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Yamareco

記録ID: 3927677
全員に公開
積雪期ピークハント/縦走
日高山脈

厳冬期日高山脈全山縦走 敗退

2021年12月29日(水) 〜 2022年01月16日(日)
 - 拍手
GPS
440:00
距離
79.5km
登り
5,792m
下り
6,272m

コースタイム

函館に住んでいた時の記憶といえば七重浜の海岸と潮風と、ときおり聞こえるフェリーの汽笛の音だけだ。他に何をしていたかと聞かれても、何も思い浮かべることができない。ただ平凡な日常が地球の自転周期と同じあっけなさで進んでいただけだった。貨物船は今日も時間通りに函館港を往来していく。それが不思議でならなかったのはよく覚えている。

札幌にいる同期たちの山行記録を見るたびに、なにかに対して呪いたい気分になった。さりとて、道南で自分のやりたい山を探したところで、興味のそそられる山はありそうになかった。つまるところ僕は登山者として怠惰で鈍感な凡人だった。

9月のとある日も七重浜の湯の露天風呂で海を見ていた。1時間くらいいただろうか。そろそろ出ようかな、と思ったときにふと視界の左端から一隻のヨットが現れるのが見えた。ふらりふらりと、風をつかみながらゆっくりと海へ漕ぎ出している。このヨットは一体どこまでゆくのだろうか。そう思いながらしばらくするとヨットはやがて風をつかみ、貨物船の往来と交わって日本海へ向かっていくように見えた。水平線の先には太陽がまぶしく海面を照らしている。そのとき、僕は行けと思った。やがてあの先に太陽が溶けていくだろう。どうかその場所までたどり着いて、と。

ヨットが見えなくなったあと、ふと冬のとりわけ厳しい時期の日高山脈を歩いてみたいと思った。そうだ。これまでの日高山脈の様々な思い出を接線にして、自分だけの本当の日高の輪郭を描きたい。そして襟裳岬で海に溶けていく太陽をみてみたい。そうすれば、あるいは...



12/28:日勝峠=C0
46kgの重たいザックを引きづって占冠行の特急列車に乗り込む。札幌駅は帰省客で人だかりだ。満員の列車は札幌から遠ざかるにつれて乗客を減らしていき、車内は次第に静けさを増していく。外は広大な荒野が闇に広がっていて、電車のきしむ音だけがあたりを包み込んでいた。占冠駅で家族と再会して声を上げる光景をみて、改めて年末だな、と思う。そこからはバスに乗り継いで日高町のセコマ付近でヒッチハイク。すると、15分ほどで帯広へ向かうおじ様に乗せてもらった。車内に入ってしばらくすると、どこまで行くの?と聞かれたので、襟裳岬までと答えるとさして驚きもせず「気をつけてね」とだけ言ってくれたのが印象的だった。静かな車内でミスチルを聴きながら次第に風雪が強くなっていくのを感じながら日勝峠まで。ささやかな激励をもらい、風の荒ぶ日勝峠で別れる。緊張とかで眠れるだろうかと思ったが、全くそんなことはなく爆睡であった。

12/29:日勝峠(6:00)ぺケレベツ岳手前Co1460(14:10)=C1
晴れ:夜が明けて山に目を向けるとハイ松が黒々と顔をもたげている。おおかた予想はついていたが、現実を目の当たりにするとさすがにげんなりする。このザックの重さで開始早々藪漕ぎするなんて考えたくないのだが。案の定、新雪をかぶっただけのハイ松により3歩に1回ズボり腿まで沈むので、ほとんど発狂しながら登る。結局・1359に出るコンタ差250mに3時間かかった。これからの行程に絶望しつつも、なんとかぺケレベツ岳手前まで登りC1。まずはこのハイマツ地獄を抜けなければならない。

12/30:C1(6:30)ぺケレベツ岳(7:30)ウエンザル岳(13:20)=C2
曇り/晴れ:今日も遅々として進まない。雪を被っただけのハイマツ帯を見るたびに殺意がわいてくる。やっとの思いでぺケレベツを超え、登り返していると日帰りウエンザルAtパーティーに追いつかれた。少し会話をしてありがたく先に行ってもらうことにする。が、脛くらいのトレースはすべて踏み抜いて腿まで沈むのであまり変わらなかった。時々胸まで沈み、空を見上げながら途方にくれる。全然進まねえ。ウエンザル岳へ近づくにつれて風が強くなり始める。3年目の春に行ったときと同様にここから・1654まではやはり局所的に風が強いようだ。ウエンザル岳の東の陰は無風だったのでそこでC2とする。2日で1日分の行程しか進まなかった。

