【円空追慕】金木戸川~双六岳~小池新道


- GPS
- 37:36
- 距離
- 56.5km
- 登り
- 4,000m
- 下り
- 3,499m
コースタイム
- 山行
- 6:33
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 6:53
- 山行
- 8:44
- 休憩
- 0:36
- 合計
- 9:20
- 山行
- 9:53
- 休憩
- 0:20
- 合計
- 10:13
- 山行
- 7:26
- 休憩
- 2:40
- 合計
- 10:06
天候 | 1日目晴れ 2日目曇り 3日目雨のち晴れ 4日目晴れ |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
写真
装備
個人装備 |
ハーネス+メット
フェルト地下足袋
シュリンゲ7m×6mm+ビナ+ 確保器
非常用防寒肌着+靴下
カッパ
シュラフカバー
マット
水筒
その他沢個人基本装備(ナイフ
灯り
地図磁石
軍手
食器
焚き付け+ライター)
|
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共同装備 |
ツエルトかタープ
ストーブ(非常用)
|
感想
江戸時代初期のスーパー登山家・円空研究家、清水さんの、いよいよ本丸。1640年頃に円空が歩いた双六谷を遡行したいというので案内する。清水さん67歳でこのためにボッカトレも続け、万全の体調で挑んだ。大きな川、無人境を4日かけてただ遡るたのしみ。
1日目 林道と廃道
金木戸林道、水力開発で林道は延々あり。小倉谷出会いから踏み跡が険悪に。もう整備登山道ではないがたどることはできるクラス。打込谷出会い下の、壊れ吊橋のところでC1(1340m)。流木が豊富で砂地だったから。清水さん提供のレトルト晩飯は高いが文句なしにうまい。
2日目 巨岩奔流
打込谷を分けて水量が減ったとはいえ、渡渉は難しい。巨岩ひしめく河原でルートを30m先から目星つけて進む。美しい翠のみずに心奪われる。
足のつかない10mプールを泳いで対岸に取り付いてみたがホールドなく敗退。全身ずぶ濡れに。ザックを置いて、左岸ののっぺりした岩ののっぺりしたスタンスをへつって、抜ける。7mシュリンゲで引張りあげ、後続は水の中を引っ張る。やはり取り付き苦労する。
首まで浸かって足がかろうじてつくプールを進んで、チムニー駆使して空身で左岸側の岩角を這い上がる。これもザック釣り上げ、後続釣り上げ。
その他巨岩の登りで、難しいところで後続に数十回シュリンゲ垂らす。清水さんは夏道登山は非常にエキスパートだが、沢慣れしていないので沢での進行速度には差が大きい。見える範囲で進んで、待っているというサイクルで進む。大体1.5倍の速度だった。
蓮華谷出会い付近でC2(1720m)。良い薪と、ここも砂地のベッドに恵まれた。米山のカレー雑炊が、意外にもうまいと言われて気をよくした。携帯電話の充電用携帯電池が水没で完全にお釈迦。これは大失敗だ。清水さんが充電させてくれた。ありがたや。あんな泳ぎなのに、防水パッキングも完全に舐めていて、寝袋も何も全濡れ。夕方干しておいたら乾いてくれて助かった。もともとペラペラの寝袋なんだ。
3日目 源流への長い沢
天気は弱い雨。雨の森はよい。翠の淵には魚影がジャバジャバだ。浅いところのやつはびっくりして飛び上がって逃げる。食べたりしないよ。雨で寒いのでかっぱを着る。昨日の泳ぎでかりんとうが水浸しだ。意外とうまい。
待ち時間に都ぞ弥生を5番まで何度も歌ったりする。清水さんは「円空はこの淵をどうやって乗り越えたのだろうか?」「どんな装束でこの水流を行ったのだろうか?」などと考えながら登っていたというが米山は、沢を登っていると、歌のメロディーが次々浮かぶ。初めて沢に通った40年前に流行っていた松田聖子、青い珊瑚礁の「あ〜私の恋は〜」の「わたーしーのォこーいはー」の小さいォのコブシの効かせ方が天才的だったよなあなどと思い返したりしながら飛び石を飛ぶ。歌詞はチャラいけど、あの歌声は凄かった。こんなふうに思い思いに誰もいない山の中を淡々と歩く時間が良いのだ。
コルまであと標高差200mくらいってところで水が枯れた、そこに枯れ木もあり、ガラ場を整地してC3(2390m)。荷物をおいて空身で双六アタックに出るが、小屋までの清水さんの所要時間を見るとやはり全体に1.5倍かかっていて、山頂往復してC3に戻ると19時半になると算出。きょうはやめて明日にしようと提案し、もどる。清水さんが小屋で缶ビールを仕入れてくれた。
きょうの薪は扇ぎ続けないとオートでは燃えないな。飯を作ったら早々に眠る。毎晩満月前後の明るい月で、夜が明るい。夕方には雨が上がって、星も見えた。きょうもよろめいて浅い水たまりに転んで首まで浸かる意味不明の水浴びをしてしまい、寝袋全濡れだったが、コルのアタックの間、木に引っ掛けておいたら乾いていた。幸運だ。
4日目 双六岳、展望の稜線
朝日の中、雨上がりの好天の草原に上がって双六を目指す。このあたりはクマがいるようできのうの夕方もホカホカを見て、今朝も違うホカホカを見た。闖入我らに示威行動かもしれない。隣にうんこをしておいた。沢の源流から登山道への接合部は、クマのトレースに続いて道に出る。
双六からは全北アルプスと遠い白山、浅間山まで見えた。円空はあの双六池の畔で百日修行をしたのだろうか。400年前の同じ人間の行いだ。
