悪沢岳・荒川中岳・前岳・赤石岳


- GPS
- 18:02
- 距離
- 29.4km
- 登り
- 3,266m
- 下り
- 3,221m
コースタイム
- 山行
- 5:23
- 休憩
- 0:13
- 合計
- 5:36
- 山行
- 9:00
- 休憩
- 1:08
- 合計
- 10:08
- 山行
- 2:36
- 休憩
- 0:05
- 合計
- 2:41
天候 | 初日: 雨 2日目:曇(稜線は暴風) 3日目:曇(視界は良い) |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
ひたすら山道が長い、しかも井川の生活道路。 山道の割に道幅広めで離合の心配はほとんどない。 |
コース状況/ 危険箇所等 |
危険な箇所はなく歩きやすい。 油断していると道迷いしやすい箇所あり。 →特に、千枚小屋へ向かう登り、清水平と蕨段の間 →同じ箇所を3回間違った →踏み間違いが多い箇所とはいえ、ピンクテープや印をしっかり追う基本ができていれば防げた |
その他周辺情報 | 下山後は「畑薙荘」で温泉 |
写真
感想
・雨天決行、荒天覚悟
直前になって台風が2つ来た(22、23号)。
22号は想定内だったが、やり過ごして安心と思ったら23号が土壇場で同じルートをなぞりそうだというのが想定外だった。
キャンセル料を払うのは癪で、決行することにした。
金曜日、仕事終わりで相当疲れていたが、帰宅後支度をして22時半にようやく自宅を出発した。
新東名清水PAに1時過ぎ着、2時間半だけ仮眠して翌朝畑薙を目指した。
この睡眠不足と疲れが翌日の山行に悪影響となった。
・千枚小屋への登り
畑薙臨時駐車場には6時半に到着。
車は少なめ、キャンセル者も結構多かったそう。
バスは7時半発、移動時間は1時間、椹島到着時刻は8時半。
小雨が降る中で千枚小屋を目指す。
序盤調子は悪くなかった。
標高2000m手前「清水平」過ぎたあたりで深刻な道迷いをした。
深刻だったのは、3回同じ場所を迷ったこと。
自分の力量を過信していたのだと思う。
道迷いしやすいのはピンクテープなどのガイドを見落としていて、他人の踏み間違いがあるような箇所。
いつかは気づくが、今回気づけども引き返す道がわからないほどだった。
地図アプリの方位を頼りに道なきフカフカの苔が生えた場所を通過するなど強引に登山道に復帰したのだが、どっと疲れた。
これにより30分程度タイムロスをした。
同行した方に後ほどその話をしたが、同じく「迷った」とのこと。
やはり道迷いしやすい箇所だと思う。
それでも迷わない人もいるのだから、不注意でしかない。
・自分の登山レベルを降格
一応、自分の山行レベルを「上級」にしていたのだが、降格を決めた。
ステータスを「上級」から「中級」レベルに降格することにした。
理由は「体調管理怠慢」と「道迷い」による。
「道迷い」以降、具合がだんだん悪くなって来た。
胃腸が活動していない。
ちょうど1年前の【北岳→農鳥岳】の山行でも同じことが起きていた。
吐き気に近い気分の悪さは消化不良のサイン。
なぜそうなるのかは体質のせいだと思うが、胃の中が空っぽであれば防げることも知っている。
朝食を摂らなければ防げたはずなのに、今回も懲りずに朝食を摂ってしまっていた。ちなみに朝食は「バターコーヒー」一杯、これがいつもの朝食。
朝食、睡眠不足、疲れ。
わかっているのに対策を怠ったことが具合の悪化の原因。
・睡眠不足なのに一睡もできなかった千枚小屋
やっとのことで初日の目的地千枚小屋に到着した。
小屋ではしばらく何もできなかった。
胃のむかつき、膨満感を抑えるために水を飲み、胃腸が動くのを待って食事の支度をした。
カロリーを補うために、自宅でパウンドケーキを焼いて持ってきた。
今回は2本持って来た。
それを胃に押し込むために、自家焙煎したコーヒーを淹れて飲んだ。
この夕方のコーヒーが仇となった。
18時には寝る人が出始め、自分もそのように寝床についたのだが、周囲の人がイビキをかいて寝始めると、カフェインの覚醒作用も相待って余計に眠れなくなった。
この時間にコーヒーを淹れて飲んだことを激しく後悔した。