12/31:C2(5:30)・1654ポコ(9:30)パンケヌーシ岳(11:45)芽室岳(13:00)二つ池(13:45)=C3
晴れのちガス/月明かりのなか、十勝の町が綺麗に浮かび上がっている。この2日間とんでもない藪漕ぎでうんざりしていたが、柔らかな光に照らされる日高の稜線を見つめると不思議と心が踊っていく。・1654までは硬く快適な稜線。ようやくハイ松地獄は抜け出せたようだ。出発時は晴れていたがやがてガスに覆われ始め、風は気になる風-ふられる風くらいになった。少々戸惑うが、ここで行かなければ話にならないので様子を見ながら進める。3年目の春に歩いた稜線なので場所の目途はつくだろう、と呑気に考えていたが・1318への下りでぼんやりしていたのか・1643から降りてしまった。少し下った後に方角が違うことに気づきトラバースして復帰。パンケヌーシ岳への登り返しでは、だんだんと固く快適になっていく。視界はさらに悪くなり時々50位だったが、耐風姿勢をとりながら風と視界の呼吸を合わせて登り芽室岳を超える。ここまででなかなかシビアだったがピークから標高を下げはじめると比較的風は止んだので助かった。二つ池付近の樹林内でC3。二つ池の雪の箱庭感は結構お気に入りなので、次はちゃんと吹き溜まりでイグルーを掘って泊まりたい。テント内の気温は―20度でなかなか寒かったが、紅白歌合戦を流して気分で乗り切る。今年も日高で年末を過ごせた幸せを嚙みしめる。

1/1:C3(9:10)雪盛山(13:30)・1520コル(14:45)=C4
晴れ:ラジオでは冬型が決まるとの予報だったはずなので寝正月決め込むつもりだったが目覚めると快晴。やれやれ。慌ただしく年始を迎えて急いで出発する。行く先は大体膝ラッセルで、特に雪盛山への登りは辛い。はじめは全然進まないことに少々気落ちしていたが、景色はいいし焦っても仕方がないので春メインのことを思い出しながらひたすらラッセルする。結局本日の目標だったルベシベ分岐までも届かず、・1520コルでC4。昨日食べ忘れた年越しうどんを食して年明けを祝う。

1/2:C4(7:10)・1712(12:30)・1590南コル(12:45)=Ω5
ガス/目覚ましに気がつかず寝坊した。というかこの時計、新品なのに光が弱々しい。大丈夫なんかこれ。・1696まではまたもやうざいブッシュと格闘しながら進む。・1696から・1712の間は岩稜となっており意外と細いので雰囲気あっていい感じだったが、今回は重たい荷物も相まって緊張した。ここから振られる頻度が多くなりそのたびに耐風姿勢でかわす。これで進んでいいものだろうか、とイグルー適地を見るたび考えるが、結局爆風の中・1590南コルまで行きΩ5。今日はLの全面で多少晴れたが明日からは停滞だろうか。すでに日数が心もとない気がする。この区間からの天気次第で山行の進め方が決まってくるだろう。イグルー内でかすかに聞こえる風の音を聞きながら、これからの行程に思いを馳せる。

1/3:停滞 Ω5=Ω6
吹雪:朝起きるとイグルー内降雪。雪ブロックを補強しに外へでるとやはりめちゃくちゃ爆風だった。これはぶっ飛ばされかねない。暇なので中でイグルーを拡大してテントを設営してみたが、ただ狭くなっただけだった。寒さは変わらない気がする。明日はもっと冬型が決まりそうである。なすすべなし。

1/4:停滞 Ω6=Ω7
吹雪:初めてイグルー内ウンチングを決めたがあまり気分は良くない。1週間ごとくらいに定期連絡を入れることにしていたため、昼前に下山連絡を担当してくれている瓢子さんと青木に現況連絡を入れてこれからの天気を確認する。どうやら冬型は明日から緩みそうだ。2停滞で済みそうで安堵する。