稜線を辿って小池新道をくだる。槍の正面からの展望だ。何年か前、冬に弓折岳山頂イグルーから鷲羽岳をアタックした。ホワイトアウトの双六岳下りは全然わからず緊張した。
小池新道では若者が二人、道に石組みをしていた。この道は石組みが完璧すぎてまるでチベットの高山集落のようだ。出来過ぎで舗装路クラス。お陰で、ジカタビにはややきついかも。登山道の石って、動かないしヌルってないから最高だ。
清水さんはやはりくだりもペースが遅く、一緒に下ると米山の松本行きのバスに間に合わないかも知れないので、小池新道登山口でお別れする。少し上の先輩と山に行くと数年後には自分もこうなるなということがわかる。茂木さんは「そのジャンプができなくなる日がくるんやで」と、清野さんも「65歳でカクッときたよ、沢はやめた」と言っていた。
林道をぶっ飛ばしていると、猛スピードで追い抜いていく若者が。声を掛けると4時55分の平湯行きバスに乗らないと今日中に東京に帰れない、と。こっちもスピード上げてついていく。スマフォの電池切れで、実はバスの時間を知らずに歩いていた。
新穂高温泉で平湯行きバス発車10分前についた。下山連絡したいが携帯は駄目、公衆電話もない。ロープウエイの売店の女性に尋ねると自分の携帯を貸してくれた。なんていい人なんだ(事務所では断られた)。でも、かめに電話したら留守電。バスの券売機で慌ててお釣り9000円を取り忘れていたら、若者登山者が教えてくれた。「小銭も忘れないで」、なんていい人なんだ。平湯のバス停でも慌てて売店で水を買ったら、ウサハナの小銭入れをカウンターに忘れた。売店の女性が走って持ってきてくれた。なんていい人なんだ。旧上宝村にはいいひとばかり。
携帯が使えず、山の上から最終バスの予約もできずにヤキモキした。高山‐松本線は、今年からアプリで予約しないと乗れないんだよ。この煩雑な操作をしていたら電池の最後の一滴が絶えたんだ。槍ヶ岳の見える絶景の場所で予約アプリと格闘なんて。なにやってんだ。
結局電話の充電は帰宅するまで無し。バスの中でぼーっとまどろみ、旅の記憶を反芻した。携帯電話なんかなかった時代に帰りたい。でも3つのバスを乗り継いで帰宅して、晩ごはん食べて生き返る。4日ぶりの生野菜や納豆ご飯。かめさんは、「イマココがみれなくて、つまんなかった」だって。全行程沢の中だから、山頂行くまで無理。
コメント
この記録に関連する登山ルート
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冬季笠ヶ岳北西尾根、狙ってるんですか?
2473さんが構想しています。対岸すごい急斜面だ。
当時の五万図槍ヶ岳には、小倉谷に破線と橋マークがかいてあります。写真の壊れた橋がそれだと思います。自分が通過した時は、大変立派なしっかりした橋だったので驚きました。笠ヶ岳へは、この橋を渡って山道を少し歩いて尾根に取りついたようです。打込谷出合を過ぎると、電力会社の架設の道も無くなり、入谷しました。一年目に雨で撤退しましたが、ゴルジェの立派な巻き道が右岸の上の方にありました。ほぼ登山道と言ってもいいくらいでビックリしました。あと、コラムの記事ですが、最初の小池新道は、大ノマ乗越からトラバースしながら双六谷源頭にでるルートでした。コラムによると、神岡の猟師達は、双六谷をさらに下り、板戸岳と秩父平の尾根に登り返し板戸岳から南西の方向に下り、打込谷1649に下って帰って行くと書いてありました。円空は、このルートで双六岳へ登ったのではないでしょうか?この辺りは、釣り師や猟師の道が縦横にあったのではないかと思います。
ご存知だったかも知れませんね?清水さんによろしく。いつもワクワクするレコ、日記有り難うございます。
ありがとうございます。小倉谷に道ですか。谷の道は伊藤新道もですが整備がタイヘンでしょうね。安全第一時代には整備責任が重すぎで廃れたのかな。あの壊れ橋を渡って、積雪期に尾根から笠ヶ岳を目指したい仲間から渡渉の可能性を問われました。
小池新道は小池潜氏と関係があるのかな。やはり40年近く前、岩魚小屋でお会いしました。
コメントでは、分かりにくいと思ったので、見ずらいですが日記に写真で地図をあげました。ご一読ください。赤鉛筆の薄い線ですが参考になるといいです。
小池新道は、潜さんのお父さんがきずかれました。古い地図には記載されています。米山さん達がクマの道と思ったルートは、古小池新道かもしれません?鏡平ルートは、潜さんが付け替えたと聞いています。小池新道の整備は、鏡平小屋の前オーナーの大沢さんが熱心に手を入れられ今があります。よく小屋仕舞いの夜にウイスキーを飲みながら歓談しました。岐阜県側の登山道には、吊り橋がありません。徒渉は登山の技術の一つですが、雨が止むのを待っているのは、遠くからやって来る登山者には、難しいですよ、という話をしました。よく年から秩父沢など木製の橋がかかる様になりました。小池家の三代目も安定の登山道をポリシーにしています。シーズン初めに自ら石を組み直していました。
双六谷の吊り橋は、電力会社がダム調査のためにかけたと聞きました。登山道に吊り橋をかけることのない岐阜県があの谷にかけたとは思えません。(素晴らしく立派な橋でした)
念願の年寄りになったなあ。まず、40年前の装備が一番だと思っている。電化製品はなくてもいいと思っている。35Lじゃ日帰りザックだね。
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