108.滝子山,大谷ヶ丸,米背負峠(笹子駅→寂ショウ尾根→甲斐大和駅)


- GPS
- 06:23
- 距離
- 19.1km
- 登り
- 1,473m
- 下り
- 1,443m
コースタイム
- 山行
- 5:48
- 休憩
- 0:35
- 合計
- 6:23
天候 | 晴れ、風強し |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2021年04月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
高尾駅5:14着 5:15発(同じホームの向かい側) 大月駅5:51着 5:54発(階段上がって3番ホーム) 笹子駅6:06着 <復路> 甲斐大和駅13:16発 |
コース状況/ 危険箇所等 |
最近の雨降りで濡れている場所が多かったものの、ぬかるんではいませんでした。 寂ショウ尾根の岩場は2回目だというのに赤印のない場所でルートを見失いそうになりました(特に鎖場以降)。とはいえ、岩場は危惧していた程には濡れてはおらず滑りませんでした。 ヒメイワカガミは1〜2週間後が見頃でしょうか。 下山に使ったルートは、落ち葉が深く積もりスリッピーな所もあるので注意が必要です。 |
その他周辺情報 | <景徳院の生害石> https://www.yamanashi-kankou.jp/rekitabi/jisha/spot/054.html ※笹子雁ヶ原摺山(2020.3.21 記録No.63参照)からの下山時は景徳院の前を通り過ぎただけだったのですが、今回は勝頼公の生害石にお参りして帰りました。 |
写真
そう、今日の主目的はこの甲州アルプスの尾根を赤線でつなぐこと。
2020.9.21(山行記録NO.76参照)、上日川峠から小金沢山を通ってあの峰を歩いてきたものの、膝のトラブルで米背負峠で下山してしまった心残りを回収するための山行なのでした。
緩やかなアップダウンを繰り返す歩きやすい道のはずなのにどうしたことか、ひどく疲れます。栄養ゼリーとチョコポイップでエネルギーチャージ。でも、やっぱり足が重いぞ。まるで背中に米を背負っているようです。これは「米背負峠」の呪い?!
目的地に着いたので遅めの朝食(おにぎり)をいただきます。
で、改めて疲労の原因はシャリバテだったのかしら、と思うもののそれだけではない気がしました。
ここ半年ほど、1000m以上の山に行っておらず高度順応ができていなかったこと、苦手な岩場で無駄な力を使ってしまったこと、などにも原因があるのかな、と思いました。
ここまでなら膝のトラブルを抱えた前回もこれなくはないなと思いましたが、ここからの下りが予想外に急坂でスリッピーで長い!いや〜、膝を痛めていたあの時は米背負峠からの下山で正解だったんだわ。
装備
個人装備 |
ココヘリビーコン
マスク
フェイスカバー
長袖Tシャツ
半袖Tシャ
マイクロフリース上着
ウィンドブレーカー
マイクロダウンジャケット
レインスーツ
サポートタイツ
リュック
手袋
水850ml
キャップ
タオルマフラー
パスモ
小銭
スマホ
コンパス
地図
昼食(おにぎり1個
一口サンドイッチ)
行動食(栄養ゼリー
チョコホイップ
魚肉ソーセージ
柿の種
チョコナッツ
塩タブレット)
トイレットペーパー
ビニールテープ
熊鈴
モバイルバッテリー
ファーストエイドキット
膝サポーター
ストック
|
---|---|
備考 | 1000m超えた辺りから尾根上の風が冷たく滝子山までは結局着ていたマイクロフリースを脱ぐことはありませんでした。大休止をとらなかったのであまり体が冷えることがなく、ウィンドブレーカー、マイクロダウンジャケットやレインスーツの出番なし。下山の昼頃は暑くなりフリースを脱いで長袖Tシャツで丁度良かったです。 靴については悩みましたが、天気予報で1500m付近は最高でも13°くらいだったこと、早朝の出発だったこと、雨が降って道がぬかるんでいる可能性があったことなどもあって、結局、冬用登山ブーツにしました。また、前回の寂ショウ尾根でも使用した靴だったので安心感もあって正解でした。(下りの時はちょっと暑く蒸しましたが) 2本ストックは滝子山までは使用せず、滝子山から先はずっと使いました。 |
感想
今日はGW中とはいえ平日の早朝なので電車も駅も人はまばらです。
上野原付近から先は朝霧が立ち込め、まるで高原列車の気分。こういう時は高度が上がるとすっきりした青空が広がっているはずと期待が高まります。
今日は滝子山を経て米背負峠まで行く予定です。地図を見ると「大谷ヶ丸まで行って甲斐大和駅に下山するのなら分かるけど、なんでわざわざ中途半端に米背負峠までピストンするの?」ってなりますよね。
写真のコメント欄にも書きましたが、今回の一番の目的は「76.膝が悲鳴の甲州アルプス(上日川峠→大菩薩峠→小金沢山→牛奥ノ雁ヶ腹摺山→黒岳→米背負峠→日川渓谷レジャーセンターバス停)」の山行を完結させるためなのです。このNo.76の山行、本当は米背負峠から下山するのではなく大鹿峠から下山する予定だったのです。しかし、白谷丸の激下りで左膝を痛めてしまいやむなく米背負峠から下山したのでした。赤線が中途半端に途切れてしまっているのが気になっていて赤線を繋ぎたいって思っていたのと、果たしてあの時の判断は正解だったのかどうかの検証をしたかったのでした。
今回歩いてみて、やはり米背負峠からの下山が正解だったと思いました。ですが、同時にあの時の自分の判断が正しかったというよりも結果的に正解になっただけだった、という思いも強くしました。
何故なら、当時、私は甲斐大和駅まで歩きとおす想定で予定ルートである大鹿峠とエスケープルートの米背負峠を比較していて大鹿峠の方が距離的に短いと感じていました。実際には、丁度最終バスに間に合って車道に出てすぐのレジャーセンターでバスに乗ることができたしそれに間に合わなくてもタクシーを呼ぶこともできたのですが、米背負峠で判断するときには考慮していませんでした。また大谷ヶ丸の下りがあれほど急だと分かるほど地図を読み込んでもいませんでした。一方、米背負峠からの下りでは沢でルートを見失いそうになったり、林道が土砂崩れでかなり危険な状態だったことを知りませんでした。
先日、地球ドラマチック「タイタニックはなぜ沈んだのか?悲劇につながった10のミス」を見ていて印象深かったエピソードがありました。それは、「タイタニック号の事故以前、姉妹船オリンピック号が軍艦と接触事故、本来なら沈没レベルの事故が水密隔壁によって沈没は免れた。これでその船長はこのクラスの船は沈まないという認識を持った。その時のスミス船長が後にタイタニック号の船長になった」というものです。たまたま運が良かっただけかもしれない成功体験が、同じような事態に直面した際には判断の誤りを誘発してしまう、ということもあるのだという教訓。
私の場合も「運が良かっただけ」という部分があるということを肝に銘じたいと思います。
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