【過去レコ】1994年 キリマンジャロ (マラングルート~ギルマンズポイント)

- GPS
- 100:19
- 距離
- 62.9km
- 登り
- 3,801m
- 下り
- 3,801m
コースタイム
- 山行
- 5:02
- 休憩
- 1:52
- 合計
- 6:54
- 山行
- 7:19
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:19
- 山行
- 7:50
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 7:50
- 山行
- 12:37
- 休憩
- 1:30
- 合計
- 14:07
- 山行
- 6:54
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:54
天候 | 全行程(12/25〜1/4)の大半は晴れ、1/2のみ雨。 登山中(1/28〜1/1)は全て快晴〜晴れでした。 |
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アクセス |
利用交通機関:
自家用車
飛行機
12/25 16:00 関西空港発 エア・インディア (香港、デリー経由) 12/26 2:10 ボンベイ空港着 (センターホテルエアポート休憩) 15:30 ボンベイ発 エア・インディア 19:20 ナイロビ着 (ヒルトン インターナショナルホテル泊) 12/27 8:10 ナイロビ発 ワンボックスカー2台に分乗 11:00 ケニア出国・タンザニア入国 16:47 タンザニア (モメラロッジ泊) 12/28 7:20 モメラロッジ発 ワンボックスカー2台に分乗 10:06 マラングゲート着 (公園事務所で入山手続き) 【以降〜12/28〜1/1までキリマンジャロ登山:4泊5日】 ・帰着:1995年1月4日 タンザニア→日本 1/1 15:57 マラングゲート発 ワンボックスカー2台に分乗 18:00 アリューシャ着 (マウントメールホテル泊) 1/2 8:13 アリューシャ発 10:10 タンザニア出国・ケニア入国 13:46 ナイロビ着(ヒルトン インターナショナルホテル休憩) 21:40 ナイロビ空港発 エア・インディア 1/3 6:02 ボンベイ空港着 その後、ボンベイ観光 (センターホテルエアポート休憩) 22:30 ボンベイ空港発 エア・インディア(デリー、香港経由) 1/4 13:45 関西空港着 14:30 検疫・入国審査後に空港待合室で解散 【各時間はそれぞれの現地時間表示。そのため、飛行時間には時差による補正が必要です。】 |
コース状況/ 危険箇所等 |
登山路に特別危険個所なし。高山病が一番問題。 |
その他周辺情報 | 途中の宿泊場所にはロッジ、食堂、トイレ、テント場等あり。 我々は手配の関係で(ロッジ争奪戦に敗退)大半がテント泊。 ・12/28 ロッジ泊 ・12/29〜12/31 テント泊(3泊) |
写真
「キリマ(kilima)」は「山」、「ンジャロ(njaro)」は「白さ」で、「白く輝く山」を意味するというのが通説。(Wikipedia)
感想
【1994年の過去レコです。Sさんのリクエストにお応えして作成しました】
(2025年9月14日 レコアップ)
☆記載内容の補足
・30年前の記録のため記憶違いがあるかも。
・写真はネガが見つからず、印画紙をコピー。経年劣化で画像低下。
・当時はタンザニア直行便がなく、登山口までの移動に往復6日要す。
(関空→インド→ケニアまで飛行機。ケニア→タンザニアは専用車)
・その代わりインド ムンバイで半日観光を2回楽しめた。
・タンザニア渡航には「黄熱病予防接種」が必要。
接種して黄熱病予防接種証明書(イエローカード)を取得。
(黄熱病の常在するアフリカ諸国間を移動に必要。今回はケニアータンザニア間移動)
・参加者は会社の山岳部9名。他に日本のツアーガイド1名。
現地ガイド・ポーター・コック26名の総勢36名の大部隊。
・日本のA社に単独ツアーで手配頂く。ツアーガイド1名付。
(会社の年末・年始の休日に合わせて日程を組む。11日間)
(料金はA社主催のキリマンジャロツアー料金と変らず)
☆個人の感想として
