである。山頂の三角点は土に埋没していた。今山行のメインピークということで長たるみ。ここまで実におよそ10ピッチを要した。Lの自撮りで記念撮影の後、方針会議をしていたところ衝撃の事実が発覚する。なんと、予備地図の1800コル(サイト地)の位置が一つとなりのコルにずれていたのだ。普通に地図を見ていれば、ピンを打った位置は標高1800mではない。怠慢で一昨年の予備地図を流用してきていた奴の存在が幸いし、本当の1800コルを目標に大左飛からの下りに入ることができた。監査でも、審議でも一度も指摘されなかったのは不思議だなあ。
仕切り直して本物の1800コルを目指して大佐飛から下る。RFがそこそこ難しいと想定してトップを強化して臨んだが、尾根上から行くべき地形が視認できたことから、案外あっさり突破してしまった。所要時間は17分である。
サイト地は7点3張で幕営可能な超絶サイト適地。なんと2年前に紛失したテントの袋を発見した。サイトはミートボール鍋。聞いたことないメニューだが普通においしかった。サイト後はささやかな宴会。そういえばこの山行はヘッドのうち三分の二が不調だった。明日も朝は早いので1900ごろ就寝。サイト地は平坦で草が繫茂していて非常に快適なものの、虫に噛まれまくった。にわか雨の予報があったが、結局降水はなかった。
◎6月8日(日)
天気:曇りのち晴れ
34半、355撤収。朝サイトはオニオンスープペンネ。今朝もヘッドの調子が悪い。撤収が意外と早く終わったため、体操と方針会議を早めにしてトップは420出発となった。
425本隊も出発。踏み跡明瞭で軽快なペースで進む。今日もN権者を中心にして回していく。名無山手前で陽光が射す中、山桜が咲いていた。1ピッチで名無山着。名無山は命名者であるMWVの山頂標があるらしいが、杭しか残っていなかった。遠くには塩那道路が山並みに一本の線を引いているのが見える。
名無山からのくだりは今山行最難関RF箇所であり、ある程度尾根上を下ったのち、1622ピークとのコルの方へ角度を切って散会しながら下っていく。やはり藪トレということで、今ピッチのトップは2年の三人で回すことにし、豆田にも自制してもらうことにする。方針会議の後、出発。1800~1820mで散会する方針。想定よりもやや早く尾根の右側に落ちてしまったので、上級生で左へ呼び戻す。トップが尾根に乗ったので、中継と共にやや落ちていた本隊も左へトラバースして尾根に戻る。その後は特に問題もなく標高差200mの急斜面を下っていく。本隊はやや尾根の左寄りを通り、トップ含めてコル左の谷にやや落ちたが復帰も特に難はなく、本隊の軌道も途中修正することができた。
コルでたるみ。N権者全員水汲み経験があること、一年会全員飲みポリに余りはあること、そして何よりもレンタカーアプローチが渋いことを理由にして、今回は水場分岐での水汲みは行わないこととする。ちなみに水場分岐が源頭である大蛇尾川は「おおさび」と読み、小蛇尾川、小佐飛山もある。一瞬で水場分岐(目印あり)を通過して1ピッチで瓢箪峠(塩那道路出合)に到着。テープや踏み跡もあってわかりやすいが、所々の低木がうざい。悪い足場の急登ののち薮抜け。それぞれ薮抜け写真を撮って塩那道路に出る。ここで長たるみとするとともに、瓢箪峠の小屋と「104建設大隊塩那の峻険を拓く」の石碑を見に行く。昭和46年の建立であった。ここで車回収のため運転手2名+1年2名(本隊の成立条件のため)を分離隊として先行させる。
