夫婦でヒマラヤ絶景トレッキング

- GPS
- 522:40
- 距離
- 175km
- 登り
- 12,705m
- 下り
- 12,692m
コースタイム
- 山行
- 2:47
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 2:48
- 山行
- 6:22
- 休憩
- 0:55
- 合計
- 7:17
- 山行
- 6:43
- 休憩
- 1:15
- 合計
- 7:58
- 山行
- 6:47
- 休憩
- 1:10
- 合計
- 7:57
- 山行
- 6:32
- 休憩
- 0:41
- 合計
- 7:13
- 山行
- 6:19
- 休憩
- 0:01
- 合計
- 6:20
- 山行
- 4:22
- 休憩
- 0:33
- 合計
- 4:55
- 山行
- 6:46
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 6:46
- 山行
- 5:44
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:44
- 山行
- 2:51
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 2:51
- 山行
- 0:00
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 0:00
- 山行
- 5:56
- 休憩
- 2:03
- 合計
- 7:59
- 山行
- 6:50
- 休憩
- 0:07
- 合計
- 6:57
- 山行
- 8:09
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 8:09
- 山行
- 5:11
- 休憩
- 0:44
- 合計
- 5:55
- 山行
- 5:58
- 休憩
- 0:00
- 合計
- 5:58
- 山行
- 6:17
- 休憩
- 0:15
- 合計
- 6:32
- 山行
- 8:22
- 休憩
- 0:45
- 合計
- 9:07
| 過去天気図(気象庁) | 2025年10月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
写真
やれるだけのことはやったので、ここを私たちのピークとした。
感想
「カオスな異文化都市カトマンズとネパールクオリティー」
1日目 10月14日
入国手続きを済ませて外に出ると、ガイドのキタトさんが私たちの名前の書いた紙をもって立っていた。
オレンジ色のマリーゴールドのレイを首からかけてもらい、空港を後にした。
トリブバン空港からホテルまでの道は絶叫アトラクションより恐ろしかった。
信号もなくクラックションと強引さだけが支配するガタガタ道路をどんどんバイクが割り込んでくる。
車内にエアコンはなく開いている窓から埃と排気ガスが容赦なく車内に充満して目がチカチカしたが30分くらいで車はホテルについた。
その後、ホテルで今回のトレッキングをお願いしたヴィスタトレック社長のデベンさんから、悪びれることなく次々に予定が変更され、私たちのヒマラヤトレッキングはこのルーズなツアー会社の段取りの悪さで、最悪のスタートになってしまう。
カトマンズの宿泊は自社で経営していると言っていたのに「ホテルが満室だ」と言って裏にある汚いホテルに移動させられた。
「半年も前に予約しているのに満室?」と日本では考えられない事態に頭の中で不満が渦巻いていた。
さらに、案内された部屋は、これから20日以上シャワーが使えないのにシャワーが出ず愕然とした。
最悪だったのがルクラへのフライトの変更で、社長は「カトマンズから予約は取れている」と言っていたに、車で30分のカトマンズのトリブバン空港ではなく、車で5時間も悪路を行かなければならないラムチャップ空港に一方的に変更され説明もないことだ。
百歩譲って空港が変更されなければならない状況があったとしても。2日目の日中にラムチャップまで移動して3日目にルクラに移動するのが常識なので、私たちも変更に対応できる予備日を設けていた。
結局、一睡もできず午前1時にホテルを出発して、オンボロのワンボックスカーで山道を必死に遠心力に耐えて空港にたどり着いたときには夜が明けていた。
私たちは極度の疲労と約束が守られていないことに対する不満とこの先の日程に対する不安で押しつぶされそうになっていた。
空港でガイドのキタトさんからもらったチケットには6:30発と記載されていたが何の説明もなく時間だけが過ぎて搭乗したのは12:30を過ぎていた。
ネパールはいろんな意味で日本とは違うのは理解していたつもりでいたが、初日から想像を超えるネパールのルーズの面を思い知らされることになった。
プロペラ飛行機は谷間を抜けるように飛んで30分くらいで世界一危険な空港と言われいているルクラ空港に着陸した。
空港の到着ロビーにはポーターのデンリーさんが待っていた。
デンリーさんは小柄で痩せていてとても大きな荷物を運べるようには見えませんでしたが、手際よく私たちの二つのボストンバックを縛り、頭で重さを支えられるようにロープを結んだ。
空港を出ると雪を頂いたヌプラが見えた。
昼食を空港の近くのEVEREST PURAZA LODGE&RESTAURANT;でいただいた。
心配していたヒマラヤ食事は普通においしくて安心した。
最初の食事は私がミックスフライドライスで妻がピザをいただいた。
おいしいのだが、とにかく量が多くて食べきれなかった。
食事を終えていよいよヒマラヤトレッキングの始まった。
今日はパクディンまでの7.4kの道のりです。
この辺はまだ標高は高くないので沿道にオレンジのマリーゴールドや白い菊のような花が咲いていた。
目の前に仏塔やマニ車などの写真で憧れていた風景が広がって興奮して歩いていたので、睡眠不足もツアー会社への不満や不安も一時忘れてヒマラヤの絶景トレッキングを楽しんだ。
夕方、今日のお宿のTRIBENI LODGEに到着した。
夕食はネパールの国民食と言われているダルバートと焼きそばのようなミックスフライドヌードルをお願いしたが、ダルバートは一口食べて香辛料の強さとご飯の匂いに歯が立たず断念。
ミックスフライドヌードルは麺がのびている感じだったが食べれないほどではなかったが、ものすごい大盛で完食できなかった。
今日は予定が変更になって大変な一日となったがネパールクオリティーと諦めるしかないと自分に言い聞かせた。
夕食後、本当に長い一日がだったので部屋に戻り身支度を整え寝袋に潜り込んだ途端に眠りについていた。
「絶景のトレールでヒマラヤの懐の街へ」
2日目 10月15日
日が差し込んできた窓を開けると山頂を雪化粧したコンデリが見えた。
7時に食堂でフレンチトーストとチベッタンブレットとミルクティをいただいた。
今日はナムチェまで9.7kのコースで標高差840mを登らなければならない。
途中モンジョのJORSALLE GUEST HOUSEで昼食のカルボナーラとトマトスパゲッティをいただいたのだが、日本では考えられないほど麺がのびていて、とてもじゃないけど食べられなかった。
麺にかけてあるチーズも独特の匂いが口に残りブラックティーで口直した。
そこから、川沿いにどんどん高度を上げると大きな滝や岩の上に野生のヤギや世界一危険な場所で採れる「ワイルドハニー」が見えたり飽きることがない。
たくさん高度感のあるつり橋があり、つり橋が揺れるので通過しても足元が留れているような感じがした。
バンジージャンプのあるつり橋を超えると立派な展望台があり、タムセルクやカンテガなどの6000m峰をバックに写真を撮った。
ここから天空のナムチェまで一気に標高を上げる階段が続くトレールです。
エベレスト街道の交通ルールは最優先が荷物を載せた家畜の隊列で2番目に荷物を持ったポーターさんで3番目は足の速い西洋人で最後が足の遅い東洋人みたいな感じで、私たちは絶えず道を譲って歩いていました。
長い階段を登り終えるとナムチェの町の入口の門が見えた。
その門をくぐると大きな仏塔があり、道の左側には水路を利用してものすごい勢いでたくさんのマニ車が回っていた。
