西穂高岳-ジャンダルム-奥穂高岳


- GPS
- 128:00
- 距離
- 6.8km
- 登り
- 1,269m
- 下り
- 638m
天候 | 晴れ、雨 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2012年08月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車 バス 自家用車
|
写真
感想
ザイテングラートで怪我をしてから、3年以上が経過した。ようやく当時の山行をまとめる気持ちになれたので、文書化することにした。
最高の登山と最悪の登山を一度に経験した。
登山を始めて、かれこれ20年以上が経つ。以前からこのルートを歩きたかったのだが、まだ経験が足りないとか、歩ききる自信がないだとかを理由にして先延ばしにしていた。それでもこれまで何度か取り付こうしたが、膝の具合が良くなかったり、当日の降雪で断念したりで思いを遂げることができずにいた。
この年の夏の山行もいつもの友人家族と行く予定だ。ただ今回は自分だけ1日早く入山できるため、念願の西穂高岳とジャンダルム、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳の稜線ルートを1人で歩くことにした。友人家族は涸沢まで友人の知人家族と登ってくる。その後北穂高岳で落ち合い、一緒に大キレットを越えて槍ヶ岳を目指すことにした。
1日目 晴れ 始発の電車に乗って、松本でバスに乗り換えて新穂高へ。ロープウェイで西穂高口駅に上がり、登山届を提出してから歩き出す。そういえばここは積雪期には何度か登ったが、無雪期に登るのはあまり経験がなかったことに気づいた。(6年前に一度あった。)今日は西穂山荘までなので、自身の体の調子を確かめながら上がった。調子は悪くない。
2日目 晴れのちくもり いよいよジャンダルム越え。まだ暗い4時ごろ出発。ガスがかかっているが、少し歩くと星が見えて、今日の晴れを予感させる。丸山を過ぎたあたりから明るさが増してきて、独標に着いた頃、完全に夜が明けた。出発した時のガスは何処へやら、快晴の空が広がっている。ここでヘッドランプをしまい、代わりにヘルメットを被る。5時半ころ出発。ここから先は初めてで、心拍が少し上がる。一歩一歩丁寧に足を運び、上り下りを繰り返す。そして6時半ごろ西穂高岳に登頂した。それでもまだ歩き出したばかりで、これからが本番と思って、気を引き締め直す。その先はこれまで以上に足場の悪いところばかりで、ガラガラと足元の石を崩してしまうこともあり、下に登山者がいるときはことの外、足の置き方に注意した。鞍部で水分と栄養補給をするために小休止すると、眼下に緑の中の梓川の流れが見え、見上げれば青空。とても気分がいい。風がまったくないのも不安要素を取り除いてくれる。予定よりも早く、9時に天狗岳に着いた。それでもようやく核心部の半分。周りの山々に雲が出てきた。改めて気合いを入れて9時半ころ出発。徐々に広がる雲を気にしつつも順調に進み、11時20分、ジャンダルム到着。西穂高側からの登りは容易だと聞いていたけれど、本当にあっさり登れた。残念ながらガスが上がってきてしまい眺望は得られなかったが、喜びはひとしお、山頂にあった天使?に登頂のお礼を言い、少しゆっくり過ごす。空は晴れたり曇ったりだが、悪天の兆候は感じない。最後の難所、馬の背はガスが濃かったために、高度をあまり感じずに済んだ。ここからまだ距離があると思っていたが、ガスが取れるとすぐ近くに奥穂高岳の山頂が見えた。13時ちょうど、奥穂高岳に到着。山頂の社に手を合わせ、念願のルートを歩ききれたことに感謝を述べた時、少し熱いものがこみ上げてきた。14時すぎ穂高岳山荘に無事到着した。友人らも涸沢に着いたようだ。缶ビールで軽く祝杯をあげる。