1/5:Ω7(4:20)ピパイロ分岐(6:00)1940(7:30)北戸蔦別岳(10:00)戸蔦別岳(11:30)・1753西コル(12:00)=C8
ガスのち晴れ:気合をいれて早出する。刑務所の壁は星明りのもとでテラテラと光を放っていて、星々に向かって駆け上がるようだ。ガチガチにクラストしていたが、スノーシューを変えるタイミングを失ったためそのまま稜線へ出る。割と緊張した。1940峰へ続く稜線に出ると太陽がでたが、やがてガスにまかれはじめた。今日も時々振られる風である。1940直下はガチガチで、さすがにEPに変えて登りピークへ。下ってすぐの岩稜は南からバックステップで下るが、重荷でふくらはぎがパンパンになる。南側から見る稜線を従えた1940の雄姿を目に刻みたかったがガスで見えず残念。それからは時々おぼろげに見える北戸蔦別岳を目指す。1856から北戸蔦別岳まで続く稜線は、北日高の中ではとりわけ美しい稜線だと思う。うねりながらやがて収束していく稜線を歩き、導かれるようにピークへ辿り着く。ようやく北日高の主峰たちとのご対面だ。
ここから戸蔦別岳までの岩峰はガチガチに凍っており、急斜面を日高側から巻く。時々前爪しか刺さらず緊張して超える。重荷で辛いうえにこんな状態の日高を経験したことがないので、これからに少々不安を感じる。今年はもしかしたらクラストがひどいのかもしれない。それに晴れ間は見えるが風が強すぎて目まぐるしく視界が変わっていく。蜃気楼のように戸蔦別岳が揺らめきながら姿を現していく様は圧巻で、夢でも見ているようだ。次第に晴れてくるが、だんだんと風が強くなり耐風姿勢を取りながらピークに立つ。直下ではつむじ風が稜線をなぞりながら雪をさらっていく様が見られた。比較的風の避けられる・1753西コルの南斜面でC8。

1/6:C8(5:30)カムイ岳(9:00)エサオマントッタベツ岳(13:00)エサオマン南Co1760(13:30)=Ω9
快晴:星明りの中カールを抱く幌尻岳が美しい。まさにピリカノカだ。カムイ岳へ向かう尾根の南向きになった箇所は所々ブッシュがウザいが基本的にカリカリで春の記録よりも断然歩きやすい。ただ、途中なんでもないところでバランスを崩し3m滑落してヒヤリとする。エサオマンへ続く尾根はいつも通り1-3m級のでかい雪庇で、尾根の向きに10mのクラックが入っていたりする。例によって日高側のブッシュがウザいのでコンタクトラインを探りつつ歩くが、一度雪庇に亀裂を入れてしまった。直下のCo1800からは過去一でクラストしておりかなり高度感がある。傾斜も急でアイスクライミングの様にアックスぶち込んで前爪だけで登らされ、とてつもない緊張感と重荷で疲弊。やはり日高は甘くない。エサオマンに着いたところで安堵で思わず声が漏れた。まわりを見渡すと来た先も行く先も全部眺められる。ああ、やっぱり日高が好きだ。

1/7:Ω9(6:30)ナメワッカJP(8:30)春別岳(9:00)1917(11:00)1903分岐(12:30)=C10
ガス/雪:ガスっているが風はない。昨日と打って変わって、山は暗くどんよりとしている。ナメワッカJPからの岩稜帯はおおむね日高捲き。歩いているとトレースが散見される。これは佐藤と竹中爆裂ピストンのコンビだろうか。やがてガスは高曇りとなり遠くも見渡せるようになる。それにしても今日は静かな日だ。懸念していた岩稜や1917下りのピナクルはなんでもなくほっとしながら1903分岐まで進む。このあたりは ガチガチで雪質も悪く、全イグルーなら作れそうだが気力も技術もないので2mほどのブロック要塞を作りC10とした。しかしあまり効果はなく、テントが暴れること甚だしい。ついでにベガのたてがみがとれ、ラジオもストーブのポンプの調子も悪い。下山連絡に現況連絡を入れ、これからの天気を調べると、12日の低気圧がやばそうだと知る。

1/8:停滞 C10=C11
ガス/朝起きるとテントがけっこう埋まっていた。視界もないので除雪して待ち、明るくなってから一旦出るがカムエクの登りはじめですぐに常時振られる風となり引き返す。うずたかくブロックを積みなおすが風がやばい。一度イグルーを掘ろうと試みるがガチガチで、埒が明かないため諦める。知らん間にテント上部に穴が開いていた。やれやれ。