これからは塩那道路を歩く。男鹿岳取付きは事前情報に比べて頗る分かりにくい。青テープが申し訳程度に付いてるだけなので、トップが通過してしまった。ここにザックデポして、空身でアタックする。稜線までの取付きはとても急だが踏み跡あり。それ以降も基本的に踏み跡はあるが、豆田曰く前回よりも薮は濃くなっていたらしい。女鹿岳(1754ピーク)までの登りは妙に獣臭かったものの、大佐飛山塊の景色が非常によい。天気は高曇りという感じ。女鹿岳から男鹿岳への稜線には所々池塘があり、巨大な蛙?の卵があった。男鹿岳は日本三百名山、栃木百名山四天王。図らずも栃百四天王の二峰を繋いでしまった。山頂には飯盒と山頂標が何個か、MWVのH11年リーダー養成記念板があった。写真撮影ののち、行きと同じ道を通って取付きまで戻り、少々弛む。
これからはひたすら虚無な廃道歩きで、Lもピッチを切るのを放棄した(各自たるんでください)。所々崩落している箇所があり、この道路もあと何年もつんだろうかと思わせる。あたりは6月頭だというのにひぐらしのような声が聞こえる。一年会が風呂モチベのためか、死ぬほど飛ばす一方、Lと2年の最後尾は萎えきってちんたら歩く。植生回復監視小屋の手前の九十九折りになっているところで弛む。ちょうど1時間が経過していた。少し進むと本隊もまとまって止まっていた。どうやら、後ろからホーヤが聞こえたらしいが、後ろからは誰も呼びかけてはいない。怖いね。1時間ちょっと進むと、また本隊がたるんでいるのに追いついた。なんでそんなに飛ばすのか聞いてみると、一年会らはまだ風呂を諦めていないらしかった。もはや風呂は最初から諦めと思っていたLとはとんでもない認識の相違である。完全に気持ちが萎えているLは訳のわからないことを口走ったりしていたが、気を取り直して進む。時々、ランドマーク的なもの(石楠花岩、見晴台、ダルマ岩)を示す看板がある。また小一時間経って弛んでいると、どうやら1年1名のお腹にマダニが噛み付いているらしい。対処としては、病院で撮ってもらうのが一番ということで、とりあえず上からガーゼを貼っておくが、突然の遭難にみな戦々恐々とする。また1時間歩いて深山園地駐車場を目指す。途中のゲートは1個目は左、2個目は右をすり抜けて突破した。一昨年は全員疲れている中、石垣を乗り越えたしいが、実はその必要はなかった。途中、ベンチと展望台へ続く階段があったが誰も興味はない。やや整備された遊歩道を歩いて深山園地駐車場に到着。実に4時間の廃道歩きだった。
なお、駐車場でもう1名ダニに噛まれていたことが発覚。分かってはいたがやっぱり風呂は抜きで、各車別れて帰る。反省会は通話で済ませた。
天候 | 2日とも、曇り時々晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年06月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
帰りは深山園地よりレンタカー |
コース状況/ 危険箇所等 |
・黒滝山までは登山道あり ・黒滝山から西村山までは沢を詰めて上がった ・大長〜大佐飛、塩那道路取付きへの稜線は基本的に踏み跡(人or鹿)があるが、尾根上の灌木・低木がうざい ・残雪の天空回廊はあまり残っていない ・幕営地は大佐飛山と1824p間のコル ・今回は7人用テント3張 ・大佐飛の次の1870mピーク(名無山)からコルへの下りはRF注意 ・男鹿岳取付きはややわかりにくい ・女鹿岳までの尾根は何故か獣くさい ・塩那道路は所々崩落・薮 ・とにかく長い ・当たり前だが、藪漕ぎする時はダニに注意 今年度の藪始めはマイナー準名山大左飛山を目指した。ついでに塩那道路を通って三百名山男鹿岳にも寄り道。絶妙に薄い藪と長い林道歩きと、微妙な要素も多かった今山行だったが、藪N権者の養成、および1年会の初藪としては何とか形になったのではないかと思う。