【縄文山旅】吉野矢ノ音(与瀬貝沢遺跡)>明神峠>堂所山>景信山>高尾山

- GPS
- 07:27
- 距離
- 17.7km
- 登り
- 1,022m
- 下り
- 1,023m
コースタイム
- 山行
- 5:37
- 休憩
- 1:49
- 合計
- 7:26
| 過去天気図(気象庁) | 2025年02月の天気図 |
|---|---|
| アクセス |
利用交通機関:
電車
|
写真
感想
縄文の痕跡が見つかっている山々を巡る山旅で、今日は相模湖駅からスタート。
まずは、土器片や凹石が発見されたという矢ノ音(与瀬貝沢遺跡)へ向かう。
林業関係者以外車両侵入禁止と書かれたバリケードの向こう側を進んでいくと登山道口だ。
通る人が少ないのか、陽も差し込まず暗く、結構荒れ気味だったが
途中で沢越えがあったりで野性味あふれていて趣深い。
しばらく登り、ようやく陽が差し込んだころ
「矢ノ音」山頂(急坂)300m」と書かれた看板が。
なんだあと300mか、と思ったのもつかのま、
急坂というのが本当に急坂だった。
出鼻からしんどかったが、なんとか登っていく。
縄文時代の遺物が見つかったのは、頂上より少し下ったあたりで
鉱泉を経営していた人がかつていて、その際に見つかったらしいが、
たぶんこの急坂とは別の場所だろう。
矢ノ音山頂は少しだけ開けていて、決して眺望が良い場所でもないが、
縄文人の活動範囲の場所だというだけでグッと来る。
矢ノ音という言葉もどことなく縄文ぽい。
矢ノ音の次は明神峠へ。
明神峠でも石鏃、打製石斧、土器片が見つかったという事が八王子市史(下巻)に書いてあり、
八王子市遺跡地図では「恩方地区No.21遺跡」と記載されている。
峠への道のりはなだらかで、荒れた矢ノ音の山道と比べると雲泥の差だ。
ちらちらと人とすれ違うことも出てきた。
明神峠は、矢ノ音に比べて広く眺望もそれなり。茶屋もあったが営業していなかった。
明神峠の次は堂所山、こちらは恩方地区No.22遺跡として登録されており、
尾根上で縄文前期の土器が採集されたようだ。
今回のルート上で縄文の痕跡が見つかったのはこの3つの遺跡だけだけど、
ただ見つかっていないだけで、まだまだ地面の下には痕跡が埋まっているのだろう。
それにしても3つの遺跡が今現在の登山ルート上にあるのが面白い。
きっと縄文人が交易・交流のために移動したルートなんだろうな。
そしてそれは縄文よりさらに昔の旧石器時代から、
ずっと踏み固められ続けられた道として今につながっている気がする。
いちおう今日の縄文的なゴールは堂所山だったけど、
このまま景信山、小仏峠、城山、高尾山を経由して帰路へ。
景信山は眺望もよく、雰囲気も良かったし、登頂バッチも手に入れた。
茶屋でなめこうどん(800円)と野草の天ぷら(400円)をオーダー。
特に野草の天ぷらはめちゃくちゃ美味い。
なんの草なのか聞いたら、カキドオシ、クワイ、オドリコソウ、クレソンとのこと。
なんか縄文ぽい。
景信山から小仏峠へ。
小仏といえば渋滞のメッカの中央道の小仏トンネルのイメージだ。
中部高地(山梨〜長野)のへの縄文旅でしょっちゅう中央道は使うが、
まさにあの小仏トンネルの上を歩いているのかと思うと感慨深い。
山の上は渋滞しないぜって思っていたけど、
高尾山に近づくにつれこっちも渋滞してきた。
高尾山につくと雪がちらついてきた。それにしても人が多い。
帰りはケーブルカーで降ろうと思っていたが、100m以上人が並んでいたので結局歩いて降った。
色々と調べているけど、縄文の遺跡になっていたり、
遺物が見つかっている山頂や山腹は意外と多い。
登った順に勝手に縄文百名山を設定して登って行こう。
もちろん、それ以外の山にも登りたいけど。
縄文百名山記録
1 大山(大山山頂遺跡)
2 矢ノ音(与瀬貝沢遺跡)
3 明神峠(恩方地区No.21遺跡)
4 堂所山(恩方地区No.22遺跡)
ヤス

















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