道の両側にはいろいろなお店があり、賑わっていた。
今日の宿のKHUMBU RESORTはナムチェの村の高台にあり、3階の角部屋からはナムチェの街がと雪をかぶって輝いているコンデリとタムセルクが大迫力で見えた。
夕食はピザとミックスフライドライスをいただいた。
この日から胃の調子が悪くなってきたので胃腸薬を服用した。
また、食事の度に頼んでもいないリンゴの盛り合わせが提供されていたので、サービスなのかと思ったら全額請求されていたことが判明してがっかりした。
ヒマラヤのツアーではガイドがまとめてツアー会社が負担する宿泊費と食事代に合わせて客が負担する飲み物代やWi-Fiなどの代金も一緒に建て替えてロッジに支払い、出発前に客が負担する立替た分の合計金額をガイドに支払うようだが、負担分の明細がないので過剰請求されても分からない。
さらに、Wi-Fiや充電の費用をガイドに聞いても「少しお金がかかります」としか言わないので、個別の金額を把握できなかった。
これもネパールクオリティーだ。
「塵も積もれば山となる」のたとえの通りきちんと確認すればよかったとのちに反省することとなった。
また、ヒマラヤのツアーではロッジの3食がツアー会社の負担となっているが、どの金額のメニューを食べても大丈夫でしたが、1回の食事の金額がどのように設定されているのか分からず、一人1品なのか、金額で上限が決まっているのか分からず、食事の度にモヤモヤしていた。
登山において食事は大変重要なので最初にきちんと確認していれば、この先の体調不良も防げたのではと後悔している。
食事のあと日本の友人にLINEをして近況を報告した。
こんな地の果てから日本とリアルタイムで繋がるなんてすばらしい時代だ。
夜中に部屋はペンキの匂いがきつくて頭が痛くなったが高山病ではないようだった。
「初対面のエベレストとアマ・ダブラム」
3日目 10月16日
7時にブレックファーストセットをいただく。
コヒーにトースト2枚野菜のボイルしたものとオムレツがセットになっていた。
今日はゆっくりナムチェで高度順応の予定なのでゆっくりコーヒーの香りを楽しんだ。
まず、サガルマータ国立公園博物館に行った。
門をくぐるとお庭からが広がり、中庭にシェルパ族のヒーロー的な大偉人のテンジン・ノルゲイ像があり、目線を上げるとにマラヤブルーの空に壮大なヒマラヤの山々が聳えていた。
エベレスト・ヌプツエ・ローツェ・アマ・ダブラムが遠くに見え、その手前に双耳峰のタムセルクも圧巻でした。
館内でエベレスト登頂の歴史と公立公園内の動植物の展示を見学して、エベレストビューホテルを目指した。
ホテルへのトレールはアマ・ダブラムを見ながら歩ける絶景のトレールだった。
階段を上ってホテルのロビーを抜けると、アマ・ダブラムの山頂部分の雪が輝いているのが目に飛び込んできた。
さらに、遠くにはホテルの名前のとおりエベレストが天を刺していた。
テラスは満席で韓国人のツアー客と相席させてもらった。
その男性は日本語を話せて日本の山が大好きでたくさんの登ったことがある。と言っていた。
しばらくお茶を楽しみながらヒマラヤの絶景を楽しんだ。
帰り道は旧ナムチェ空港の跡地の通って遠回りして帰った。
途中のシャンボチェの丘からナムチェの街が一望できた。
ロッジに戻りフライドポテトにオムレツが乗っているランチをいただいた。
飲み物は暖かいミルクティーにした。
お茶をいただきながら初めてのエベレストとアマ・ダブラムの姿について2人で興奮していつまでも話していた。
午後は二人でナムチェの街を散策した。
絵画やお土産や登山用品などどれも安かった。
ヒマラヤのポテトはおいしいけど量が多くてお腹が張って辛かったので夕食はネパールの餃子と言われているモモとチャーハンのようなミックスフライドライスを二人で分けていただいた。
この日から高山病の薬を服用した。
「初めての4000m峰とシェルパ族の村クムジュン」
4日目 10月17日
7時に朝食 オムレツとミルクティーをいただいた。
今日も高所順応の予定です。
まず今日の宿泊地であるシェルパの里クムジュン村にあるNAMASUTE LODGE&RESTAURANTまでトレッキング。
途中の峠からは正面にアマ・ダブラムが見えて感動した。
そして、遠くの山陰にアイランドピークが見えているとガイドが教えてくれた。
初めて目にしたアイランドピークは周りの山が大きすぎて、とても小さくて迫力がなかった。
ロッジで昼食にステーキセットをいただいたがステーキと言うより、怪しい肉のハンバーグと大量のフライドポテトのセットだった。
時間もあるのでミルクティーを楽しみながらのんびりアマ・ダブラムを見ながらいただいた。
午後はロッジからクンデピークを目指した。
畑ではたくさんの女性がスコップで畑を耕していた。
スコップでこの大きな畑を耕すには途方もない時間がかかるだろうと気が遠くなった。
クムジュン村を抜けてお寺の裏からクンデビューポイントに繋がる道を登る。
途中、放し飼いのように山の中にゾッキョがいて驚いた。
初めての4000m峰だと期待していたが「ピークは少し危ない」とガイドに止められ稜線上の4059mのエドモントヒラリーのモニュメントの場所を私たちのピークとした。
そこから少し下がった展望台でのんびり休憩でして景色を楽しんだ。
コンデリ方面はきれいに見えましたがエベレストとローツェ方面は雲に隠れていてタムセルク、カンテガ、アマ・ダブラムの先端がかろうじて雲の上に飛び出しているのが見える程度だった。
しばらく眺めているとアマ・ダブラムの隣の雲がアマ・ダブラムと同じ形に変化して「奇跡のダブルアマ・ダブラム」の写真が撮れた。
ロッジの部屋は和風を意識したのか大きく「武士道」と書かれていて不思議な感じがした。
部屋の窓からはこの旅一番の景色と言って過言ではないくらいアマ・ダブラムが真正面に見えて、村の景色とアマ・ダブラムが織りなす世界に心を打たれた。
夕食は二人ともミックスフライドライスをいただいた。
明日からは本格的なトレッキングなので早めに就寝した。
「エベレスト街道最大の僧院に響くシェルパ族の祈り」
5日目 10月18日
7時に朝食 チベッタンブレットとオムレツに例の果物セットとミルクティーをいただく。
今日は6.2k歩いて標高3800mのタンボチェを目指します。
SANASAの分岐までは下り坂ですが、そこから500m以上登らなければならない厳しいトレールです。
しかし、タムセルクとアマ・ダブラムを見ながらのトレッキングは上り坂も気にならない絶景トレールで傍らにはライチョウが遊んでいたり、青い可憐なリンドウの花もあって楽しかった。
途中NOMAD`S RESTで昼食をいただく。
ブラックティでのどを潤しトマトスパゲッティーとミックスフライドヌードルをいただいた。
途中、日本人のソロの男性と話す。
「個人でEBCトレッキングに来たが、ついでに10万円を現地で払ってアイランドピークに登ってきた」と聞いて、大変失礼だが、こんな無計画な感じでも登れるなら半年以上準備をしてきた私たちは絶対に登れると確信した。
後に、この時もう少し詳しくお話を伺っていればと後悔することになるとは思いもよらなかった。
今日のお宿のTrekkers Lodgeの部屋は北向きで寒くて嫌だったがトイレとシャワーが付いていた。
一休みして近くをガイドと散歩することにした。
タンボチェの村には大きな僧院があり、お寺の中を見学した。
多くの僧侶がお経をあげていて厳粛な空気が流れていた。
その後、タンボチェの村を見渡せる丘の途中にある仏塔まで登るとタムセルク、カンテガが目の前に見えた。
夕食のときにポーターを連れてEBCトレッキングに来ている日本人がポーターとコミュニケーションが取れず困っていたのでガイドに頼んで通訳してもらった。
その日本人男性はカラパタールが最終目的地でしたが、私たちの長い計画を聞いて驚いていた。
今日は部屋にトイレがあるので夜中トイレに起きても安心だった。
「ヒマラヤの地理的宝石ディンボチェ」
6日目 10月19日
7時朝食 いつものチベッタンブレットとミルクティーにフルーツ
今日の行程は10.3kで標高4400mのディンボチェを目指します。