1/9:C11(8:10)カムイエクウチカウシ山(8:50―9:30)ピラミッド(11:00)1807(11:30)1807南・1602コル=Ω12
ガスのち晴れ:ガスってよく見えないので待っていると視界が出てきたので出る。カムエクピークに到着すると、SYと竹中ピストルが置いていった差し入れを回収。やはりあの足跡は奴らのものだったか。ありがたくごっつあんして天気が良くなるのを待つ。南西稜側は晴れているが、23側はしばらくガスガスでいける気配がしない。フライを被りながらどうしようか、と迷っていると、祈りが通じたのかだんだんと晴れてきてピラミッドが姿を現す。僥倖。意気揚々ととび出るが、ピラミッドの登りの岩稜は急でペースが上がらず慎重に超える。1807南のコルの吹き溜まりでイグルーを作っていると、幻聴のようなものが聞こえる。ついに日高の声が聞こえるようなったか、と思っているとまたもや聞こえる。声のする方を向くと日高の妖精、ではなく成田さんがいた。思わず笑ってしまう。久しぶりに再会してなぜか同じイグルーで泊まったら、なんだかいつものメイン山行の気分になってしまった。明日下山するらしく、たくさん菓子をもらう。特にノンサポートに拘っているわけではないが、思いがけない形で恵んでもらうことになってしまった。ただ、これはこれでいいと思うことにした。なにしろ日高のヌシ3名からのプレゼントなのだ。

1/10:Ω12(6:20)1823峰(9:40)コイカクシュサツナイ岳(14:10)=Ω13
快晴:成田さんと別れを告げ、先行してもらうとあっという間に遠くへ行ってしまった。なだらかな所はズボズボで頻繁にアイゼンとスノーシューを変える。一回一回ザックを背負う動作に辟易としてしまう。途中で腰ベルトのバックルが割れさらにうんざり。だが見上げれば両翼を広げた壮麗な1823峰がかっこよくテンションがあがる。快晴の中、扇型の荒々しいコイカクを迎えてついに日高のビックネーム達と顔合わせ。われらが日高の雄1839峰を眺めながらイグルー掘りコイカクでΩ13。夏尾根に下げるかしばし思案したが、明日の昼前までは持ちそうなので・1599峰北尾根Co1350付近かヤオロで迎え撃つことにする。ようやく明日から後半戦だ。

1/11:Ω13(6:40)引きかえし(7:10-9:00)ヤオロマップ岳(11:10)=Ω14
晴れガスのち雪:出てみると快晴だが、物々しい黒いガスが1599峰を飲み込んでいくのが見える。進めるか微妙そうで迷っていると補修したバックルも一瞬で壊れてしまい、すぐに外れてしまうので一旦イグルーに帰りバックルを直す。帰る途中にガスに追いつかれ視界100。かと思えば抜けてまた晴れる。嫌な天気だ。バックルを直した後、外の様子を見ると快晴なので1599峰か最悪ヤオロまで行こうと出発する。登りはCo1700位から岩稜が出てくる。しかしすぐにガスに包まれて、その後晴れることはなかった。ヤオロのザンク側の吹き溜まりでΩ14。
その後、ナナシ側の風からサッシビチャリ側に風向きが変わり23時30分ごろイグルーが完全に破壊された。3回目に削られたのが致命的な損傷となった。
テントシューズからプラ靴に変えようとするがあまりの風と吹き込んでくる雪で手間取り、一旦断念して2回目に削れた時点で念のためまとめておいた荷物を雪で埋まらないよう外に出す。就寝具をザックに詰め込んで外に出したが、最後の荷物を外に出すとザックがない。まさか、と思いナナシ側の方へライトを向けるとそれっぽいのが見えたので確認しようと数歩ナナシ側へ歩くと吹き溜まりからクラストに変わり滑落。もがくがどんどん加速していく。止まらない、終わったと思ったが奇跡的に5-7m程下の雪の柔らかい箇所で止まり九死に一生を得る。登り返しは小さいブッシュとステップの決まる場所をつないで苦労せずに済んだ。ザックも運よくすぐ上にあったので回収。しかしマットがなくなったことを悟る。一旦破壊されたイグルー内に戻るがみるみる雪が積もっていく。いずれにせよどこかでフライをかぶらないといけない。とりあえず風向きからなるべく遠い位置へ掘り進め荷物を中に入れてフライを被りプラ靴へ履き替える。その後下連に遭難を伝え、朝を待つ。
3時頃に風がなくなり様子を見ると風向きがナナシ側に変わっていた。だんだんと明るくなり5時くらいから薄暗闇の中すぐ近くの吹き溜まりでイグルーを作り直すが、すぐにハイマツがでてきて狭い。イグルーが完成し荷物を中に入れてザックの荷物を確認すると寝袋とシュラフカバーもなくなっている。状況はさらに悪いわけだがその中に少し安堵している自分もいた。遭難を伝えた時点で山行継続はできないが、実際はマットが無くなっただけなら山行を続けられなくもない。しかし寝袋まで失ったらさすがに諦めて下山するしかないだろう。しばらく続く嵐を待つ時間は辛いだろうが、少なくとも山行を続けるかどうかでモヤモヤすることはない。それに自分の不甲斐なさを噛みしめるには十分だろう。