・登山発案から1年で良く実行できたものだと思っています。参加者9名でいろいろ相談し、ツアー会社担当と計画を詰めて準備が出来ました。ツアー会社のガイドさんも手際よく我々をリードしてくれました。感謝。
・キリマンジャロ登山は4泊5日で登れます。途中の宿泊地は設備もあって問題なし。
【追記:最近(2025年)のレコを見ると設備が拡張・近代化され驚くばかり。我々はロッジ獲得競争に負け、初日以外は3泊テント。体力回復度はだいぶ違います】
・1日1000m登って宿泊。山頂登頂日だけが未明から夕方まで長時間行動になります。最大のリスクは高山病。大半の人が影響受けますが強弱は個人差あり。途中で1泊増やして高度順化に努めれば登頂率アップの可能性。我々は休日の都合で増泊できず。今なら直行便で行程に余裕持てる。
・キリマンジャロ山頂は富士山山頂と同じように火山のお鉢状態です。我々はお鉢の一角ギルマンズポイントまで到達しました。残り200m登れば最高点のウフルピークでしたが、時間と体力の関係でウフルは断念。(後年、諦めきれないメンバー2名が別々に再登頂しウフルピーク到達)
・私はギルマンズポイント登頂で充分満足。何しろお金が掛かり過ぎ。
・私の担当はビデオ撮影。30年前の機材なのでカメラ、バッテリー共に大きく重い。山上でぐるっとビデオ回したら高山病でフラフラに。
・帰国後に1時間ものへ編集し参加者に配布。(VHSビデオ)
・個人名(顔入り)、会社名が映っているためレコには掲載不可。
以下は会社山岳部の会報に載せたもののうち、私が記録担当した部分を掲載。氏名は略称に変更。(全部で30ページあるものの一部)
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キリマンジャロ 頂上登攀隊の記録
作成:abek3
期間 :1994年12月25日〜1995年1月4日(11日間)
山域 :キリマンジャロ (タンザニア)
参加者:Y氏、H氏、K氏、Ki氏、I氏、N氏、Yo氏、T氏、abek3:9名
1、はじめに
キリマンジャロ山行計画は1993年12月9日京橋「こよし」で開催された ’92年台湾山行記念忘年会で発案され、多数の賛同を集めて計画立案から遂行へと向かいました。山行報告書は総頁30ページを超えるため、ここでは頂上登攀日のみ記載します。詳細は報告書をご覧下さい。
2、山行報告「頂上登攀隊の記録」
1994 年12月31日午前1時30分、高山病の症状が出たYさんをキボハットに残し(ツアーガイドが残って同行)、残り8人は真っ暗な中をヘッドランプの明かりを頼りに砂礫の道を登り始めた。みんな口数も少なく黙々と足を進める。しかし、スピードは出ない。ガイドがコントロールしているためもあるが、それにしてもスローペースだ。眠い、時々目をつぶって歩いている。まさしく呑み過ぎた時の症状である。先行する外国人のグループの明かりが上方にちらちら見える。あとは、ひたすら前を行くメンバーの足元を追いながら歩き続ける。5000m付近でNさんがダウン。酸素を置いてある洞窟の傍で休ませガイドを一人つけて様子をみてもらうこととした。その後、Nさんはガイドの勧めにより下山した。
残った7人のペースは上がらない。静かな登山が続く。大きく息を吸う音と、ゆっくりした歩調の靴音が聞こえるが、皆自分のペースを保つだけで精一杯。喋る元気も出てこないようだ。 時計を見る余裕もなかったが、徐々に辺りが青みがかって夜明けが近いことを示している。6時になるとかなり明るくなって日の出はもうすぐである。自分の役割であるビデオを取り出し撮影にはいる。背後のマウエンジ峰から太陽の光が射しはじめる。ご来光だ。最後を歩くYoさんを励ますようにガイドが現地の歌(と思う)を口ずさんでいる。この歌と登る太陽の映像を重ねようとビデオを回す。我ながら中々良い構図だと、一人満足しながら映すうちに先頭とかなり開きが出てきた。急いで追いつこうとするが、すぐに息が切れてしまう。
砂礫の登りは続く。見上げても頂上はなかなか見えてこない。石と砂ばかり。我々のグループのはるか上を外国人と思われる一団が進んでいる。そちらの歩調も遅いが、こちらとの差はさっぱり縮まない。 頂上が近くなったらまたビデオを映さなくてはと考えるのだが、身体がついて行けない。歩くだけで精一杯である。深呼吸を繰り返しながら、一歩また一歩と足を進める。これで頂上に到達できるのかと、ふと不安になる。日本の山でここまで不調に落ちた事はない。