なお、マダニには要注意。 ◎行動記録 ◎6月6日(金) 天気:晴れ 車2台で黒滝山登山口へ。時刻はすでに23:00、これから深山園地駐車場まで1台をデポしに行く。深山園地の駐車場はハイエースのカーナビでは目的地登録できなかったので、運転手に加えてLが道案内係として同行する。深山園地駐車場と黒滝山登山口は往復1時間ほど、夜は明かりがなくて真っ暗だが途中の道は意外と人里である。車デポ組も0:30ごろには就寝。登山口は樹林帯でおかん適地。 ◎6月7日(土) 天気:晴れのち曇り デポ組の睡眠時間があまりにも短いので500発とする。軽い自己紹介と体操の後出発。登山口の最初には梯子があり、その後も百村山の出合までは急登が続き、所々ロープが張ってある。出合で着衣調整等のため5分ほどたるむが、Lはじめ物好きな人たちは百村山の三角点を見に行った。ちなみに百村は「もむら」と読む。 それからは読みを巻きながら軽快なペースで進む。途中、1588ピーク(山藤山)手前の登りはじめで地図読みを出したが、1年会ふくめほとんどが正解でうれしい。その直後靴擦れ処理&隊列調整で10分ほど休止。黒滝山手前の河下山手前で再度隊を止め荷物を調整。周囲はシロヤシオが咲いていた。黒滝山山頂からは那須塩原の街が白い靄の中に見える。藪装に換装こみで20分ほどたるんで藪入り。 陣形は基本的にN権者の5人を中心に回す。黒滝山からは踏み跡・ピンクテープがある。大左飛の稜線は基本的に人と鹿がつけた踏み跡がある。西村山までは予備地図と違い、沢を横切って1番の間違い尾根を登る方針としたが、沢を詰めて1の尾根に合流すべきというトップの連絡に従って、本隊も沢を詰めて登る。沢には申し訳程度に水が流れていた。1の尾根上は踏み跡なく、藪もそこそこ濃かったためか、西村山までは想定よりも時間がかかり、ここでたるみとする。 西村山からは踏み跡明瞭であるが、ときどき低木がうざい印象。シャクナゲが咲き始めていて、ときどきテープと誤認してしまう。右手には那須連峰が見える。大長山手前でたるむが、ここらへんはそこそこ藪も濃い。大長山は通過したが、山頂には藪メガネが落ちていた。大長山は「だいちょうやま」と読む。大長山先の1830コル(正確には大長山の次のピークの先のコル)はサイト適地。1813ピーク手前あたりから東斜面に雪渓が残っている。冬面子は嬉々として雪渓を踏みに行く。1813先のコルでたるみ。N権者を酷使してきたので、ここら辺から4年にもトップに出てもらう。ここらへんから空は雲に覆われてきた。 次のピッチであっさり大左飛山登頂。マイナー準名山の一つであるとともに、栃木百名山四天王の一つである。山頂の三角点は土に埋没していた。今山行のメインピークということで長たるみ。ここまで実におよそ10ピッチを要した。Lの自撮りで記念撮影の後、方針会議をしていたところ衝撃の事実が発覚する。なんと、予備地図の1800コル(サイト地)の位置が一つとなりのコルにずれていたのだ。普通に地図を見ていれば、ピンを打った位置は標高1800mではない。怠慢で一昨年の予備地図を流用してきていた奴の存在が幸いし、本当の1800コルを目標に大左飛からの下りに入ることができた。監査でも、審議でも一度も指摘されなかったのは不思議だなあ。 仕切り直して本物の1800コルを目指して大佐飛から下る。RFがそこそこ難しいと想定してトップを強化して臨んだが、尾根上から行くべき地形が視認できたことから、案外あっさり突破してしまった。所要時間は17分である。 サイト地は7点3張で幕営可能な超絶サイト適地。