1/12:停滞 Ω14=Ω15
風雪強:昼前にブロックを補強しに行くが、爆風でスコップが持っていかれそうになる。今日だいぶ積んだから大丈夫だろうが、中に入ってもとんでもない音がしていて不安になる。寒さは、上はビレイパーカーで温かく下は漬物袋とフライを被せると熱がこもるのか意外と温かく快適に過ごせた。さすがにプラ靴の足先は冷たかったのだが…
下界でも大雪なようで、そりゃそうだよなと思いながらラジオの奥のてんやわんやを終日聴いて過ごす。ましてこんな時に山にいる奴なんて他にいないだろう。

1/13:停滞 Ω15=Ω16
風雪強:ブロックを補強し、虚無の時間を過ごす。暇すぎてたくさん食べるせいで、特大のブツがでる。あまり広くなく、下へ掘れないイグルーに自分の糞尿が近くにあるというのはいい気分ではない。持ってきたランボオの「地獄の季節」を読みふけるが、あまり理解できなかった。ラジオでは大雪で公共交通機関が完全マヒしているとのことである。下界ではどうなってんのやら。

1/14:停滞 Ω16=Ω17
風雪強:ラジオが湿気かなにかで調子が悪くなり終日ぼーっと過ごしながら物思い。明日の昼頃から冬型が緩み始めるらしい。風の唸り声が聞こえる頻度がだんだんと少なくなってきている気がする。ずっとプラ靴を履いているからだろうか、塹壕足になり激痛が走ったので足をプラ靴から出し、ストーブで暖めながらただれてポタポタしたたる天井を眺める。ああ帰りたくねえなぁ。

1/15:Ω17(7:15)コイカク夏尾根頭(9:45)夏尾根末端(10:45)札内ヒュッテC18(20:00)
晴れ:不安と期待の中起きてひとまず完全に明るくなるのを待つ。イグルー内が明るくなってきたので出てみるとザンクが見え、遠くで赤い太陽が日高を照らし出している。嵐のあとに世界が生まれるというのはこういうことか。自業自得でこんな目にあっているにも関わらず、また日高の美しさに触れられた気がしてうれしくなる。さて帰ろうか。一層美しいザンクと、歩くはずだった稜線に別れを告げ、ナナシの風に時々振られながらコイカクへ向かう。コイカクで作ったイグルーも跡形もなく消し飛んでいた。こちらにいたところで、果たして結果は違ったのだろうか。いやしかし、このイグルーは雪質のいいブロックで作ったはずなのでどのみち変わりはしないのだろう、稜線上の様子はあまり変わりなく、所々にDz氏のトレースが残っていた。問題はコイカク沢の雪崩だが斜面の様子を見て雪崩はまだ起きていないしとりあえず行く方針で札内ヒュッテを目指す。夏尾根も上部は成田さんのトレースがあったが次第になくなりCo1300から下はとんでもないズボり方をする。想像はしていたが、考えていた以上の積雪だ。末端からは暫くは腰―胸ラッセル。平地なのにたまに肩まで沈む。2時間ほど格闘して後ろを振り返ると、夏尾根がすぐ近くに見える。おいおいまじか。。。以降時速500mの地獄ラッセルが札内ヒュッテまで延々続くこととなった。進まない、終わらない、帰れない。耐えきれずストックや木の棒をスノーシューに挟んで浮力を得ようとするがストックが折れただけでなんの効果もなかった。それからは覚悟を決めて、日高の奴隷として8時間延々とラッセル。雪面から時々やばい音が雪面からして生きた心地がしない。しかしもう行くも戻るも地獄しかないので投げやりになって歩く。日も暮れすっかり暮れて、満点の星空のもとでようやく林道に合流した。
札内ヒュッテで青木が火を焚いて待ってくれているかと思ったが、結局誰もいなかった。本当に心が折れる寸前までいったが、最後の力を振り絞って火を付ける。よかった、生きて帰れたと思いながら果てる。ギリギリ電波が入ったのでゲレンに現況報告すると未明に青木も札内ヒュッテへきてくれた。あとは泥のように眠る。