ディンボチェはクンブ地方の中心部に位置して、その荒々しい魅力とヒマラヤの素晴らしい景色でトレッキング客を魅了する、絵のように美しいシェルパ族の村でエベレスト ベース キャンプ トレッキングに向かう人々にとって高度順応に欠かせない場所になっている。
8時にロッジを出発したが、さすがに富士山を超える標高のタンボチェは寒かった。
トレールはところどころ霜柱で白くなっていた。
ここからは行く手左側にはヌプツエの後ろにエベレスト、右手にはアマ・ダブラムが見える絶景のトレール。
峠には仏塔がありヒマラヤの青い空に5色の旗(タルチョ)がたなびき、隊列を組んで進むロバやや大音量でネパール音楽を鳴らして進むポーターさんを見守っていた。
どこまでもヒマラヤトレッキングならではの光景が続き、この辺まで来ると、道のあっちこっちに落ちている家畜の糞を踏まずに歩くことにも大分慣れてきた。
途中PANORAMA LUNCH PLACEで昼食ホットチョコとフライドエッグとフライドポテトを外のテラスでいただく。
午後もヒマラヤの山々に見守られながら絶景にトレールを進んで小高い丘を越えるとディンボチェの村が見えた。
村の中ほどに今日から2泊するROYAL SISA KHOLA LODGE AND RESTAURANTはあった。
早めについたので荷物を片付けて寝袋の中でウトウトして休んだ。
夕食はモモとチキンフライドライスにミルクティーをいただいた。
この旅でとにかく辛かったのは高山病予防のために1日3Lの水分補給である。
トレッキング中のトイレは避けたいので、夕食時にたくさん水分補給をせざるを得ず、毎晩4から5回トイレに通うことが体に負担となっていた。
この日の夕食はほとんど食べることができなかった。
「初めての5000m峰 ナンカルツァンピークへの挑戦」
7日目 10月20日
ディンボチェ滞在二日目
7時に朝食 パンケーキとチベッタンブレットと果物とミルクティーをいただいた。
今日はエベレスト街道高所順応登山で有名な立ち寄り場所「Nangkartshang Peak」までハイクの予定です。
人生初の5000m峰です。
はじめは幅の広い歩きやすい尾根を進み、最後は痩せ尾根の岩場でを登って山頂です。
途中妻が何度も腹痛となりましたが大きな岩陰で難を逃れることができました。
途中、前日のロッジで会った日本人が勢いよく下山してきて、「天気がこの先怪しいので下山してそのままロブチェを目指す」と言って足早に下りって行った。
最後に急な岩場を登ると山頂に5色のタルチョが風になびいていた。
標高5083mの山頂からはチョ・オユー、ローッツエ、マカルの8000m峰3峰やアマダブラム・アイランドピークなど有名な山々を眺められてとても感動した。
下山後、靴下とトレッキングパンツの裾を洗濯したが予想通りほとんど乾かず、結局洗濯バケツや洗剤などたくさん持ってきたがこの一回しか使わなかった。
明日はチュクンまでの短いトレールなので夕食をいただいてのんびりお茶を飲みながら山頂で撮った写真見ながらのんびり過ごした。
「アイランドピークの登頂に関する重大な情報」
8日目 10月21日
昨晩から気分が思わしくなく、朝食にライスプディング(ミルク粥)をお願いしたが香辛料のせいか口に合わず次回から味無で頼むことにした。
この日を境に一気に食欲が落ちてしまう。
今日はチュクンまでの4.3kの短いトレール。
クムジュン村の手前の峠で初めて見たアイランドピークは8000m峰の陰になって本当に小さかったのに緩やかな丘を進んで行くとどんどんアイランドピークが大きく見えてきて緊張が否が応でも高まった。
今日から2泊するKHANG-RI RESORT LODGE & RESTAURANTは村の入り口にあった。
昼食はトマトスパゲッティーとミックスフライドヌードルをいただいたが、いつも通りのびていてとてもまずい。
ほとんど食べれずミルクティーだけでもと思って頑張って飲んだ。
本当は体調が思わしくなかったので午後から休息をとればよかったのですが、ガイドに散歩に誘われ、ついて行くとベースキャンプの途中まで往復2時間半も歩くはめになった。
ガイドのKITATOさんは確かに日本語を話せるが英語のほうが上手で、私たちの日本語はほとんど通じていなかったことを後になって気が付いた。
そもそも、トレッキングガイドと登山ガイドは別のガイドを使う約束だったのに登山ガイドのキタトさんがトレッキングガイドを兼ねていて、ここまで一度も天気やトレールの状況について説明がなく、私たちはすべてが予定通り進んでいると思っていた。
しかし、この日ガイドから「アイランドピークのハイキャンプは用意できないのでベースキャンプから登ってもらう」と衝撃の説明があり愕然とする。
ハイキャンプがないことについて説明を求めても「雪だから」としか説明がなく私たちは納得できなかったがどうすることもできなかった。
この件についてネパールに着いた初日に、今回のトレッキングをお願いしたヴィスタトレックの社長のデベンさんから「当社はアイランドピークのハイキャンプを用意しているので他の登山隊より3時間早く出発できるので必ず登頂できますよ」と説明がありツアーの日程をまとめた旅程表にも明確にハイキャンプが記載されている。
さらに、私は日本出発前に「中国側のチベットで大雪が降った」との報道に接して、ヴィスタトレックの社長のデベンさんにはヒマラヤは大丈夫か?とメールで確認をとったが、社長は「ヒマラヤは大丈夫」と全く問題がないと連絡してきていたが、実際は過去例がないほどの雪があった。
日本の感覚では旅程表に記載されている場所もしくは同等の宿泊先が用意できないならツアーは中止は当然である。
今回のツアーのように最も重要なハイキャンプを確認を怠った若しくは故意にハイキャンプの不存在を隠してツアーを実施するなんてありえないと心の底から怒りがこみ上げた。
百歩譲って私たちが出発してからの不測の事態でハイキャンプが用意できないなら理解できるが、他の6000m峰のメラピークもロブチェピークも雪に影響があるがハイキャンプがあることからも、アイランドピークだけが雪の影響を受けてハイキャンプが用意できないというのは詭弁である。
さらに、アイランドピークは体力のある欧米人にはハイキャンプが必要なく、ハイキャンプがあってもベースキャンプから登頂を目指す登山者も多いので、円安でほとんど日本人の姿を消したアイランドピークにコストをかけてハイキャンプを用意しないのは当然かもしれない。
いずれにしてもヴィスタトレックが故意にハイキャンプの不存在を隠していたと受け取られても仕方ない状況でありツアー会社の責任は大変に重い。
ネパールクオリティーだから仕方ないではすまない。
せめて、ひとつ前の村のディンボチェで話してくれたら、先にカラパタールへ行って改めてチュクンに戻る来る間にテントを設営してもらうとか方法があったのではと思うと、ヒマラヤ経験者が勧めてくれた日本のツアー会社を選択しなかった自分の未熟な判断が恨めしかった。
その後も、「日本の会社にお願いしなかった自分が悪いんだ」とか「こんなことなら予定を変更してポカラにでも行けばよかった」と自分を責めて夜も眠れない日が続いた。
私はこの時点で標高5000mを超えるベースキャンプを出発して、さらに1000m以上登って登頂することは今の体調では不可能だと感じていた。
夕食は明日の5000m峰チュクンリ登頂に向けてライスプディングとステーキセットとミックスポテトフライをいただいたがお肉は食べられず塩昆布を入れたお粥がを飲み込むのが精いっぱいだった。
「5000m峰2座目 チュクンリ登頂」
9日目 10月22日
7時 朝食 ホットチョコとトーストに目玉焼きをいただいた。
目玉焼きには持参した醤油をかけて食べた。妻はホットケーキにジャムをつけて食べた。
昨夜の衝撃な情報のおかげですっかり寝不足で体調がすぐれなかったが、スケジュールは待ってくれない。
ロッジを出発してチュクンの村を抜けるとチュクンリに伸びる尾根が見えた。
尾根には仏塔があり今日もきれいな青空に5色のタルチョがなびいている。
高度を上げるとアマ・ダブラムがどんどん形を変えて小さくなっていく。
チュクンリは、カラパタール、ゴーキョピークと並んでクンブエリア3大ピークの1つで