なんと2年前に紛失したテントの袋を発見した。サイトはミートボール鍋。聞いたことないメニューだが普通においしかった。サイト後はささやかな宴会。そういえばこの山行はヘッドのうち三分の二が不調だった。明日も朝は早いので1900ごろ就寝。サイト地は平坦で草が繫茂していて非常に快適なものの、虫に噛まれまくった。にわか雨の予報があったが、結局降水はなかった。 ◎6月8日(日) 天気:曇りのち晴れ 34半、355撤収。朝サイトはオニオンスープペンネ。今朝もヘッドの調子が悪い。撤収が意外と早く終わったため、体操と方針会議を早めにしてトップは420出発となった。 425本隊も出発。踏み跡明瞭で軽快なペースで進む。今日もN権者を中心にして回していく。名無山手前で陽光が射す中、山桜が咲いていた。1ピッチで名無山着。名無山は命名者であるMWVの山頂標があるらしいが、杭しか残っていなかった。遠くには塩那道路が山並みに一本の線を引いているのが見える。 名無山からのくだりは今山行最難関RF箇所であり、ある程度尾根上を下ったのち、1622ピークとのコルの方へ角度を切って散会しながら下っていく。やはり藪トレということで、今ピッチのトップは2年の三人で回すことにし、豆田にも自制してもらうことにする。方針会議の後、出発。1800~1820mで散会する方針。想定よりもやや早く尾根の右側に落ちてしまったので、上級生で左へ呼び戻す。トップが尾根に乗ったので、中継と共にやや落ちていた本隊も左へトラバースして尾根に戻る。その後は特に問題もなく標高差200mの急斜面を下っていく。本隊はやや尾根の左寄りを通り、トップ含めてコル左の谷にやや落ちたが復帰も特に難はなく、本隊の軌道も途中修正することができた。 コルでたるみ。N権者全員水汲み経験があること、一年会全員飲みポリに余りはあること、そして何よりもレンタカーアプローチが渋いことを理由にして、今回は水場分岐での水汲みは行わないこととする。ちなみに水場分岐が源頭である大蛇尾川は「おおさび」と読み、小蛇尾川、小佐飛山もある。一瞬で水場分岐(目印あり)を通過して1ピッチで瓢箪峠(塩那道路出合)に到着。テープや踏み跡もあってわかりやすいが、所々の低木がうざい。悪い足場の急登ののち薮抜け。それぞれ薮抜け写真を撮って塩那道路に出る。ここで長たるみとするとともに、瓢箪峠の小屋と「104建設大隊塩那の峻険を拓く」の石碑を見に行く。昭和46年の建立であった。ここで車回収のため運転手2名+1年2名(本隊の成立条件のため)を分離隊として先行させる。 これからは塩那道路を歩く。男鹿岳取付きは事前情報に比べて頗る分かりにくい。青テープが申し訳程度に付いてるだけなので、トップが通過してしまった。ここにザックデポして、空身でアタックする。稜線までの取付きはとても急だが踏み跡あり。それ以降も基本的に踏み跡はあるが、豆田曰く前回よりも薮は濃くなっていたらしい。女鹿岳(1754ピーク)までの登りは妙に獣臭かったものの、大佐飛山塊の景色が非常によい。天気は高曇りという感じ。女鹿岳から男鹿岳への稜線には所々池塘があり、巨大な蛙?の卵があった。男鹿岳は日本三百名山、栃木百名山四天王。図らずも栃百四天王の二峰を繋いでしまった。山頂には飯盒と山頂標が何個か、MWVのH11年リーダー養成記念板があった。写真撮影ののち、行きと同じ道を通って取付きまで戻り、少々弛む。 これからはひたすら虚無な廃道歩きで、Lもピッチを切るのを放棄した(各自たるんでください)。所々崩落している箇所があり、この道路もあと何年もつんだろうかと思わせる。あたりは6月頭だというのにひぐらしのような声が聞こえる。