・山小屋、眠れない
これまで山小屋で眠れた試しがない。
去年の農鳥小屋でも、先月の富士山の九合目の山小屋でも…
千枚小屋でも案の定、寝られなかった。
両隣に人がいて、イビキが気になって、そしてコーヒーを飲んだせいで。
疲れていて、眠いのにも関わらず寝られない。
何よりも暖房が効いていて暑くて眠れなかった。
南アルプス、去年よりも暖かかった。
2泊目の赤石小屋では誰よりも早く寝床についた。
ぐっすりではないが、やっと眠れた。
・稜線歩き、暴風視界なし
千枚小屋をまだ真っ暗な4時に出発。
富士山の輪郭は見えた。
天気が良くなりそうだと期待する。
だが稜線やピークからの眺望はその先で得られなかった。
風が強過ぎて留まって何かしよう、という気にもならない。
頂上で証拠写真を撮影してすぐにその場を去ることになった。
・赤石小屋、気にいる
二日目の赤石小屋。この日が今季最終営業日で全宿泊者素泊まり(食事提供なし)だが、限定メニュー(牛丼)があった。まともな食事をしたかったから注文した。
17時に提供されて完食した、菓子の差し入れもあった。
仕事のできそうな感じの良さそうな女性山小屋主人、夕食後に日没前の周囲の山々の
景色を外で眺めて、撮影を1人だけでしていたら、話しかけてもくれた。
小屋ではこれまで通過してきたすべての山に加えて、聖岳・兎岳なども見えた。
素晴らしい場所だと伝えた。
時間がない、体力がない人は椹島から赤石小屋まででもいいかもしれない。
あるいは、椹島から赤石岳をピストンするだけでもいいだろう。
夕方になって徐々に雲が少なくなってきた。翌朝は晴れそうだ。これまでの道中景色の撮影が十分でないから、赤石小屋での撮影に賭けることにした。
翌最終日は案の定、雲に遮られることなく周囲の山々を見渡せた。
多くの人がまだ明るくなる前に足早に下山した。そのことを山小屋の人たちが話していた、勿体無いと。自分を含めてゆっくり下山した3人ぐらいだろう、景色をしっかり撮影していったのは。
周回ルートで反時計回りにしたのは結果的によかった。
時計回りだとこのタイミングで千枚小屋にいるはず。
千枚小屋では今回登った山々は見えない。その代わり、赤石小屋からは見えない富士山がよく見える。
・音楽は熊鈴そのもの
登山と下山では音楽を流しながら、もちろん鈴も鳴るようにしながら行動した。
登山ではヴェルディのオペラを中心に、下山ではリヒャルト・シュトラウスのアルプス交響曲をひたすら垂れ流した。
これは知床連山の時と同じで、熊避けの目的、他の登山者への自分が近くにいることを知らせる目的がある。
アルプス交響曲は「アルプス」と名のつく山行をするときには聴きたいから用意しておいた。一番のお気に入りは朝比奈隆指揮北ドイツ放送響のライブ録音。聴きながら下山して感極まることもあった。今後も飽きるまで続ける。
・椹島は誰のもの
下山してきてわかった。
静岡県の角(つの)の部分の南アルプス一帯が社有林であることが。
椹島に来ればその詳細がわかる。
大倉喜八郎という人が5万円で買った。
彼は大倉財閥を築き、渋沢栄一と共に帝国ホテル、東京経済大学、大成建設を作ったり今に至るまで影響を与えている。
東海パルプ、特種東海フォレスト、十山とかいう企業も大倉財閥から生まれた企業のようで、静岡に製紙工場が多いのも彼が南アルプスの木々を使って製紙事業を始めたからだと言える。
大倉は90で亡くなっているが、88歳の時にカゴで担がれて山に入り、赤石岳の山頂に立っている。総勢200名での山行だったらしい。
お金を払わないと、山小屋の利用をしないと椹島にゆけないこのシステムは入山者を規制する意味もあって、良いと思う。
自分は他の登山者が多いのが苦手で、人気の山にはできるだけ行きたくない。
この南アルプス中南部界隈はそういう意味で気に入っている。お金とアクセスの時間はかかるが。
8月に人身事故が起きた羅臼岳を含む知床への入山も、なんとかして入山者を規制するべきだと思っている。
人間が増えると自然を壊す。世界自然遺産を守るとは、つまりクマも守るということ。人間のためにクマを殺すのは、考え方が根本から間違っている。
コメント
この記録に関連する登山ルート

いいねした人