大井川 聖沢 奥聖沢〜奥聖の滝沢〜前聖の滝沢〜赤石沢 奥雪渓沢〜下奥雪渓沢(仮称)


- GPS
- 36:54
- 距離
- 31.9km
- 登り
- 4,617m
- 下り
- 4,628m
コースタイム
- 山行
- 6:30
- 休憩
- 2:25
- 合計
- 8:55
- 山行
- 8:17
- 休憩
- 0:58
- 合計
- 9:15
- 山行
- 8:21
- 休憩
- 1:35
- 合計
- 9:56
- 山行
- 9:38
- 休憩
- 0:19
- 合計
- 9:57
天候 | 1日目:曇り、2日目:曇り一時雨→晴れ、3日目:晴れ、4日目:曇り→晴れ |
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過去天気図(気象庁) | 2025年09月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
自家用車
|
コース状況/ 危険箇所等 |
○聖沢本流:4級下 (1日目に遡行) 聖沢吊橋より下流にも檜垂というゴルジュや右岸枝沢に100m近い滝があり、悪くはない。大垂は圧巻で、うまく巻けば懸垂なしで落口に出られる。小垂から始まるゴルジュもスケールと登り応え・巻き応えがあり面白い。 ○奥聖の滝沢:3級 (2日目に下降) 前聖の滝沢の隣にある沢だが、前聖の滝沢と比べると登れない滝が多く、高巻きが多くなる。どちらかを登るのであれば前聖の滝沢を登るのがお薦めだが、奥聖沢を登った後にこの沢を下り、前聖の滝沢を遡行すれば、全て味わえる。 ○前聖の滝沢:3級上 (3日目に遡行) 出合の連瀑の激シャワークライミングから始まり、かなり多くの滝が快適に登れる秀渓。開放的で景観も優れている。赤石沢流域らしい、赤い岩の滝も見応えがある。どうせ登るなら聖沢本流から継続すると充実する。 ○奥聖沢[聖沢右俣]:3級上 (2日目に遡行) 上記二本とは異なりゴルジュが発達した沢だが、発達したゴルジュ内の殆ど全ての滝が登れるため、かなり面白い。遡行時は濃いガスのため眺望がなかったが、おそらくゴルジュを抜けた先では景観も開けていて素晴らしいだろう。 ○聖平沢:1級下 (4日目に下降) 特に滝はなくゴーロが続く沢だが、所々に綺麗な湧水もあり、登山道を歩くよりは変化があって楽しめるかもしれない。 ○下奥雪渓沢(仮):4級下 (4日目に遡行) ゴルジュと登れる滝が連続する渓相で、いかにも沢登りに適している。30mある大滝が直登できるのも特筆点。水がほとんど涸れかけたところで圧倒的なゴルジュが出てくるのに、その中のすべての滝が登れるというのも素晴らしい。赤石沢から継続で登るのにお薦めの沢。 ○奥赤石沢〜奥雪渓沢:2級上 (3日目に下降) 百間洞出合〜奥赤石沢出合間は概ねゴーロ。奥雪渓沢に入ると、すぐに赤い連瀑帯があって素晴らしい景観だが、上部は非常に長いガレとなっている。奥雪渓沢に入るなら、下部だけを楽しむか、下降ルートとして通る方が飽きないのではないかと思う。 |
その他周辺情報 | 【地名】 登山大系の記述は現代登山全集の記述内容とほぼ同じであり、確認を取らずに踏襲したと思われる。現代登山全集の内容は極めていい加減で、小垂、檜垂沢、上鉄砲沢、「大タレ」(誤読)等、多くの地名が間違っており、誤情報を流布した元凶となっている。 ○檜垂、蓬垂 「中部山岳の渓流」(鈴野,1983)では「蓬垂」だが、「南アルプスと其渓谷 : 時間記録と費用概算」(平賀,1931)や「南アルプス : 附・八ケ岳連峯」(渡辺ほか, 1935)等、多くの資料では「檜垂」としているため、本記録でも檜垂とした。ひのきたる/ひのきだると読む。 ○ベト沢、檜檜垂沢、下鉄砲沢、上鉄砲沢、蓬沢 これらの地名は日影沢〜大垂の区間の右岸支流の名称だが、どの沢がどれなのかについては資料によって異なり、混乱を招くため、ここで整理する。「南アルプスと其渓谷 : 時間記録と費用概算」(平賀,1931)の巻末の概念図では、下流から順に右岸に「ヒカゲ沢」、〈名称の書かれていない水線〉、「ヒノキダル沢」、「下テッポウ沢」、「上テッポウ沢」があり、「ヒノキダル沢」の出合付近に「檜垂」がある。他方、「炉辺 第5輯」(明大山岳部編, 藤井運平著, 1931)の図では、「日影沢(十六号)」「十七号」「十八号」「十九号」「二十号」があり、十七号と十八号の間、及び十九号と二十号の間に鉄砲が描かれている。なお、この号数は、特種東海製紙の前身である東海紙料による呼称であり、鉄砲とは、伐採した木材を水と共に一挙に流すための堰である。