第33回ハセツネCup


- GPS
- 20:38
- 距離
- 65.0km
- 登り
- 4,481m
- 下り
- 4,496m
コースタイム
- 山行
- 10:26
- 休憩
- 0:31
- 合計
- 10:57
- 山行
- 9:02
- 休憩
- 0:37
- 合計
- 9:39
過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
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アクセス |
写真
感想
はてさて、毎年の恒例行事となりつつある日本山岳耐久レース、通称ハセツネカップに、今年も参加することになった。
例年このハセツネには酷い思いをさせられているわけだが、今年は特に酷かった。
せっかくなので、思いのまま書き殴ってみたい。
乱文だがお付き合いのほどを。
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■地獄の釜が開く
スタート前、会場には一瞬だけ「今年は涼しいかも」という希望が漂っていた。
風はあまりないが、雲が薄くかかり、なんとなく走れそうな空気。
そのときの俺たちはまだ知らなかった。
あれは嵐の前の静けさ──いや、地獄の湿気を閉じ込めた釜の蓋が開く予告だったとは。
号砲が鳴ってから30分。もう体がベタベタ。
汗が目に入って前が見えない。
「気温は高くないけど湿度がえげつない」──この言葉をレース中、何度つぶやいたことか。
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■サバイバル
脱水で胃液が逆流し、今まで感じたことのない胃もたれ。
ジェルを飲もうとしても喉が拒否。
「飲み込めば勝ち」「でも気持ち悪くて負け」──そんなせめぎ合い。
固形物でなんとかエネルギーを補給するも、胃が「もうやめとけ」と訴えてくる。
後でSNSを見ると、他のランナーも同じように胃腸トラブルで苦しんでいたようだ。
一方で、エイドはたったひとつ、月夜見(42km地点)のみ。
水かポカリを1.5ℓ補給できるだけで、あとはすべて自前。
よくある“上げ膳据え膳大会”とは訳が違う。
水や食糧の重さと引き換えにしか生き残れない、まさにサバイバルレース。
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■ノンフィクション
そして今年のコース変更。これがまた酷い。
入山峠からトッキリ場までの林道迂回。
「どこまで下ろす気だ!」と叫びたくなるほど標高を下げ、
「また登るんかい!」と突っ込みたくなる急登が待っていた。
心も脚も膝も崩壊。
浅間峠以降は木の根に座り込む人、道端で寝る人、ベンチで魂が抜けた人。
夜の山に“人型の残骸”が点在するという異様な光景が広がっていた。
その横を、「ゾーンに入った」ランナーたちが静かに駆け抜けていく。
彼らはもはや人間ではない。
そんな“ハセツネ劇場”が、コース各所で上演中だった。
誰もが主役であり、同時に脇役でもある。
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■実験哲学(Experimental Philosophy)
この大会の特異なルールのひとつ。
転倒したランナーに手を貸すと「援助」とみなされ、両者失格。
助け合いが反則という冷酷無残。
「それ、人として正しいけど、ルール的にはアウトです」
──そんな矛盾を抱えながら走る。
善意とルールの狭間で揺れるこの感覚。
ランナーはまるで哲学実験の被験者だ。
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■生きてこそ
ゴールして時計を見ると、去年より2時間遅い。
……のに、順位は思ったほど悪くない。
そう、全員が同じように壊れていたのだ。
完走率は73%。
生き残った者=勇者。
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■一切皆苦
「なんでそんな苦しい思いをして毎年出るの?」とよく聞かれる。
その答えは、仏教の教え「一切皆苦」にあるかもしれない。
生きることは苦しみであり、逃れられない。
だが苦しみのあとに訪れる“快”の瞬間──
冷たいビールの一口、サウナの「ととのい」、仲間との笑い──
このギャップこそ、最高のご褒美だ。
結局、人生もレースも、振れ幅があるほど面白い。
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■とはいえ「もう二度と出ない」
──毎回そう誓う。
でも家に帰って洗濯していると、なぜか来年の改善点を考えている。
気づけばまたエントリーボタンを押している自分がいる。
お金を払って、体に悪いことをして、
それでも「生きてる」実感を得られる大会。
今年のハセツネも、やっぱり酷かった。
そして、やっぱり最高だった。
生還おめでとー🎶
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