チュクンリ山頂からは、世界第5位のマカルー(8,463m)と世界第6位のチョ・オユー(8,188m)が見られる他、世界第4位のローツェ(8,516m)の巨大な南壁が間近に見ることができる憧れの山だ。
今日も先を行くガイドと妻を一生懸命追いかけるが、どうにも前に足が出ない。
どんなに息を吸い込んでも息の乱れは整わず何度も立ち止まって肩で息をした。
最後は右側が切れ落ちていて高度感のある岩場をどうにか登りきるとたくさんのタルチョがつながったケルンのある標高5550m山頂のだった。
日本から持参した横断幕をこの旅で初めてがヒマラヤの青い空に掲げることができて安堵した。
しばらく2人でゆっくりとヒマラヤの絶景を景色を楽しんだ。
下山前に改めて目の前にそびえるアイランドピークの頂を見つめて、山頂までたどり着かなかったとしても最善を尽くすことと、何より無事に下山できるように強く誓った。
ロッジに帰り、私はネパールのインスタントラーメンであるララヌードルをいただき、妻はライスプディングをいただいた。
2人とも食欲が落ちていて「食べなければ登れない」と分かっていたので「食べなきゃ」という気持ちが自分を追い込んでしまって、どんどん体力が落ちていった。
ランチの後にロッジの裏の岩場でアイランドピークで使うアイゼンやハーネスなどのセッティングと実践でロープを使ったユマーリングと懸垂下降の練習があった。
ここでもツアー会社からは最新の登山用品をレンタルするという約束にもかかわらず、妻がレンタルされたハーネスにはロープを接続するビレイループが無く、日本では考えられないお粗末なもので、またしてもネパールクオリティーだと落胆した。
夕食は明日からのアイランドピークに備えてステーキセットを頼んだ。
目玉焼きを載せたトーストとフライドポテトはなんとか完食したが、ステーキとは名ばかりのハンバーグは完食できなかった。
その夜も薬の影響で2時間おきにトイレに立ち、なかなか寝付けず長い夜となった。
「6000m峰アイランドピークベースキャンプ」
10日目 10月23日
ついにアイランドピークのベースキャンプに入る日がやってきた。
7:30に朝食 なんとも体調がすぐれずフリーズドドライの味噌汁で味付けしたライスプディングをどうにか流し込んだ。
チュクンからアイランドピークのベースキャンプまでの道のりは概ね平坦でしたが例年にない降雪で白銀の世界になっていた。
どんどん大きくなるアイランドピークの姿に緊張が高まっていく。
小さな丘を超えると遠くにベースキャンプ黄色いテント群が見えた。
ベースキャンプには欧米人の登山者ばかりでした。
既にエベレストを登頂した経験のあるアメリカ人女性はアマ・ダブラム登頂のために高度順応のためにアイランドピークに登るのだと話していた。
世界中の登山アスリートの中に放り込まれて、私たちヒマラヤ初心者はすっかり意気消沈してしまった。
今回のアイランドピーク登頂はハイキャンプもなく、ベースキャンプから雪がある最悪のコンディションではあるが覚悟はできていたので自分にできるベストを尽くそうと2人で話した。
ベースキャンプではいろいろな食べ物や飲み物が用意されていたが、日本から持参した焼きそば弁当をいただいた。
出発は明日の午前零時なので準備をして寝袋に潜り込んだ。
なかなか寝付けず20時ころにトイレに立つと空全体が星が瞬いていた。
ウトウトを繰り返していると出発の時間となった。
「アイランドピーク 最大の試練と極限の決断」
11日目 10月24日
出発前に日本から持参したどん兵衛をいただいた。
予定より15分早い10月23日23:45分にベースキャンプを出発する。
最初はヘッドランプの明かりを頼りに氷河湖に沿って平坦な道を進む。
息が白く光り、雪を踏みしめる音が暗闇に響いていた。
しばらく行くとアイランドピークの取り付きに到着した。
そこから急斜面をつづら折りにゆっくり登っていく。
ハードシェルの中に着込んだ厚手のダウンのせいでとても暑い。
5200mくらいまではチェーンスパイクも必要ない程度の雪があった。
暗闇の中登山者のヘッドランプが数珠つながりに光っていた。
急峻なガーリーの手前でチェーンスパイクを装着したが、そこを超えると雪がなく外さなければならなかった。
何度かこの作業を繰り返し、細尾根の鎖場のある難所の手前で12本爪のアイゼンを取り付けた。
正確にはガイドに取り付けてもらった。
本当なら、ここまでは夏靴で来ることができ、ポーターさんが冬靴を持ってきてくれる予定であったがここでもネパールクオリティーなのでベースキャンプから重たい冬靴で登らなければならなかった。
夏靴と冬靴の重さの差は760gあり文字通り冬期登山の大きな足かせになっている。
高度も上がりチェーンスパイクの脱着とアイゼンの取り付けの時間が体を冷やしてしまい急激に寒くなってきた。
持病の左手の中指だけが冷たくなる症状を緩和するために用意して手袋に仕込んでおいたカイロは高所では暖かくならず右手が凍りそうになっていた。
ガイドに状況を告げると素手で私の手を揉んで温めてくれた。
彼の指は短くて太いので毛細血管が多いのか素手でも温かかった。
私はなんとか気力を振り絞って登っていた。
しかし、細尾根の手前あたりで急激に状態が悪くなり自分の体が垂直に立っているのか分からなくなり朦朧としていた。
フラフラしている私を見てガイドが私と妻をロープで繋ぐアンザイレンの用意していたが、その間にも私はまっすぐ立っていられず何度もガイドに支えられている様子を見て「もう無理だよ帰ろう」と妻が言った。
私は「大丈夫頑張るからまだ登れる」と繰り返した。
ガイドから「あそこの岩のところまで登ると山頂が見えるから、そこまで行ってどうするか決めよう」と提案があり、ガイドに支えられながら山頂が見える岩の向こうまでたどり着いた。
どうにか辿り着いた岩の向こうからはアイランドピークの山頂がハッキリ見えた。
ガイドから「ここから山頂まで3時間くらいかかる」と説明があり、改めて妻は「もう無理だよ帰ろう」と私の手を何度も引いていたが、私は「何とかなるから大丈夫」と繰り返していた。
妻はこれまでの登山経験で、このまま進めば山頂にたどり着けると確信できるくらいの距離まで来ていたのに登頂よりも私の身を案じて「自分も限界だから帰ろう」と言ってくれた妻の優しい言葉でやっと我に返り、ここを私たち夫婦のアイランドピーク山頂にすることに納得できた。
私は左手で妻を抱き寄せてアイランドピークをバックに写真を撮ったってもらった
下山中も私の平衡感覚は戻らず急な斜面で体勢を崩し滑落しかけたがガイドと妻がロープで止めてくれた。
何度も休みながらどうにかアイランドピークの取付近くまで戻ると、下からポーターのデンリーさんが登ってくるのが見えた。
デンリーさんに私のザックを持ってもらってどうにかベースキャンプに戻った。
ベースキャンプで血中酸素濃度を測ると46しかなく本当に帰ってこれて良かったと思ったと改めて感じた。
とても疲れていたので自分たちのテントで仮眠をとった。
3時間くらい休んで荷物を片付けてチュクンのロッジを目指して歩きだした。
戻る途中に今日アイランドピークに登った登山者にものすごいスピードで追い抜いて行った。
「やっぱり私たちとは体力が違う」と感心していると、低空飛行で私たちの頭上にヘリが飛んで来た。
「今日登った登山者のレスキューです」とガイドが教えてくれた。
そのヘリの目で追いながら「あのヘリの乗らなくてよかったね」と妻が言った。
その言葉を聞いて、私も改めて生還の価値をかみしめた。
私は不思議なくらい登れなかった悔しさは無かったが、私さえしっかりしていれば登頂できたのではと考えると、妻が登れなかったことに対する責任を痛感していた。
しかし、妻は登れなかった不満を一切顔にも出さず、ヒマラヤの景色を楽しみながら楽しそうに歩いている姿に私は救われた気がした。
夕食はロッジでポテトフライとピザをいただいた。
食堂にはアイランドピークの登頂を果たした登山者もいた騒ぐこともなく食事を楽しんでいた。
妻から食事の時に「明日以降のヒマラヤトレッキングを楽しめるように切り替えていこう」と前向きな提案があり日程表と地図を広げて話をした。
明日はロッジだ完全休養日なのでのんびりできる。
「完全休養日」
12日目 10月25日
今日はこの旅初めての完全休養日。