頂上到着の撮影が出来ぬまま、先頭のHさんとKiさんはギルマンズポイントに到達した。こちらも後少しであるが、最後の20m程が何と遠いことか。足元に雪が見えてくる。キリマンジャロの雪だ。岩影に少しづつだった雪がだんだん増えてくる。岩棚の窪みを登りきるとすぐ前がピークだった。時間は午前8時30分。ついにギルマンズポイント到着である。 先に到着したHさん、Kiさんの二人は動く気力も無いのか、岩に座ったままである。とにかく一番高いと思われる岩の上に腰をおろし、さっそくビデオ撮影開始である。なにしろ若干頭が惚けている状態である、しっかり目に焼き付けるよりビデオテープのほうが頼りになる。準備ができたころには全員なんとか頂上に到着である。さっそく声をかけて到着記念の撮影開始。がしかし、映しはじめたとたんにYoさんは首をガックリ前へ倒し、お休みポーズである。他のメンバーもお互い写真を取り合っているが、どちらも自分の身体を動かさずにすむよう、相手のカメラで写されるだけで満足している。
頂上に滞在できる時間は短い。とにかくビデオを回し続ける。360度の展望を写そうとビデオをぐるりと一周させると、それだけで座り込みたくなるほど息が切れる。とにかく空気が薄い。地上の約半分の気圧である。しかし、見渡す景色はすばらしい。我々は頂上のお釜の縁にいるのだが、対峙する部分は大半が雪に覆われ一部は板状の氷河を形成している。高さ数メートルの氷河が何層か重なり、青い空の下でまぶしい白さで輝いている。 左手にはゆっくりとした起伏を見せてウフルピークと思われる雪の稜線が見えている。我々は到着が遅かったためあのピークまでは行けないがルートを辿る人影が見える。しかし、残念だという気持ちはあまり起きない。キリマンジヤロのひとつのピークを極めたことで、充分達成感を味わうことができた。それにこの天気の良さ。この幸運に感謝しなくてはバチがあたる。我々は今、白く輝く山の頂上にいて、まさしく山は輝いているのである。
一方、背後を見回すとキリマンジャロの第二の高峰マウエンジ峰が荒々しい岩肌をみせている。下方の砂礫帯には昨日まで我々が辿ってきた長いルートが細くどこまでも続いている。Yさんが残ったキボハットの小屋も見えている。今頃どうしているだろうか。頂上に立てなかった二人のために出来るだけたくさんの風景を映そうと、二度、三度とビデオをスパンさせる。そうこうするうちに、ガイドから下山開始の指示が出された。名残惜しいが、もう下りなければならない。下りの行程も長いのである。頂上滞在45分。さいごにギルマンズポイントの石版を撮影し、ビデオを止めて下山開始である。 得意の下りであるが、息が上がってなかなか足が思うようにうごかない。最後にスタートしたが、すぐに追いつくだろうとたかを括っていた。が、結局キボハットまで最後尾であった。11時25分キボハット到着。約1時間休憩の後、さらに下のホロンボハットに向け出発する。16時少し前にホロンボハットに到着。とにかく疲れた。平坦な砂漠地帯が続いたが、足の重いこと。こんなところでなぜ息が切れるのかと、情けなくなる。
とにかく高山では日頃の体力差より酸素吸収能力の差の方が影響が大きいようだ。なにはともあれ、ようやく本日の行程を終え、振り返って再びキボ峰を眺めてみる。今日、あの峰を登って来たのだという感慨が少しずつ湧いてくる。こうして1994年最後の日は静かに幕を閉じていった。
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コメント
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8年位前にYanyan7さんから凄い人と出会った
とお聞きし 其の偉業の内容を教わりました.
漸く全貌の一端が判明し感無量で御座います.
それにしても30年前ですから
abek3さんお若いですね👌.
小生の無理な要望にお応えいただきまして
誠に有難う御座いました.
見て頂きありがとうございます。
過去レコアップの1候補で、いつかしようと思ってなかなか進みませんでした。
30年前なので電子データ(記録・写真)無いのが一番苦労しました。
sansho0101さんの後押しでようやく完成です。
こちらこそ有難うございました。
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