また、「中部山岳の渓流」(鈴野,1976)では、十七号に「ベト沢」、十八号に「蓬沢(別名:上鉄砲沢)」となっている。以上を考慮し、次のように整理した。 ・1213右岸支流:ベト沢 平賀(1931)による名称の書かれていない水線であり、藤井(1931)による「十七号」。この沢の源頭には崩壊地があるが、聖沢の別の支流である赤ベト沢源頭には赤い岩の崩壊地があり、奥西河内の支流の青ベト沢の源頭にも崩壊地がある。この一致から、この山域における「ベト」は崩壊地を意味すると考えられ、崩壊地のあるこの沢に「ベト沢」の名があるのは妥当と言える。 ・1235右岸支流:檜垂沢 「ヒノキダル沢」の出合の位置に「檜垂」があるとする平賀(1931)とはやや整合しないが、すぐ上流に「檜垂」があるので、大きな不一致ではない。 ・1277右岸支流:下鉄砲沢 藤井(1931)の図ではこの上流に鉄砲が描かれており、整合する。なお、この支流の出合には大滝があり、名称がないのが惜しいほど立派なので、「下鉄砲沢大滝」と仮称を付す。 ・1360右岸支流:上鉄砲沢 [蓬沢] 藤井(1931)の図ではこの下流に鉄砲が描かれており、整合する。「南アルプス : 附・八ケ岳連峯」(渡辺公平ほか,1935)にはこの出合辺りに「蓬島」という場所があったと書かれており、「蓬沢」はこれに由来する別名と考えられる。 ○小垂(こたる/こだる) 小垂は、1900m付近から始まるゴルジュの最初の滝の名称である(平賀,1931など)。1960年までの記録では全てそうなっているが、昭和山岳会による現代登山全集(1961)の記録において、大垂の下の滝が誤って小垂とされてしまった。この記録は、大垂上から二俣まで2時間で遡行しており、小垂から始まるゴルジュをすべて高巻き、見てもいないと思われる。これがそのまま登山大系にも受け継がれ、今では大垂の下の滝が小垂として定着しつつあるが、誤りである。 ○タケビル沢、赤ベト沢 「中部山岳の渓流」(鈴野,1976)に記載されている地名。 赤ベト沢は小垂のすぐ下流の左岸支流で、確かに上部には赤い崩壊地があるので、正しそうである。「関東周辺の沢」の遡行図(1985)では奥聖の滝沢=赤ベト沢としているが、沢名について「中部山岳の渓流」を参考にし、位置は誤っていると思われる。 タケビル沢は、1787左岸支流の位置に描かれているが、「中部山岳の渓流」の概念図は不正確なこともあるので、実際は1765右岸支流かもしれない。「タケビル」の意味もよく分からない。 ○奥聖の滝沢、前聖の滝沢 初登した蒼山会同人による1973年に命名。前聖の滝沢の方が上流にあるので紛らわしいが、前聖岳に詰め上がれる方を前聖の滝沢、奥聖岳に詰め上がれる方を奥聖の滝沢としたとのこと。登山道から滝が良く見えるのに、意外にも、沢にも滝にも名称は無かったらしい。 ○奥聖沢 登山大系では聖沢右俣、「その空の下で。。。」では聖沢本谷としているが、「赤石溪谷」(平賀,1933)等に従い、奥聖沢とした。 ○奥雪渓沢 「赤石溪谷」(平賀,1933)等によると、登山大系の236ページにある概念図の「奥雪渓沢」の位置は誤りであり、下奥雪渓沢の位置に奥雪渓沢と書かれている。237ページの図は正しい。 ○下奥雪渓沢(仮称) 奥雪渓沢のすぐ下流で合流することから、下奥雪渓沢と仮称した。山と渓谷320号(1965年9月)で「奥聖岳沢(仮称)」とされているが、奥聖沢や奥聖の滝沢と紛らわしいため、採用しない。 【他の記録】 ○聖沢本流 ・聖平への登路として大正時代以前から登られているが、小垂から始まるゴルジュは薙沢経由で大きく巻かれている。 ・確認できた最も古い記録は、山岳16巻2号(日本山岳会, 1921)に掲載された、1921年7月、冠松次郎によるもので、詳細な経路は不明だが聖岳山頂まで達している。 ・小垂のゴルジュ内の初遡行については不明。 ・近年の記録も比較的多い。遡行図のあるものとしては弘田猛の「その空の下で。。。」(2006年8月)がある。 http://sonosoranoshitade.web.fc2.com/page056.htm ○奥聖沢 ・初登は不明。 ・確実な記録は弘田猛の「その空の下で。。。」(2006年8月) のみ確認しているが、古い残置もあり、かなり昔から遡行されていることは間違いない。 http://sonosoranoshitade.web.fc2.com/page056.htm ○奥聖の滝沢 ・1973年9月に蒼山会同人により初登。岳人327号に掲載(未読)。 ・初登以外の確実な記録としては「わらじ年報20」に掲載の1996年8月のもののみを確認している。 ・2002年12月に下部がアイスクライミングで初登されている。 