自分の部屋とトイレと食堂の往復だけで、ほとんどの時間を寝て過ごした。
8時 朝食に日本から持参した鮭の瓶詰をライスプディングにかけて鮭のお粥にして食べた。
摂取カロリーは全く足りていないけどこれ以上は食べれなかった。
お昼はミックフライドスパゲティーとミックスフライドパスタを頼んだ。
パスタはやっぱりマカロニだった。
夜はチキンスープとハンバーガーを食べた。
一生懸命食べて少しだけ体力は回復したようだった。
夕方、夕日を浴びて赤く染まったアマ・ダブラムを写真に収めた。
とにかくアイランドピークが見えるチュクンから早く移動したかった。
明日は厳しいコンマラパスを超えなければならないので早めに就寝した。
「雪のコンマラパス5530mを踏破」
13日目 10月26日
5:30に朝食を摂り6:30にチュクンを出発した。
今日はチュクンの村とロブチェノ村を繋ぐコンマラパスを超える絶景のトレッキングルートです。
エベレスト街道には三大峠レンジョパス、チョラパス、コンマラパスという3つの峠があり、中でもこのコンマラパスは難易度は高いが人気も高いトレールだ。
チュクンを出発して峠の手前でテント泊して2日かけて峠を越えるプランが日本のツアー会社が販売していほど人気のある。
とにかく今日はヒマラヤを満喫する贅沢なトレッキングコースだ。
さらに、例年雪がほとんどない峠がどっさり雪に包まれて、その美しさに磨きをかけていた。
心配していた5530mの標高だったが、雪のせいでトレールは富士山の登山道のように混雑していて全く進まないので、少し進んではしばらく休みの理想的なスピードで周りの景色を楽しみながらゆっくり登ることができた。
最後はチェーンスパイクをつけて、ものすごい急登を超えると青く光る池が姿を現し幻想的に周りの山々を水面に移していた。
そこから角度のある石段を20分くらい登ると旗がたなびいている峠に到着した。
アイランドピークでは掲げることができなかった横断幕を掲げて何枚も写真を撮った。
しかし、本当の核心はこれからだった。
雪のついた急坂をチェーンスパイクで降りるのは大変危険で、日本なら間違いなく12本爪のアイゼンが必要なトレールだった。
少し下ると遠くにロブチェの村が見えたが、その手前には大きなクンブ氷河があって、それを超えなければロブチェにはたどり着けない。
この氷河の端の土手状のモレーンは高さが50mくらいあり立派な崖だった。
モレーンを登り始めると霧が出てきて、トレールを表す旗を頼りに進んで行った。
さらに、氷河の中は複雑な地形で上り下りを繰り返し、溶けた水が池となって行く手を阻んでいた。
どうにか反対側のモレーンを超えるとナムチェの村はすぐそこだった。
ロッジに到着したのは16:30を過ぎていて10時間を超えるトレッキングになりました。
今日の宿はSherpa Wold Highest Bakery Cafeのロッジです。
このロッジはこの旅一番の汚いロッジで部屋はトイレの真ん前で天井が低くて何度も頭をぶつけるし辛い夜となった。
「カラパタール5601m登頂」
14日目 10月27日
6時に起きて鼻をかんだら大量に鼻血がでた。
相当疲れているんだなと思った。
7時に朝食のトーストとオムレツを二人で分けて食べた。
今日はゴラクシェープまでの7.9kのトレッキングだ。
今日は曇が多めでしたが、雪は降っていなかった。
先日の大雪のせいで今日もトレールは大混雑です。
途中に小さな谷が二つあり、そこでチェーンスパイクを付けていないトレッカーが転倒して道をふさぎ、そこに荷物をたくさん積んだヤクが突っ込んで動けなくなって大混乱していた。
今日は左手の三角錐がみごとなプモリが見ながら歩きます。
11時ころ標高5200mのSNOW LAND HIGHEST INNに到着。
この旅一番の標高の高いロッジです。
ランチにコーリアンヌードルを食べたら唇がタラコのように腫れた気がした。
一休みしてエベレストの頂上をきれいに眺めることができる最高の展望地点として有名なカラパタールに登ります。
カラパタールの標高は情報源によって若干のばらつきがありますが、一般的には約5,545メートルから5,645メートルとされています。
私はヤマレコの地図に記載されている5601mをカラパタールの標高とした。
多くのエベレスト街道を歩いているトレッカーの最終目的地にふさわしくトレールは整備されていて随所にベンチがセットしてあり絶景と一緒に写真が撮れる。
5000mを超えると一面雪景色になり、正面にある7000m峰のプモリ大きくてカラパタールの山頂がプモリの一部のように見えた。
あたかも、この稜線を行くとプモリに届くのではと錯覚するほどだった。
雪の急斜面を登ると山頂の大きな岩に5色のタルチョがたなびいていた。
残念ながらエベレストは雲の中でエベレストの下部しか見ることができなかった。
ここでガイドからまたも衝撃の情報を聞いた。
例年10月中旬から11月中旬は一年で一番天候が安定している時期なのに「明日から2日間天候が悪化する」と言われた。
日本ならどのくらい雪が降るとか詳しい情報が分かると思うが、ガイドが持っていた情報は悪化するという曖昧な情報で、私たちは「少し雲が多めなのかな」くらいにとらえていたが、この情報が日本でも報道された「エベレスト方面で大雪のためたくさんの遭難者がでてネパール軍救助に動いている」ほどの大雪を指していたことはこの時点では知る由もなかった。
下山してミックスフライドライスとミックスフライドヌードルとチョコムースを食べた。
標高が高いので多めにお茶を飲んで眠りについた。
「天候悪化 降り続く雪」
15日目 10月28日
6時に目覚めると妻が窓の外を見て「雪が降ってる」とつぶやいた。
北海道生まれの私たちには珍しい光景ではないが、この時期のヒマラヤでこんなに雪が降ることはないと帰国してニュースで知った。
私たちは初めてのヒマラヤだったので、現在のヒマラヤの雪の量が例年とどうなのかが分からず、ガイドから具体的な説明もなかったので2日で天気は持ち直すものだと、前日のガイドの言葉を信じていた。
7時に朝食 食欲もなく貴重な食材を残すのが嫌なのでチベタンブレットとオムレツを二人で分けて食べた。
寒いのでホットチョコレートが体に染みた。
8時に外に出ると雪は強さを増していていた。
今日はロブチェまで昨日と同じ道を引き返し、そこからゾンラを目指す行程です。
昨日渋滞していた小さな谷は完全に止まっていて、先を急ぐポーターの大きな声と口笛が響いていた。
雪の中景色もなく、ただただ前の人の足元を見て歩くのは修行です。
私は「どうしてこんな高所に来るのにチェーンスパイクを持ってこないんだろう?」と疑問に思いながら、イライラとトレッカーの長い列を見ていた。
どうにかこの2か所の谷を超えるとペースが上がりロブチェに着いた。
ロブチェのOXYGENというカフェで早めのランチをいただく。
店の中は暖かく現地の音楽に合わせてお店の人が体を揺らしていた。
少し休憩してゾンラに向けて出発。
エベレスト街道からゾンラ方向に進むとトレッカーの姿もまばらになり、あたりが何も見えない雪の中で心細くなった。
途中、集中力が切れてボーと歩いていると足元の石が滑って谷側に滑落した。
滑り台を滑っているようにお尻で滑ったので体は何ともなかったが、ガイドが機敏に登山道から降りて助けてくれた。
沢を降りて小さな橋を超えると最後の登りだった。
今日のロッジのHIMARAYAN VIEW LODGEは村の一番奥にあった。
夕方には雪も晴れて周りの景色を写真に収めることができた。
ロッジの背後の雪煙を纏ったチョラツェに三日月が輝いていた。
ひょっとすると明日は晴れるのかなと期待が高まった。
この日のロッジは満員で、食堂はこの度一番の盛り上がりだった。
サイコロのゲームで絶叫する女性グループや大音量で音楽をかけるグループもいた。
中には日本のWANDSの「世界中の誰よりきっと」とか宇多田ヒカルの「ファーストラブ」など数曲流れていた。
こんな地の果てで日本のポップスが聞けて不思議な感じがした。
夕食はベジタブルスープヌードルとフライドポテトを食べた。
中国人のカップルが静かに食事を楽しんでいて、私がケチャップをこぼしたら紙ナプキンを差し出してくれて、「日本人ですか?」「少し日本語が話せます」と紳士的な対応に中国人にもちゃんとした人はいるんだなと感心した。