3日目 雨 昨日とは打って変わって朝からしとしと降っている。今日は涸沢岳を経由して北穂高小屋で友人家族と合流する予定だが、雨の中、涸沢岳を越えていくのは得策とは思えない。友人と連絡を取りたいが、あいにく電話もメールも繋がらない。少し迷ったが、涸沢に下ることにした。7時すぎ出発。雨脚は強くないものの、断続的にしっかり降っている。慎重に下れと自分に言い聞かせていたつもりだが、下りは得意という思いがあったのかもしれない。他の人を抜くくらいのペースだった。左に曲がるところだった。平らな石(だったと思う)の上に右足を乗せた時、足を滑らせて尻もちをつく格好になった。その瞬間、右足に強烈な痛みが走り、持ち上がった右足があらぬ方向を向いたのがスローモーションで見えた。ああ、やってしまったと、一瞬で悟った。たまたま近くにいた医師の方が、安全な場所に移動させ足の状態を見てくださった。その後も救助要請をしてくれたり、ツエルトをかけてくれたりと、穂高岳山荘からの救助隊が来るまでの間、雨が降り続く中、一時間ほども同行の人たちとともに付き添ってくれた。多くの登山者が通るところとはいえ、本当に心強かった。後でわかったことだが、涸沢小屋では友人らにも状況を話してくれたらしい。お名前を伺わなかったのが悔やまれる。県警の隊員や小屋番の救助の方々が到着すると状況を確認し、テキパキと準備を整え、交代交代で背負って穂高岳山荘まで担ぎ上げてくれた。下りで5分ほどの道のりを担ぎ上げるのに1時間を要した。その間ずっと声をかけ続けてくれた。山荘に併設されている診療所で常駐していた岐阜大学医学部の先生方の応急処置を受け、山荘のご好意でロビーに近い部屋を1人で使わせていただいた。そこで下山できるようになるのを待つことになった。ただ、この日から天候が悪くなり、結局3日後までお世話になることになる。
4日目 雨夕方晴れ間 天気が悪く、ヘリが飛べない。痛みは落ち着いてたが、歩けないため、山荘の方が何かあればこれで呼んでくださいと無線機を貸してくれた。スタッフの1人は雑誌を持ってきてくれた。トイレに行く時は県警の隊員が背負ってくれて、食事も上げ膳据え膳で大変迷惑をかけてしまった。医師や医学生の皆さんも朝に夕に様子を見にくてくださった。午後、雨が降る中、友人家族が知人と別れて上がってきてくれた。思ったよりも元気な様子だったからか、少し安心してもらえたようだが、こちらも安心した。この日からは友人家族が身の回りの世話をしてくれた。
5日目 雨 今日も停滞。みっともないし、山荘の方々にも申し訳ないので、部屋で静かしにしていようと思ったが、気が滅入るといけないと友人が背負って食堂やロビーに連れ出してくれる。確かに人がいるところにいる方が気が紛れて精神的には良かったかもしれない。
6日目 くもり 雨が上がり、晴れ間も見えている。それでもまだ雲があり、県警のヘリは無理だが東邦航空のヘリなら来られるかもしれないとのこと。友人家族は朝、岳沢経由で下って行った。徐々に明るく晴れてきて、ヘリが来るということで食堂で待機していたが、またガスが上がってきて視界が悪くなってしまった。一度ヘリの音が近くで聞こえたが、離れていった。今日もダメかと思っていたところ、急速に晴れ間が広がり、東邦航空のヘリが来てくれた。ヘリからの風を避けるために建物の中に避難している登山者の多くが珍しいとばかりにカメラを構える中、山荘スタッフに背負われてヘリに乗せてもらった。そして先代の社長や山荘フタッフに見送られて上空に飛び立った。感情がこみ上げてきた。ここまで来るのに長い時間がかかるが、ヘリで降りるのは10分。前穂高を回り込み、上高地の焼岳寄り奥にあるヘリポートに下ろしてもらった。そこからは救急車で松本市立病院まで搬送してもらい、応急処置を受け、朝方別れた友人の車でその日の深夜に自宅に帰ることができた。
怪我をした時の詳細とその後の長い入院生活、そしてそれよりもはるかに長いリハビリ、完治までの話は別と整理することにする。
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