https://www.big.or.jp/~arimochi/kiroku.03.01.20.01.html ○前聖の滝沢 ・1973年8月に蒼山会同人により初登。岳人326号に掲載、新岳人講座5に再掲。 ・近年の記録も比較的多い。遡行図のあるものとしては弘田猛の「その空の下で。。。」(2006年8月) http://sonosoranoshitade.web.fc2.com/page056.htm ○奥雪渓沢 ・1970年代の岳人や山と溪谷で言及されているが、記録が掲載されているかは未確認。 ・1992年5月にこの沢を滑落遭難し、生還した記録がある。 https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-267376.html ○下奥雪渓沢(仮称) ・記録未見だが、下部に残置ハーケンを1本だけ確認した。完登されていたのかは不明。 |
写真
装備
備考 | ・ヌメる箇所もあるが全体としてはラバーソール適 ・ロープは50m1本を使用 |
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感想
【計画の経緯】
聖沢は大井川上流部で代表的な沢の1つであり、今年実施した大井川上流部集中調査の対象として、欠かせない1本である。しかし調べてみると意外と記録は少なく、出合から山頂まで通して遡行する記録は見当たらない。それなら、やってみようではないか。ついでに、良さそうな支流である前聖の滝沢と奥聖の滝沢も行きたいし、赤石沢側の下奥雪渓沢も気になる。ということで、3泊4日の日程を確保し、これらを繋げた継続溯下行を計画した。
【感想】
初日、檜垂は思ったより立派で、遭難プレートまであったのは意外だった。大垂はうまく巻けて良かったが、その先の巨岩帯が意外に難しく、時間がかかった。さらには小垂のゴルジュや前聖の滝沢出合の上流のゴルジュが予想以上に悪く、登山大系等に書かれている、赤石沢より易しいというような記述は嘘だと分かった。登り応えがある分だけ、充実感もあった初日だった。
2日目、残念ながら天気はすぐれなかったが、奥聖沢は立派なのに突破できるゴルジュが素晴らしいと感じた。奥聖の滝沢では天気に恵まれたが、登れない滝が多かったので、下降に取ったのは正解だった。聖沢本流に戻ると、昨日も登った滝が待っていて、何をやってるんだかと馬鹿馬鹿しくなってくるのも面白い。
3日目、前聖の滝沢は非常に快適で眺めも良い沢で、好天に恵まれてよかった。奥雪渓沢はガレばかり続いてつまらないと思っていたが、下部になって赤い立派な滝が出てきて、いかにも赤石沢流域らしい、よい場所だと思った。
4日目、下奥雪渓沢は、想像以上に登れる滝が多く、しかも適度に登り応えもあるし、ゴルジュの見応えもあって、かなり良い沢だった。こんな沢が記録もないまま、メジャーな赤石沢流域に残っているなんて、やはり開拓は面白い。最後は長い長い登山道を下って、充実感と共に下山。
全体としては、赤石沢の時に続いて思い描いたとおりの継続溯下行を完遂でき、大変満足である。東海フォレスト縛りがあるので簡単に行ける沢ではないが、わざわざ行く価値のある、南アルプスを代表する1本だと思う。沢慣れした人にお勧めできるのは、赤石沢〜百間洞などというメジャーすぎるルートではなく、聖沢〜奥聖沢や、赤石沢〜下奥雪渓沢である。
【感想】
今回も良い沢で良い落書きができて満足だった。
赤石沢と双璧を成す、大井川流域を代表する銘渓だろう。
東海フォレスト縛りも相まってか、あまり開拓が進まず残っていた支流郡だが、纏めて調査できた。元々リニア調査の名目だったが、もはや趣味だよねこれ?まぁ、ご愛嬌ということで…。我々に出来るのは「大井川の魅力を発信する」ことだ。
【地名について】
大井川流域は昔から登山や沢登りだけでなく、パルプ産業等でも人々との関わりが深い山域だった。
ゆえに、細かい地名が様々な文献に記載されているのだが、これが大錯綜している。
特に、現代登山全集やら登山体系やら「自分は行った事ないけどこうらしいぜ」と他者の記録を検証せず寄せ集めた一部の記事が、ややこしさに拍車をかけている。
しかし、インターネットも無い時代に「記録集」という位置付けは多くの山ヤ沢ヤにとって嬉しいものだっただろう。
ネットも発展し、国会図書館という神サービスもあり、ヤマレコのようなサービスもあり、様々な地図情報も簡単に閲覧できる環境がある現代だからこそ、正しく検証したうえで先人の情報を生かしていきたいと思う。
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