彼は英語も堪能なようで、いろいろな国のハイカーと話していた。
その後も、何度か顔を合わせたが笑顔で話しかけてくれた。
明日は標高5530mのチョラパスをこえてルンデの村まで行かなければならない厳しいトレールです。
この大雪の中、本当に峠を超えられるのか心配でなかなか寝付けなかった。
「吹雪のチョラパス超え」
16日目 10月29日
5:20 朝食を食べて7:00に出発
期待に反して雪は降り続いていた。
村を抜けてしばらく平坦な道でしたがチョラパスに向けてどんどん高度を上げていく。
今日も調子の悪い私を見かねて、妻がすぐ後ろについて声をかけ続けてくれた。
「半歩ずつ・半歩ずつゆっくり進もう」妻の言葉が支えになり、「半歩ずつ」夫婦の合言葉になった。
私は止まりそうになる足をなんとか前に出し、自分でも「半歩ずつ・半歩ずつ」と合言葉を唱えて雪の中をゆっくり進んだ。
しばらくするとチョラパスが見える平坦なとこらに出たが、最後は垂直に見える壁を登らなければならなかった。
あんなとこ登れるのかと弱気になっていると、ガイドが「私のザックを持ちます」と言ってくれたが、頑張って歩くと言って断った。
壁のような最後の急坂も「半歩ずつ・半歩ずつ」と合言葉を唱えて2人で登った。
左の壁に沿って少しずつ登って行くと最後の大きな段差があり、そこはガイドに引っ張てもらって這い上がった。
辿り着いたチョラパスからは吹雪でなのも見えなかったが、各国のトレッカーが各自持参した旗を持って記念写真を撮っていた。
中にはスコップを持参して写真を撮って、スコップを中心に円になって踊っているグループもいた。
意味は分からないが、登頂した喜びはみんな一緒だと感じた。
お弁当を食べて峠を下る。
タンナ側のトレールはとんでもなく急斜面でロープが付いていた。
ロープにしがみつき時間をかけて平坦な部分まで下りて一休みした。
タンナの手前にはCho La Phediの丘があり標高差150mくらいを登り返す。
晴れていればチョー・オユー山(世界で6番目に高い山)やカンチュン山といった山々に加え、他の山々も見ることができるそうですが、今日は何も見えません。
そこからタンナまでひたすら下りのトレールでした。
沢沿いに高度を下げて行くと村の入り口に5色のタルチョが雪にかすんで見えました。
8時間以上雪の中を歩き続けた体はとっくに悲鳴を上げていたので村が見えてほっとした。
今日の宿はTASHI FRIENDSHIP LODGEです。
峠にはたくさんトレッカーがいたのに、なぜかロッジは貸し切りだった。
「憧れのゴーキョへ」
17日目 10月30日
今日はこの旅で一番行ってみたかったヒマラヤ最奥の村ゴーキョを目指します。
行程は3.6kの短いトレールですが間にはヒマラヤで最も長いゴズンパ氷河があります。
このゴズンパ氷河はネパールのチョ・オユーの下から延びていて全長36 kmもあります。
ロッジを出るとすぐに氷河の巨大なモレーンが姿を現した。
今日も降りしきる雪の中白と黒の世界を、ひたすら自分の足元だけを見つめて進む。
氷河の中を登ったり下ったりを繰り返して進むと氷が解けて湖のような部分もあり温暖化の影響なのか?と心配になった。
ゴーキョ側のモレーンは崖のような急坂でしたが、ここを超えればゴーキョだと信じてゆっくり上った。
モレーンを超えるとゴーキョの村はすぐそこだった。
今日から3泊するゴーキョのお宿はGOKYO NAMASUTE LODGE&RESTAURANTだ。
ゴーキョの村世界でも有数の標高が高い集落の一つだ。
多くのトレッカーがこの村の景色にあこがれて世界中から集まって来ます。
しかし、ゴーキョはヒマラヤ最奥の村なのにロッジの食堂も暖かく、近くのベーカリーで焼いたケーキも食べることができる快適なロッジだった。
ランチはチョコレートケーキとシナモンロールをいただいた。
昼寝を楽しんで夕食はトマトスパゲッティーとハンバーガーをいただいた。
妻が頼んだハンバーガーセットがおいしそうだったので翌日私もいただいた。
予定では明日はチュクンリに登って、明後日は完全休養日で、しあさってにレンジョラパスに向けて出発することになっていましたが、降り続く雪とこれまでのトレッキングで予想以上に疲れがたまっていて、この時点では雪が止まない限りゴーキョリもレンジョラパスもキャンセルしてドーレ経由で帰りたいとガイドに伝えた。
この時点でガイドはあと2日は雪が降り続くと説明があり、とりあえず明日は完全休養日にすることにした。
「2回目の完全休養日」
18日目 10月31日
予報通り終日雪でした。
日中湖のほとりまで行ってみたが、あこがれていたゴーキョの風景はなく、まるで雪が降りしきる「季節外れの支笏湖」のような寂しい風景が広がっていた。
この時もヒマラヤ一帯が災害級の大雪で多くのトレッカーが目的地にすらたどり着けず引き返していた事を知らなかったので私たちは「せっかく来たのにツイテないな」と単純に思っていた。
ランチのときにロッジで働いていた少女と折り紙で鶴を折って遊んだり、日本語を教えたりのんびり過ごした。
夕方ガイドから明日の夕方から晴れるかもしれないと説明があり、「明日の9時ころからチュクンリに登ろう」と提案があった。
「仮に山頂に立てなくても1時間くらい登ればエベレストは見える」と言われたので、私は雪が降っていなければ行きたかったので、とりあえず用意だけして寝ることにした。
「ゴーキョリ5326m登頂」
19日目 11月1日
4時ころに隣の部屋の足音で目が覚めた。
なんとアメリカ人女性パーティーがチュクンリに向かうようだった。
あたりが明るくなると湖の向こうの山が顔を出していた。
そして、チュクンリの中腹にはヘッドランプが光って見えた。
「アメリカ人はさすがだな」と感服した。
トレースもないのにラッセルをして登るなんて、今の私には考えられない。
しかし、このトレースがあれば私にも登頂の可能性はある。
7時に朝食のパンケーキを食べて8時に出発した。
だがこの時点で雪はまだ降っていた。
レンジョラパスとの分岐を過ぎると一気に勾配はきつくなり、積雪は膝上以上あった。
100mくらい前に別のパーティが登っているのが見えた。
今日は荷物を持っていないので体も軽かったので途中までは元気に登れていた。
眼下のゴーキョの村が雪に霞んで小さくなっていく。
すると前を行くチームが登頂を諦めて下山してきた。
するとガイドが私たちに山頂を目指すか尋ねてきた。
私たちはガイドが言っていた晴れていればエベレストが見える地点は超えていると思ったので、ここまで登って見えないのも悔しいので、今日はエベレストが見えるという彼の言葉を信じて山頂を目指すことにした。
登るにつれ雪は深くなり歩きずらくなったが、山頂が近づくとチュクンリの真上の雲がきれいになくなって太陽が照り付けてきた。
太陽に照らされると5000mを超えていてもとても暑くて、山頂に着く頃にはハードシェルも脱いでいた。
妻から遅れてやっとたどり着いて山頂に倒れこむとガイドがザックを枕にしてくれた。
何度も何度も深呼吸して呼吸を整え立ち上がると5色のタルチョがヒマラヤの空に輝いていた。
すると、ガイドが指をさして「エベレストだ」と叫んだ。
雲の切れ間からエベレストの山頂がくっきり見えた。
この旅最後の5000m峰に登頂して山友が作ってくれた横断幕を掲げた。
本当に登ってよかった。
本当に諦めなくてよかった。
この頂に連れてきてくれたガイドとポーターに感謝した。
そして、こんなに辛い旅に文句も言わず付き合ってくれる妻に心の底から感謝した。
下山中、何度もエベレストが顔を出してくれたので、そのたびに立ち止まって写真を撮った。
下山して遅めのランチを食べてガイドを打合せをすると、「レンジョラパスは通行できないので、予定を変更してドーレから帰る」と説明があり、私たちも体力的にも厳しいからその提案でお願いした。
ゴーキョ最後の夜は、明日からのトレッキングに備えて荷物の整理をして早めに就寝した。
「久しぶりのヒマラヤブルーの空」
20日目 11月2日
7時に朝食 8時に出発
降り続いた雪のせいで飛べなかったレスキューヘリが早朝からあわただしく飛んでいる。
私のロッジにも2人の患者が高山病でヘリを待っていた。.
