記録ID: 2267726
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ハイキング
関東
63.笹子雁ヶ腹摺山,米沢山,お坊山(笹子駅↑甲斐大和駅↓)
2020年03月21日(土) [日帰り]


体力度
3
日帰りが可能
- GPS
- 05:11
- 距離
- 12.4km
- 登り
- 1,078m
- 下り
- 1,046m
コースタイム
天候 | 晴 |
---|---|
過去天気図(気象庁) | 2020年03月の天気図 |
アクセス |
利用交通機関:
電車
笹子駅7:57着 <復路> 甲斐大和駅14:23発 |
コース状況/ 危険箇所等 |
道はほとんど乾いていましたが、お坊山の下りの北向き斜面では霜柱が融けてぬかるんでいるところがありました。岩場、痩せ尾根、片側が切れ落ちている山道もあり気が抜けません。砂地の急下りはスリップにも注意が必要です。 |
写真
これから向かう山並みです。ここまでは一気の急登でしたが、ここから先はけっこうなアップダウンを繰り返しそうな予感。地図を見るとこの下を中央高速道のトンネルが通っているようです。
四郎作古戦場
『小宮山内膳友晴(友信)は武田家の重臣小宮山丹後守昌友の長男として出仕し、御使番十二人衆の一人として活躍していたが、奸言によって勝頼の勘気を蒙り幽閉の身となった。天正10(1582)年3月、主家勝頼の危急存亡の時と察知した友晴は累代の恩を忘れることなく落ち行く勝頼一行を追い、土屋惣蔵の仲介により勝頼の許しを得て軍に加わり、最前線である四郎作の地に陣を構えて攻め寄せる敵と奮闘の後、最後まで主君をお守りし殉じたと伝えられている。』だそうです。
『小宮山内膳友晴(友信)は武田家の重臣小宮山丹後守昌友の長男として出仕し、御使番十二人衆の一人として活躍していたが、奸言によって勝頼の勘気を蒙り幽閉の身となった。天正10(1582)年3月、主家勝頼の危急存亡の時と察知した友晴は累代の恩を忘れることなく落ち行く勝頼一行を追い、土屋惣蔵の仲介により勝頼の許しを得て軍に加わり、最前線である四郎作の地に陣を構えて攻め寄せる敵と奮闘の後、最後まで主君をお守りし殉じたと伝えられている。』だそうです。
前回(記録37参照)この案内に惑わされ、家族が先着している石和温泉に行くのにずっと1時間以上も1番線で電車を待ちぼうけ。我ながら気づくのが遅すぎた大間抜けですが。この案内の下にひっそりと、
装備
個人装備 |
雨具上着
キャップ
ウレタンパーカー
長袖Tシャツ
半そでTシャツ
サングラス
ザック
サポートタイツ
足首&土踏まず用サポーター
厚手トレッキングパンツ
ダウンベスト
冬用トレッキングシューズ
行動食
飲料(850ml水)
コンパス
地図
スマホ(GPS)
カットバン
アルミシート
ビニールテープ
ココヘリビーコン
タオルマフラー
2本ストック
滑止付グローブ
熊鈴
|
---|---|
備考 | 今日も昨日に続き気温が上がるという天気予報で、いつもの冬装備よりは薄着にしたら意外に寒くていつものマイクロダウンジャケットを持ってくるべきだったかと一瞬後悔しましたが、歩き始めたら今回の装備で丁度良かったと安心。南向き斜面と北向き斜面では気温が全く違って体温調節に苦労しました。 |
感想
前々から計画してはいたのですが、いつも途中で断念していた山行。やっと実現しました。昨日よりは風が弱いと判断し花粉症もなんとかしのぐことができるのではと思って行ってみることにしました。杉林もありましたが、高尾山ほどではなく助かりました。高尾山も大好きな山ではありますが、初めての山はワクワクドキドキが止まりません。甲州街道の難所だからこそトンネルが通っているだけあって高い山塊ではありませんが、なかなかどうしてアップダウンがきついきつい。いや〜、充実感がありました。
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