一年会が風呂モチベのためか、死ぬほど飛ばす一方、Lと2年の最後尾は萎えきってちんたら歩く。植生回復監視小屋の手前の九十九折りになっているところで弛む。ちょうど1時間が経過していた。少し進むと本隊もまとまって止まっていた。どうやら、後ろからホーヤが聞こえたらしいが、後ろからは誰も呼びかけてはいない。怖いね。1時間ちょっと進むと、また本隊がたるんでいるのに追いついた。なんでそんなに飛ばすのか聞いてみると、一年会らはまだ風呂を諦めていないらしかった。もはや風呂は最初から諦めと思っていたLとはとんでもない認識の相違である。完全に気持ちが萎えているLは訳のわからないことを口走ったりしていたが、気を取り直して進む。時々、ランドマーク的なもの(石楠花岩、見晴台、ダルマ岩)を示す看板がある。また小一時間経って弛んでいると、どうやら1年1名のお腹にマダニが噛み付いているらしい。対処としては、病院で撮ってもらうのが一番ということで、とりあえず上からガーゼを貼っておくが、突然の遭難にみな戦々恐々とする。また1時間歩いて深山園地駐車場を目指す。途中のゲートは1個目は左、2個目は右をすり抜けて突破した。一昨年は全員疲れている中、石垣を乗り越えたしいが、実はその必要はなかった。途中、ベンチと展望台へ続く階段があったが誰も興味はない。やや整備された遊歩道を歩いて深山園地駐車場に到着。実に4時間の廃道歩きだった。 なお、駐車場でもう1名ダニに噛まれていたことが発覚。分かってはいたがやっぱり風呂は抜きで、各車別れて帰る。反省会は通話で済ませた。 |
その他周辺情報 | 風呂キャンセル界隈…🥹 |
写真
装備
個人装備 |
Tシャツ
ズボン
靴下
グローブ
防寒着
雨具
日よけ帽子
着替え
靴
予備靴ひも
ザック
ザックカバー
サブザック
行動食
非常食
飲料
食器
調理器具
ライター
地図(地形図)
コンパス
笛
計画書
ヘッドランプ
予備電池
日焼け止め
保険証
携帯
時計
タオル
ナイフ
シェラフ
テントマット
|
---|---|
共同装備 |
調理用食材
調味料
ガスカートリッジ
コッヘル
調理器具
ポール
テント
|
感想
sL様の人徳のおかげで天気にも恵まれ、いい山行だった。
このコースは2年前も同時期に通った。同じコース2回目は薮山行では初めて。道中各所で当時の記憶を思い出した。前回と比べて薮漕ぎやトップの難易度は桁違いに軽く、2年間の自身の成長を感じられた。
このエリアは、薮の状態としては笹薮の中に倒木が散在していたり、稜線に中途半端に大きい低木が多かったりで好きになれない。だが、立地や景色は悪くない。たしかに名山を名乗るに値すると感じた。塩那道路も2回目だがなんだかんだ面白い。
新入生と結構たくさん喋れて楽しかった。
2025年度初回の薮企画。投稿者はあまり薮が好きではないが、2年生としての役目と責任を感じた充実した山行になった。薮トップや中継など、初めての経験も多かったが、薮を漕ぐということ以上に隊のために何ができるかを考えて進む感覚が新鮮で楽しかった。2年会3人での難RFをなんとかクリアできたのは非常に達成感があり、中継や本隊誘導含めて皆の力だったと思う。ありがとう。
薮嫌いは無くなりました!好きではないけど。S先輩、sLお疲れ様でした。
お気に入りした人
人
拍手で応援
拍手した人
拍手
訪問者数:139人
コメント
この記録に関連する登山ルート
この場所を通る登山ルートは、まだ登録されていません。
ルートを登録する
いいねした人
コメントを書く
ヤマレコにユーザー登録いただき、ログインしていただくことによって、コメントが書けるようになります。ヤマレコにユーザ登録する