今日は6日間降り続いた雪が止んで雲一つない青い空の下ドーレまで11.9kのほぼ下りのトレールだ。
私たち同様にゴーキョで身動きができなくなっていた多くのトレッカーが一斉に歩き出した。
ゴーキョの村が見える丘で写真撮って雪のトレールをどんどん進む。
やっぱり晴れてなければトレッキングはつまらない。
どの方向にもかっこいい山があり雪を頂いた姿は絵にかいたようだった。
ドーレまでのトレールは雪に覆われていた。
途中YETI LODGE & RESUTAURANTでランチにスパゲッティーをいただいたが完全にのびていてほとんどたべれなかった。
ドーレが見えるあたりまで来ると携帯の電波があるらしく、ガイドの携帯は鳴りっぱなしだった。
それを見て、下界の近さを感じた。
今日の宿はドーレの村の入り口にあるRIVER SIDE LODGEだ。
部屋はとてもポップな青い壁に白い花が描かれていて、なんとも落ち着かない部屋だった。
完全に陽が落ちた7時ころにロシア人の男女がヘッドランプを光らせてロッジにたどり着いた。
このロシア人はルンデからゴーキョリを登って、その足でここまで歩いてきたらしい。
私たちの3日分を1日で歩ける若さと欧米人の体力に驚いた。
明日はいよいよナムチェに戻れると思うとなかなか寝付けなかった。
「やっとナムチェ」
21日目 11月3日
7時に朝食をいただいて8時に出発
本日の行程はナムチェまでの11.1kです。
途中350mくらいの登り返しがあるが、そこを超えるとナムチェまで下りの多いトレールです。
今日も雲一つない楽しいトレッキングだ。
気が付くと進行方向にタムセルクやアマ・ダブラムが姿を現し、本当にエベレスト街道を一回りしてきたんだなという実感が湧いてきた。
心配していた350mの登り返しも、トレールには雪もなく標高も4000m以下なので順調に登れた。
峠のBOUDHA LODGEのテラスでランチをした。
正面には遠くエベレストビューホテルも見えてナムチェが近いことを目で確認できた
振り返ると峠の仏塔の向こうにアマ・ダブラムがきれいに見えた。
こんなに大きくアマ・ダブラムが見られるのはこれが最後かなと思うと名残惜しかった。
そこから峠を下りクムジュンの村はずれにあるSANASAの分岐に到着するとヒマラヤの地に刻んだトレースが大きな輪になって完成した。
そこからナムチェまでは多少のアップダウンがあったが、何度も振り返ってエベレストやアマ・ダブラムを眺めながらゆっくり歩いていると、いつのまのか懐かしいKHUMBU RESORTに到着した。
夕食はステーキセットをいただいた。
あんなに辛かった食事も安心したせいかおいしくいただけた。
夕食後一人でポーターさんに渡すチップを入れるのし袋が小さすぎたので、やむを得ずナムチェの町に買いに出た。
何件か探したが見つけられずやむを得ず、「Do you have money in paper?」とダメもとで聞いたらバッチリ通じて奥から封筒を出してきてくれた。
久しぶりにLINEで日本の山友に連絡を取り無事の帰還を報告した。
一緒にナムチェの夜景の写真を送ったら、写真ではなくスマホを誉められた。
今日も荷物を整理して早めに就寝した。
「ルクラまでの最終トレッキング」
22日目 11月4日
ついにトレッキング最終日です。
本日はルクラまでの17.6kの長丁場です。
6時に朝食 トーストとオムレツとフライドベジタブルにブラックティをいただく。
トーストにはちみつとバターを付けてエネルギーチャージできた。
核心はルクラに向かって350mくらいの長い上り坂です。
ナムチェからルクラのトレールは本当に混んでいて歩くのも大変です。
途中ガイドが木立の間からエベレストが見える場所を教えてくれた。
これが最後のエベレストかと思うと切ない気分になった。
ラバの隊列も爆音のポーターも今日で最後。
高度感のあるつり橋も今日で最後。
色々な感情が渦巻いていたが、一番はやっと日本に帰れる。単純にそう思った。
途中HOTEL WATERFALLのテラスでアイスカフェラテをいただいていると「日本人ですか?」と男性二人組に声を掛けられ、互いの旅の思い出を話した。
彼らは静岡と岐阜から来られてカラパタールまで行ってきたと話していた。
ランチは、この旅の初日に泊まったTRIBENI LODGEでトマトスパゲッティーとピザをいただいた。
硬めにゆでてくれるようにお願いしたが麺はいつも通りのびていた。
そこから長い登りの始まりです。
「今日は距離は長いけど大きな標高差ではないから雲取山みたいなものだと思えば大丈夫」と妻が励ましてくれたのでなるべく足元を見ず景色を楽しんで歩くことに心がけた。
その後、ランチを食べたときのコーラが悪かったのかアイスカフェラテの氷が悪かったのか分からないが腹痛に襲われ、床のない衝立だけのトイレで難を逃れた。
いよいよルクラが近くなり、飛行機が飛び立つのが見えた。
国立公園のゲートの石段を登ると多くのトレッカーが門の前で写真を撮っていた。
そこから少し歩くとルクラの街が見えてきた。
やっと着いた。
もう歩かなくていい。
辛かったけど思い出が多すぎて、今は頭の整理ができないけど、やり切ったという達成感は感じていた。
最後のロッジは初日にランチをいただいたEVEREST PURAZA LODGE&RESTAURANT;だ。
部屋にはシャワーが付いていて24日ぶりのシャワーができるのだが、新しい着替えがなかったので
ロッジの隣のCARAVAN SOUVENIR SHOPに「日本人経営のお店」と書いていたのでTシャツを買って、念願のシャワーを浴びた。
夕食はガイドとポーターと一緒にビールで乾杯した。
ポーターさんとは明日の空港でお別れなので、この場でチップを渡した。
チップは6万円相当額を6万ルピーを差し上げた。
チップにはポーターさんには3人娘さんがいらっしゃると聞いていたので妻が折り鶴を3つ添えていた。
隣にはマレーシアからの団体さんがいて人数分のご飯とカレーを全日程分持参したといって、いろいろなカレーを皆さんでシェアーして食べていた。
日本以外のカレーは見た感じ、どこの国のものも一緒みたいだとガイド言うと「インドもネパールも全然違う」と強く否定された。
最後に楽しく夕食をみんなでいただいけて本当に良かった。
その後、隣のCARAVAN SOUVENIR SHOPに行ってお土産を買った。
彼女は「もともとネパールで働いていて日本の茨城からネパールに嫁いできた」と話していた。
物静かで落ち着いた感じの女性だった。
ヒマラヤも天候以上で本当は12月がベストシーズンだとか今回の大雪で大勢のトレッカーが目的地に辿る付けず引き返して2~3日くらいルクラで飛行機を待っていた。と初めて大雪の影響を知った。
私たちは辛かったけど、まだ目的地にたどり着けただけラッキーだったとことに気が付いた。
「空路カトマンズへ」
23日目 11月5日
7時に朝食のトーストセットをいただいた。
いつものようにポーターのデンリーさんが手際よく荷物を運んでくれた。
空港のロビーでデンリーさんから旅の安全を祈願する純白のストールをいただいた。
デンリーさんは一日だけ休んですぐにまた仕事が入っていると言っていた。
最後にこれからも50キロ以上の荷物を背負ってヒマラヤを歩き続けるデンリーさんに、心から体に気負付けて頑張ってください。と感謝を伝えた。
帰りの飛行機は案外スムーズに搭乗できた。
滑走路の末端に止まった機体は轟音をあげて期待を揺らした。
次の瞬間、ものすごい勢いで傾斜のある滑走路を加速してカトマンズに向けて飛び立った。
窓から見える景色を見つめながらこの旅のいろいろな風景が頭の中のよみがえっていた。
飛行機は予定通りカトマンズに到着して私たちの大冒険は無事に終わることができた。
最後にこの旅を支えてくれた人たちと日本で待っている家族や友人に心から感謝を伝えたいと思った。
また、なにより一緒にヒマラヤを歩いてくれた妻に感謝した。
ホテルまで同行してくれたガイドのキタトさんにお礼のチップを渡してLINEを交換した。
チップは8万円相当の8万ルピーを差し上げた。