1/16:札内ヒュッテ(7:30)札内ダム(8:45)
快晴:札内ダムにて下山。快晴の日高を眺めながら、今頃どこにいただろうか、と思いを巡らせていた。


でもそれは意味のないことだ。もし襟裳岬で太陽を見られたとして、それが何になるのだろう。僕は日高を歩き通すことで、これからどう生きていけるかが分かる気がした。しかし人生を変えてくれる山などそもそもありはしないのだ。少なくとも、それを待ち望んでいる限りは。

過去天気図(気象庁) 2021年12月の天気図
アクセス
利用交通機関:
電車 バス
ウエンザルピークのすぐ下
ウエンザルピークのすぐ下
ザック重すぎ
・1712へ向かう
1940を超える
北戸蔦別
エサオマン
エサオマン超えた札内JPとのコル
1
エサオマン超えた札内JPとのコル
エサオマン南イグルー。完全に性格がでている。芸術点ー60点くらい。
2
エサオマン南イグルー。完全に性格がでている。芸術点ー60点くらい。
ナメワッカJP先の岩稜帯
ナメワッカJP先の岩稜帯
カムイエクウチカウシ
1
カムイエクウチカウシ
1807南コル
コイカク
コイカク沢下部にはアイスが見える
コイカク沢下部にはアイスが見える
コイカク岩稜帯の登り
1
コイカク岩稜帯の登り
ザンクが見える
コイカクのイグルー。4日後には跡形もなく消滅する…
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コイカクのイグルー。4日後には跡形もなく消滅する…
ヤオロへ。
イグルー破壊後。こういう惨めさは嫌いではない。
イグルー破壊後。こういう惨めさは嫌いではない。
ザンクが嘲笑ってらぁ。
ザンクが嘲笑ってらぁ。
日はまた昇る
作り直したイグルー。
作り直したイグルー。
イグルー崩壊跡。今思い返すと全体的に稜線が削られている。
2
イグルー崩壊跡。今思い返すと全体的に稜線が削られている。
帰ろうか
コイカク沢で絶望ラッセル
コイカク沢で絶望ラッセル
塹壕足が痛すぎて1時間休む
2
塹壕足が痛すぎて1時間休む
フリースで保温
なんとか札内ヒュッテへ
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なんとか札内ヒュッテへ
こちらもツボで腰ラッセルだったという、、、
こちらもツボで腰ラッセルだったという、、、
またたび橋
またこのヒュッテとの思い出が増えた
2
またこのヒュッテとの思い出が増えた

感想

3,4年前の記録のいまさら投稿になってしまった。もう一度くらいやってみようかとも思っていたのと、遭難事故の報告としては価値があるだろうが、それは米山さんの記事になっているのでそこで義務は果たしているだろうということから特に掲載しなくてもよいと思っていた。
もちろん記録は山行後に書いてはいたが、そもそも厳冬期のノンデポノンサポートの記録を目指したわけではなく、自分自身のためだけにやったので自己完結で十分だと思っていたのもある。
記録を書いてそれを第三者が触れた時点で、その山行は自分だけの領分を離れて独立した意味を持つことになる。本腰をいれて取り組んだ山行の中で、ひとつくらいは自分の為だけの曖昧な意味を持ち続けるものがあってもいいなと思っていたが、今振り返ってこの山行に対してはその必要はなくなった。

ヒグマに襲われる夢はもう見なくなったが、あのときに見た目玉の奥底は今でも心に残って離れない。その出来事を含め、それでも日高ではいくつもの言葉を尽くせない思い出ができた。そういう思い出をいくつも作ってくれた日高がやはり大好き、ということになるんだろう。

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