ガイドも翌日から日本人男性とメラピークに行くことが決まっていた。
日本での再会を約束してガイドと別れた。
カトマンズでの食事はホテルの近くの日本料理店の「桃太郎」に通った。
味も量も全く問題なく、あれほど食べることが辛かったのに、いくらでも食べれる気がした。
やっぱり日本人は日本食じゃなきゃ力が出ないと確信した。
「世界遺産とカトマンズ市内見学」
24日目 11月6日
今日はカトマンズ市内の世界遺産の見学です。
ガイドのスマンさんと一日お寺や宮殿を見て回った。
宗教的なことは分からないが、水源も乏しく肥沃な土地もない、こんな辺境の地にこれだけの文化を築いたのは、間違いなくここが聖地だからだと思った。
スマンさんは日本語の先生をしているらしく、全く違和感のない日本語を話していた。
ヒマラヤ登山の経験者は口をそろえて、「ガイドとのコミュニケーションが一番大事で、それができていれば登頂は間違いない」と言っていたことの意味がやっと分かった。
食事や健康状態など登山に欠かせない重要なことがきちんと説明できる程度の日本語力が求められるのに、今回の私たちのガイドは私たちとほとんど話さず他のガイドやポーターとばかり話していた。
スマンさんはヒマラヤでの食事の細かな注意点も教えてくれるのでガイドとしての違いにびっくりした。
ツアー会社が一般的に使う「日本語が使えるガイド」という曖昧な言葉に隠された盲点だと感じた。
市内見学最後はネパール最大のヒンドゥー教寺院「パシュパティナート」でした。
日本では絶対にありえないバグマティ川の土手にある火葬場だ。
この火葬場は家族だけでなく観光客も見ている前で、藁に包んだ遺体を燃やして、その灰を川に流す火葬場です。
川の反対側から見学したのですが、遺体を包む布から女性の白い足が出ていて、その光景が目に焼き付いてしばらく怖かった。
自分のお墓問題を考えなければならない年齢に差し掛かり、私の宗教観を根底から覆された気がした。
ホテルに帰って今日ももちろん「桃太郎」で食事をして少し街をぶらぶらしてから朝食のパンを買ってホテルに帰った。
「予備日消化」
25~26日目 11月7日~11月8日
今日から2日間は予備日のため何も予定がないので、本当は早く帰りたがったが飛行機を変更するには多額の費用を要するので、ブラブラお土産を買って歩いて時間をつぶすことにした。
ホテルのあるタメル地区は登山用品店がたくさんあるが、全て偽物です。
観光客もそれを承知で買っていた。
一番印象的だったのが「値切り」だ。
「ベストプライス」「お友達プライス」などと知っている限りの日本語を駆使して売り込んでくるお店の売り子さんとの値切りは新鮮だった。
感覚的には、粘れば最初の提示金額の半額までは大丈夫なようだった。
自分へのお土産としてヒマラヤの絵画をずいぶん探した。
印刷みたいな安物ばかりで本物を探すのが難しかった。
ずいぶん悩んで「アマ・ダブラム」と「エベレスト」の絵画に決めた。
どちらもペインティングナイフを大胆に使って画面いっぱいに奥行のある荒々しい山の質感を現し作者の抱いている山への崇高な気持ちと畏怖の感情が感じられる作品に決めた。
初日の予備日の夜にヴィスタトレック社長のデベンさんから連絡があり、ロビーで今回のツアーでのヴィスタトレックが負うべき責任について話した。
当初は社長は責任逃れに終始していたが、ハイキャンプが用意できなかったことは知らなかったが確認すべきだったと一定の責任を認めて「次回当社のトレッキングに参加していただけるのであれば登山パートの部分は無料で対応させていただきたい」と提案があったが、正直二度とヒマラヤには来ることはないし、仮にあったとしてもヴィスタトレックには頼まないと思っていたので、即座に断った。
社長は、それでは申し訳ないので5万円を受け取ってほしいと言われたが、私は「お金が欲しくて言っているわけではない」と断った。
私はこの時、一生に一度だと思って150万円以上の費用をかけてアイランドピークに登りに来たのに、登頂の可否を左右する一番大きな要素であるハイキャンプが用意できなかった責任が2人分で5万円という金額に日本とネパールでは物価も違うので5万円が妥当なのかも分からなかった。
結果、受け取る受け取らないで押し問答となり、他に選択肢もなかったので不本意でしたがデベン社長の強い申出を断ることができず受け取ることになった。
カトマンズ最後の夜はヴィスタトレック主催のサヨナラパティがあり、社長と話しながら食事をいただいた。
明日帰るとなると寂しくなるかと思っていたが1ミリも思わなかった。
とにかく帰れることが嬉しかった。
「日本へ帰国」
27日目 11月9日
10時にお迎えの車が来て空港まで送ってもらった。
出がけに社長から旅の安全を祈願する赤色のチェック柄のストールを首にかけてもらった。
握手をして感謝を伝えた。
今日もカオス街を車とバイクが走っている。
13:30発のタイ航空の飛行機はアナウンスもなく1時間も遅れて、やっと登場したかと思うと、そこから1時間全く動かず、結局2時間遅れで出発した。
タイから羽田行の飛行機も2時間以上遅れて日本時間の11月10日午前10:30頃にやっと帰国した。
預けた荷物を受け取り、入国審査を済ませて空港を後にして電車とバスを乗り継いで3:00ころに甲府の自宅に着いた。
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K&M Trekking Team
















毎度のびきっていたスパゲティは・・・こればかりは仕方ないですね(笑)。標高が高い→沸点が低い→長く煮ないと芯が残る、という構図ですので。私の場合は夕食はほとんどが栄養バランスのとれたダルバート、そしてピークハント前の勝負ランチはチーズたっぷりのピザとコーラを定番としておりました。
私の旅の記録(ブログ)は半月ほどかけて整理する予定です。よろしければ過去のネパール旅の記事と共にざっとお目通しいただいて、こういう旅ならまたネパールに行ってもいいなと思っていただけたなら幸いです。
コメントありがとうございます。
また、長文の拙い記録をご一読いただいてありがとうございます。
初めてのヒマラヤで分からないことばかりだったのに、ガイドさんから説明もなく不満が募らせてしまいましたが、日本に帰り情報が入ってきて、初めて当時の自分達が置かれていた状況が分かり、しだいに仕方なかったんだと納得できるようになってきました。
もし可能であればjuqchoさんが参加されたツアー会社と、もし分かればアイランドピークに参加された方にはハイキャンプが用意されたのかも教えていただけけると嬉しいです。
記録にもある通り現地ツアー会社ではなく、国内のツアー会社で良い会社があれば参考にさせて頂きますので宜しくお願いします。
ブログ楽しみにしています。
ただ、特にピークハントの場合は現地の環境(雪・風・他パーティーとの兼ね合い)によって日程や宿泊地が変わることは当然と考えられておりまして、そのあたりはガイドシェルパに相当の裁量が認められています。アイランドピーク組も当初の計画とは似ても似つかぬ行程になりましたが、結果的には登頂に成功しました。
私見ですが、一度ネパール旅行を経験してその雰囲気や勘どころをつかめた後は、日本国内のツアー会社を利用する価値は薄いように思います。アイランドピーク組のメンバーも、次はGH社に直接依頼すると言っていました。
なおご質問のハイキャンプですが、GH社のポーターがテントを担ぎ上げて設営したようです。ただ、そのタイミングでハイキャンプを利用したのは彼らだけで、他隊はベースキャンプからの往復だったということです。
そうでしたか
実はワンダーズ・アドベンチャー社と今回お願いした会社の2択で悩んで未熟な判断で現地の会社にお願いしてしまいました。
しかし、タラレバを言ってもしょうがないので今は前を向いて今後の登山人生をどうするか考えています。
返信ありがとうございました。
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